最終列車が発車した。 後編
「亜希、…亜希ちゃん!」
ほとんどちりかけた桜が緑色と混じっている。
その桜餅みたいな風景と彼はよく似合う。
…彼は郵便局で働く理知的?な幼馴染みだ。
すらっと伸びた高い背に薄くて優しい瞳。
何度もキスしたその唇。
…愛だ。
大好きだ。
「…なぁに?拓さん」
少女は嬉しくなってきちんと編んだみつあみを揺らす。
ふわりと白いスカートが舞う。
なかなか気の強そうなその瞳は、一気に優しく緩む。
けれども青年は、いたく真面目な顔をして口を開いた。
無理矢理こじあけるみたいに。
…声が震える。
「…いや、あのさ…。…だっ……。」
…しかしやはり、続きは言えない。
…言えや、しない。
青年も少女も、泣きそうになる。
けれど、わずかに残った桜が舞うとともに突然彼女の怒りも舞い上がった…。
彼に対して、自分に対して、…世の中に対して。
それは静かで、大きなうねり。
いや。
いやよ拓。
今そんな話しちゃ
いやよ。
少女は息をすうと吸い込んだ。
「タクッ!!!!」
背の高い青年はビクッとする。
彼女が急に自分を呼んだからだ。
「…タクッ」
少女はもう一度叫ぶ。
タク、タク…
今更なんだって言うの?
私たちは子供の頃から愛し合ってきたんじゃないの?
…青年は、一瞬微笑んで彼女を引き寄せた。
「亜希…よく聞いて」
少女は嫌な予感で胸がはりさけそうだった。
…どうして?
彼はこんなに近くにいるのに。
青年は、静かに続きを話す。風はゆるやかに流れている。
「…ぼくらはずっと愛し合ってきたよね…そりゃもうべたべたに愛し合ってきた。…でもね、これは『愛』じゃない。愛じゃなかったんだ。」
少女は目を見開いた。
思わず彼を突き飛ばす。
「ひど…い…なにそれ…?じゃな…なに?今までのは全部…」
全部?
青年は首を横にふる。
風はまだふく。
「旦那さんは知ってるよ。…ぼくらのこと。ぼくらが、君が嫁いでからも会っていることを。」
ドクンッ…
と、心臓が高鳴った。
嘘…
「でも旦那さんは何も言わない。…多分一生何も言わない。…それが、『愛』ってものじゃないのかい?」
「…。」
…青年はまた静かに微笑む。
優しく、悲しく。
「でも、ぼくらは違う。ぼくらのは違うんだよ亜希…。もっとずっと自分勝手で、…もっとずっと苦しくて…。確かにあった。『恋』はあった。でも恋じゃ、駄目なんだ。」
ぼくらは大人なんだから、と彼はつけたした。
愛?
…恋?
そんなのどうだっていいのに。
違う、私は確かに彼を愛してた。
ずっとずっと愛してた。
『恋』から、『愛』に変わったのはいつだった?
少女は泣きながら走っていた。
…お腹に、彼との『愛』の結晶であるはずのものを抱えて…彼女は走った。
走って、走って走って…。
唐突に理解した。
…終わっていたのだ。
彼の中では、恋も、愛も。
目の前には悲しげな顔をした『恋』人がいた。
しかし彼女はふと気付く。
あぁ、彼は孫だった。
何も知らずに死んだ彼との、かつての愛の結晶のそのさきだった。
作品名:最終列車が発車した。 後編 作家名:川口暁