The Last Supper
「ああ、本物のチョコレートが食べたいなあ」
ホワイト氏がため息を漏らした。
「懐かしいわね。最後に食べたのは何年前だったかしら……」
妻が言った。
「確かにこの栄養剤はどんな食べ物の味でも再現してくれる。だが実際の食感や感触はそうはいくまい」
「そうそう。私は板チョコを割るあの音と感触が好きだったのよ」
妻は、何かを手に持って割るような動作をした。
環境汚染が進み、作物が育つ土壌はなくなり、生命を育む海は黒く濁った。もはや地球上では食糧を生産することはできない。食べなければ、人は生きていけない。そこで開発されたのが、この万能栄養剤だった。一日一瓶飲めば、飢えや渇きを感じることはない。ありとあらゆる種類の味が揃っていて、飽きも来ない。しかも美味しい。各国の政府は全ての人間にこの栄養剤を無料配布している。それによって、地球上から飢餓は撲滅され、食の分野における格差も消え去った。
万能栄養剤が全世界に行き渡るようになったのは、一年ほど前からである。つまり、それ以来世界から「食事」の習慣はなくなったのだ。「食文化の喪失」と世界中で騒がれた。しかし、いくら騒いでも取り戻せるものではないのだった。
最初のころは、その手軽さが注目され、もてはやされた。けれど時が経つにつれて、ブームは下火となり、今ではただの日用品でしかない。
すると当然、皆がホワイト氏のように、昔「食事」をしていた頃を懐かしみ始める。
「ああ、分厚いステーキが食べたい」
「あのお店のフルーツパフェの味が忘れられないの」
「インスタントでもいい、カレーが食べたい」
そんな声があちこちで聞こえるようになった。だが、誰にもどうしようもない。仕方なく、ステーキ味、フルーツパフェ味、カレー味の栄養剤を飲む。
そんな生活に耐えられず、発狂する者も出た。人間は「食事」という行為をしないでは、まともではいられないのかもしれないと、ようやく皆悟り始めたのだった。
その日もホワイト氏は万能栄養剤を飲み、重要な会議に出席していた。一国のリーダーであるホワイト氏には、国の行き先を憂い、考える義務があるのだった。
「このままではいけない。欲求不満が溜まって、暴動が起きる可能性がある。いったいどうしたものか」
ホワイト氏は、その場にいる人々に意見を求めた。
「しかし、地球にはもう食べられる物など何もありませんよ。牛も豚も鳥も絶滅し、植物も育たない」
ブラウン大臣は諦めたように言った。
「これだけ高度な技術を持っていてもこのざまだ。自然を失ってなす術もない。我々は少々、自惚れ過ぎていたのかもしれぬ」
ブラック長官は沈んだ面持ちで腕を組んだ。
「誰か食糧を提供してくださる親切な方はいないんでしょうかねえ!」
レッド元帥は投げやりに言った。
「それは宇宙中を探せば見つかるかもしれませんぞ」
グリーン医師が皮肉っぽく言った。
「問題は、地球以外の星に住む生命体が未だに見つかっていないこと。ただそれだけですね」
グレイ教授がにやりと笑った。
「ふむ、そういうことなら」
どこからか声がした。
「その問題、我々が解決してさしあげましょう」
突然、部屋の中心に人の姿が現れた。いや、正確には人間ではない。肌はライトグリーンで、見たこともない服を着ている。
「だっ誰だ?」
ホワイト氏は驚いて立ち上がった。
「私は……そう、あなた方から見れば宇宙人です。ロタ星からやって来ました」
怪しげな闖入者は、そう言った。
「宇宙人?」
誰もが絶句した。
「一体どうやってここに……?」
ブラウン大臣が震えながら言った。
「入り口のドアから入って来ました」
ロタ星人は、こともなげにそう言った。
「嘘だ! さっきまでここには我々以外誰もいなかった!」
ブラック長官は机をドンと叩いた。
「実は我々には、透明になれる能力があるのです。それで、失礼なこととは知りながら、お話は全て聞かせていただきました」
ロタ星人は、自分を取り囲んでいる六人をぐるりと見回した。
