桃太郎
動物たちがけたたましい鳴き声を上げそこらを右往左往し、怪しげなカルト団体が街角で口々に世の終わりを告げている。被害状況を確かめようにも、国家も報道機関もとうに機能を失って、頼れるものは我が身ばかり。だが、凡才の俺にこの危機から逃れる名案が浮かぶはずもない。
俺は、妻と三歳になる息子と共に、ローンの残っている自宅の、テーブルの下で身を寄せ合って、ただ災害が俺たちを避けていってくれるのを望むばかりであるが、その可能性は皆無に近い。そろそろ、この地域も地震の揺れがひどくなってきた。
「パパー、えほんー」
息子が小さな胸の中から取り出したのは『日本名作劇場2・桃太郎』。先日の地震でタンスの下敷きになって死んだ俺の親父が、初孫のために全巻揃えてくれたのだ。中でも、桃太郎は息子の一番のお気に入りで、何度も読ませられたから、俺も妻も一字一句間違えず暗誦できる。
「あなた、読んで……わたしも読むわ。そうすれば……」
妻の言わんとすることはよく分かる。俺は頷き、息子を膝に乗せて絵本を開いた。がくん、と地面が縦に揺れ、電気が消えた。大丈夫。俺は息子の大好きな桃太郎をそらんじられるのだ。続いて、どこかで何かが爆発するような音がした。気にしなくていい。とにかく、桃太郎を語ればいいのだ。
俺は暗闇の中で、妻と一緒に暗誦し始めた。
「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんはやまへしばかりに、おばあさんはかわへせんたくにいきました。おばあさんがかわでせんたくをしていると、どんぶらこ、どんぶらこと、おいしそうなももがながれてきました。おばあさんがももをもちかえり、おじいさんといっしょにほうちょうできろうとすると、ももはひとりでにわれ――」
厚い保護膜を破って、「それ」は生まれ出た。大きな手がその体を包み込み、その聴覚器官に短い言葉を吹き込む。「それ」はすぐに意図するところを解し、暗黒空間へ飛び出していった。ひとつ創れただけでもよしとしよう、と何者かは考える。そして保護膜の残骸に視線を注いだが、ほんの表面を覆っていた副産物に思いを馳せるはずもない。