うさぎ
雪みたいな白い体に、ぽたっと真っ赤なインクを落としたような目をしたうさぎ。
そしてみんなと少し違うのは、私が実験動物だってこと。
生まれたときよりもっと前から私の生き方は決められていたし、べつにそれをどうこう思うって気はないの。
ただ目の前で兄弟達が苦しんでいるのを見るのはちょっと嫌ね。
私は小さい頃に連れてこられてからずっと、この小さなゲージの中に一人で生活しているの。
周りに同じゲージがいっぱいあるけど、やっぱり透明な板を通して交流するのと、肌を触れあうのってやっぱりちょっと違って寂しいわ。
私たちの周りにいつもいる人間ってやつは、真っ白の服(私の真似をしているのかしら)と目に水中眼鏡みたいなやつをして、忙しそうにうろうろしているわ。
ここは窓一つでも有れば救いだと思うくらいくらくて辛気くさい部屋。
もう、ほんと嫌になってしまう。
そして人間って動物が考えていることってよくわかんないけど、(だいたい生き物って自分を生かして子孫を作るために生きているんじゃないのかしら)どうも私は注射でぶすっとさされた何かを観察するために居るみたい。
はじめは痛いとかだるいとか気持ち悪いとかなにもなかった。
だけど最近はいろんなところが痛いし、息も荒くて苦しいの。
でも私だけじゃなくて隣のゲージもその隣のゲージもそうみたいだからしょうがないのね。
苦しいのは最初から解っていたし、有る程度覚悟していたわ。
でもこんなに可愛くこの世に生まれた私が、世界になにも生きていた証を残せないで消えちゃうなんてあんまりだと思わない?
この話をずっと隣のゲージの男の子に話したら、体調が悪そうにこう答えたの。
“だって僕たちうさぎだぜ?それに実験動物の。そんなこと考えるだけ無駄だって”
いつもは私の話を楽しそうに聞いてくれる彼だったからこんな私でもちょっと傷ついちゃった。
彼の言うようにそんなことまた夢の夢なのかな。
そんなある日私の係の女の子(私には劣るけど可愛い子)が私にご飯を食べさせてくれていたとき、施設でなにかあったみたい。
よくわからないけどただでさえ痛い頭に追い打ちをかけるような不愉快な音が鳴り響いたから。
彼女はとても可愛いし、気の回るいい子だけどちょっとおっちょこちょいなのね。
びっくりしたみたいで外の様子を身に私のゲージを開けっ放しでどっかに行ってしまったの。
はっきり言ってチャンスだと思ったわ。
そしてもう二度とないチャンスかもしれない。
隣でご飯を食べていた彼が、もう動かすのも大変な耳を必死に動かして私を留めようとしたけど、もうそんなの関係なかった。
彼よりもまだ私の病状は軽かったしこのくらいのゲージなら飛び越えることが出来た。
ゲージを飛び越えて、机の上に降りた私はその下にあったドラム缶に飛び降り、そこから下に降りた。
初めて立ったゲージ以外の世界に感動しそうになった。
だけどそんなことしている暇は無いわ。
私にはやりたいことがある。
そして私はちょっとついていたみたい。
さっきの騒ぎでドア開けっ放しで行ってしまったみたいなの、あの子。
ちょっと重くなってきた体を一生懸命引きずり、なんとか廊下に出られた。
よく周りを見渡すとここは2階だったみたい。
地上なら窓ぐらい付けなさいよね。
ぶつぶつ言っても始まらないからほとんど転げ落ちるように階段を下りてなんとか一階に着いた。
あと外までもう少し
外の光が見えるところまでもう少し。
本当に運良く誰にも見つかることなく外に出ることが出来たときは、これはもしかしたら夢なのでは無いかと疑ったくらいよ。
そういえばあの騒音は聞こえなくなっていたから、あれは誤作動だったのかしら。
空調設備から出る空気ではない新鮮な外の空気を吸ったのは、初めての経験だったからとてもとても美味しかった。
草のにおいってとてもいいにおいなのね。
幸せにずっと浸っていたいと思ったけど、もうそれほど時間は無いみたい。
元々ぼろぼろだった体に加えてさっき何回も階段から転げ落ちたから、体の外も内もぼろぼろみたい。
こんな姿誰にも見せたくないな。
なんてこと考えていたら足音が聞こえてきたの。
“お母さんうさぎさんが居るよ、とっても可愛いの”
そりゃ私が可愛いのなんて当たり前でしょう?
そうこう思っている内に、逃げる力なんてない私は彼女にやすやすと持ち上げられたの。
私の計画がこんなにうまく行くなんて思わなかった。
私の計画はこのウイルスを誰かに移すこと。
すくなくても私がこの世にいたことの証明にはなるわ。
なんて馬鹿なうさぎなのかしらってあなたは思うでしょうね。
でも私にはこれしか思いつかなかったの。
そして私の命の灯火はもうすぐで消えてしまうみたい。
さっきまで意識が飛びそうなくらい痛かった体も今はどこも痛くないから。
でもね、薄れゆく意識のなかで思ったの。
この子に私と同じ苦しみを与えるのは可愛そうだわって。
本当に私馬鹿みたいね。