小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

季節に負けないひとつの方法

INDEX|1ページ/1ページ|

 


 ごとり、そんな音を追いかけて手を伸ばす。よく冷えたペットボトルを見えない先で捕まえた。
 不健康に黄色いレモン味の炭酸水を、一気に飲み干すのが好きだった。
 果汁1%以下、と言うのが一番のお気に入りだ。そして次に、喉や胃を焼き尽くしてしまいそうな感覚。いつか噂で聞いた骨を溶かすなんてことが出来るなら最高だ。
 これほどあたしを殺してしまいそうなものはない、と思う。

 殺されたい。
 そんな焦燥をきっと誰も知らない。炭酸よりずっと強くあたしを焦がしてしまいそうな。

「ねえ」
 静かに、それはそれは上品にミルクティーを飲む彼に声を掛ける。
「どこへ行くつもり」
 すると彼はペットボトルを口から離して、そっと笑った。
「きみは聡明だね」
 聡明なのはあなただろう、と心の中で思う。あたしは彼の学歴も教養も知らないけれど、それでもあたしよりずっと賢いだろうことはわかっていた。

「おれはどこへ行くんだろうね」
「知らないの」
「世界の端っこにでも行ってみようか」
「それ、怖くない?」
「少しも」
 さっきから一つも顔色を変えないで、淡々と答える。いつもの彼だった。
 彼は殺されたいなどと思ったりしないのだ。あるいは人がいつか死ぬことさえ知らない。彼は賢くて、それから世間知らずだ。



 今思えば、あれは春の始まりだった。
「連れていって」
 一人の男が、あたしを見上げて言ったのだった。
 小奇麗な格好をしていた。青いストライプのシャツに黒いズボン。荷物らしきものは見当たらない。

 欠片も悲しそうには見えなかった、ただちょっとだけ淋しそうに思えた。
「どこか行きたいの?」
「帰りたいんだ」
 返事もせずに歩きだせば、彼はついてきた。あたしがあたしの家に帰るまで、二人とも黙って歩いた。

「ただいま」
 鍵をあけて家の中に入ると彼が言うので、おかえりと返すと、至極嬉しそうに微笑む。
 今まで見たどんなものより綺麗だと思った。


 それからどれだけ経っただろう、もうすぐ次の季節がやってくるような暑い夜になって、ふと考える。
 彼は、いつ行くのだろう。どこへ、誰の元へ、帰る場所があるのだろうか。
 留めたいと考えて、ひどく殺されたくなる。レモン味の炭酸を飲み干す。
 だって。

「だって、もう一人じゃない。絶望などしない、怖いものだってないよ」
 そうだ、もう一人じゃない。

 彼のことを春だと思う。ぼんやりと訪れて、知らぬ間に去ってゆく、そんなものに形容するのが正しい。
 けれどそれは怖い。
 夏になってから気づくのでは遅いのだ。流れを止められぬのなら意味がない。
 一人じゃない、それ故に殺されようと思った。
 一番傍にいる彼に。
 多分、殺めるなんて知らない、その手に。
 護りたい、護られたい、傍にいたい、失いたくない、止めたい、いなくならないで愛して。

 二人で使う部屋の狭さを知って、二人で寝る夜がとても短いことに気がついた。
 寝苦しさを忘れ、深い眠りに包まれる。
 死にたくなどない。

「ひとつ、お願いしていい?」
 彼は簡単に頷いて、またペットボトルを煽った。
「連れていってよ」
 日に焼けていない、白い喉が動く。潤ったその喉で、彼は何を紡ぐだろう。

「あなたといないと、世界が終わってしまう気がするから」
「殺してほしい?」
 ああ、驚いた。そんな言葉を知っていたのか。
 ミルクティーに冷やされた言葉は、どこかまろやかだ。

「違う、違うよ。ただ、生きていたい」
「じゃあ、行かないでって止めてよ。おれには帰る場所なんてない、また誰かに拾われるのも億劫だ。おれはもう一人じゃない、そうだろう?」
「うん」
「そしてきみも一人じゃない、あの家はお菓子の家よりも素敵だ」
 そういえば今日、彼はあの日と同じストライプのシャツを着ている。
 行ってしまうのだ。
「だけど行くよ。もう時間だからね」
「どこへ」
「きみの知らない場所へ。きみが世界中を知っていると言うのなら、宇宙だっていい。行くよ」
「いつか、帰ってくるんでしょ」
「それを信じるのがきみの役目だろう。だっておれはきみをとても好きなんだ」
 きっとその季節は春だ。柔らかくて心地のいい、そのままの彼だから。
 これからは、あたしの一番好きな季節になる。

 もうレモン味の炭酸水は飲まなくていい。
 喉を潤すのには甘いミルクティーで十分だ。
 殺されたかったあたしは、焦げ付くように生きたくなる。
 残念なことに、あたしのスキルには愛する人への縋り方がないのだ。

「ねえ、夏がくるよ」
「知ってる」
 そうだろう、あなたは誰よりも死ぬほど強くそれを感じているのだろう。
「あなたが帰ってきたら、海水浴をしよう」
 それから松茸や栗を食べて、二人で雪だるまをつくろう。
 あたしたちは季節になど負けたりしない。

「うん、いいね」
 あたしはきっと生きるだろう。例え地球が滅亡して、誰もが生に絶望しても、それでもちゃんと生きるだろう。
 彼が帰ってくる、その季節を待ちわびて。それまで、ただいまは言わない。おかえりなさいも取っておこう。