愚痴をこぼす相手
「今日は何時に帰るの?」
「わからない。先に休んでいていいよ」
顔も見ないでそう言って、夫は玄関のドアを開ける。
私は夫の背中をにらみつけたけど、夫は逃げるようにドアをくぐり
私の視線は分厚い鉄板に遮られてしまった。
こんなはずじゃなかったのに。私はいらいらと爪をかみながらリビングに戻った。
広い部屋のあちこちに脱いだままの服や、食べ残しがこびりついたテイクアウトのから容器
洋酒の空き瓶が雑然と置かれている。ソファやテーブルが高級な品だけに
そのギャップがより荒涼さを際立たせているようで、私はため息をついて
ソファに腰を下ろした。朝日にきらきらと埃が舞い上がる。
最後に掃除機をかけたのはいつだろう。
私は念願かなって彼と結婚した。
結婚式はイタリアの教会であげ、そのままヨーロッパ一周のハネムーン
帰ってきて、改めて東京の一流ホテルで披露宴をあげた。
素敵、うらやましい。
シャワーのように浴びせられる賛辞は、私を心地よく酔わせた。
私は幸せ。世界一幸せ。
でも、その酔いは新婚生活を送るうちに急速に冷めていった。
「君が会社を辞めるなんて思わなかった」
どうして?私が働かないと生活できないわけじゃないでしょ。
ショッピングやホテルのランチ。昼間やりたいことは一杯よ。
「酒やタバコくらいいいだろ。ストレス解消なんだ」
だって、家具に匂いがつくわ。それに泥酔するまで飲むなんて
普通じゃないわ
「家事ぐらいやってくれよ。俺は手料理が食いたいんだ」
じゃあ、来週からハウスキーピングとケータリングサービスを頼みましょうよ
あ、新しくフィットネスクラブがオープンするの。会員になってもいいわよね。
「僕はどうやら、君を過剰評価していたみたいだ」
それはこっちの台詞よ。貴方は私を完璧に幸せにしてくれると思った。
だから結婚したのに。
積み重なる不満。でも、友人や両親には
「彼は私の言うことを何でも聞いてくれます。いつまでもキレイでいてくれって
家事もさせてくれないの」
というメールを送る。
愚痴を言うのはサトコさんだけ。
電源を入れっぱなしのパソコンの前に腰を下ろし、私は愚痴を書き連ねていく。
「夢をいだいて結婚したけど、貧乏はつらいよー。バイトバイトバイト。
休み暇なし。あーあ。旦那様が死ねば生命保険が一千万 あ。うそうそ。冗談。」