「何ということだ……」
レッド元帥は呆然として首を振った。
「あなたは先ほど、我々の抱える問題を解決してくれるとおっしゃった。それはどういうことですかな?」
グリーン医師が冷静に尋ねた。
「そうだ、それについて詳しく教えてください」
グレイ教授は急かすように言った。
「簡単なことです。我々の星から、この地球に食糧を輸出してさしあげましょう。我々の調査によれば、ロタ星とかつての地球の気候はよく似ている。食べ物もそう違わないようです」
「本当にそんなことが可能なのですか?」
ホワイト氏は、ロタ星人のオレンジ色の瞳をじっと見つめた。
「ええ。もちろんそれなりの対価はいただきますが」
ロタ星人は頷いた。
「対価……そうですな。この国の通貨はあなたがたにとってはただの金属片や紙切れにすぎない。何を差し上げれば良いのか我々にはわかりかねますが……」
ブラウン大臣が首を傾げた。
「地球上で最も強力な兵器を、あるだけいただきたいのです」
ロタ星人は言った。
「最も強力な兵器というと、核兵器か。それでいったいどうするつもりなのだ?」
ブラック長官が疑わしげに尋ねた。
「どうもしませんよ。ただ、地球の技術力に興味があるのです。それと、我々のことを好ましく思わない輩にその兵器で攻撃されるかもわからない。あくまで安全を考慮しているのです。あなた方を傷つけるようなことは決してしません。約束しましょう」
こうして取引は成立し、大量の核兵器と引き換えに、地球には食糧が届けられることとなった。
このニュースは瞬く間に全世界に広まった。宇宙からの訪問者について、各地で物議が醸された。実は地球侵略を企んでいるのだ、とか、いやそうではなく彼らはパラレルワールドからやって来た未来の地球人なのだ、とか、様々な説が飛び交った。
地球上から核兵器が消え去ったことは、平和主義者を喜ばせた。
「きっと神様が、この地球から争いをなくすためにロタ星人をお使わしになったのだ」
「我々をお救いくださるに違いない」
ロタ星人を救世主と崇める者もいた。
ロタ星から運ばれてくる食材は、地球人に馴染みのあるものばかりだった。数年ぶりの「食卓」を前にして、人々は皆、涙を流した。
ホワイト氏を中心とした人々の食事の様子が、全世界にテレビ中継された。
「食べられることが、こんなに幸せだとは思っていなかった」
ホワイト氏は、そう言って目を潤ませた。
「……美味しいです」
レッド元帥はそれだけ言って、鼻を啜った。
「うまい……。栄養剤とは比べものにならない」
グリーン医師はそう言って笑った。
「これが本来の人間の生活なんですよね……」
グレイ医師はどこか虚ろな表情でそう言った。
世界中の人々が「食」を取り戻した瞬間だった。
その様子を見ながら、ロタ星人達はほくそ笑んだ。
「全く地球人め、暢気なものだ」
「食べ物が放射能汚染されているとも知らずに……」
「少し、哀れな気もしますね……」
「いや、犠牲なしには技術の発展はありえない。彼らもそれは十分に理解しているはずだ。今度は彼らが犠牲になる側になった。ただそれだけのことだ」
ホワイト氏がため息を漏らした。
「懐かしいわね。最後に食べたのは何年前だったかしら……」
妻が言った。
「確かにこの栄養剤はどんな食べ物の味でも再現してくれる。だが実際の食感や感触はそうはいくまい」
「そうそう。私は板チョコを割るあの音と感触が好きだったのよ」
妻は、何かを手に持って割るような動作をした。
環境汚染が進み、作物が育つ土壌はなくなり、生命を育む海は黒く濁った。もはや地球上では食糧を生産することはできない。食べなければ、人は生きていけない。そこで開発されたのが、この万能栄養剤だった。一日一瓶飲めば、飢えや渇きを感じることはない。ありとあらゆる種類の味が揃っていて、飽きも来ない。しかも美味しい。各国の政府は全ての人間にこの栄養剤を無料配布している。それによって、地球上から飢餓は撲滅され、食の分野における格差も消え去った。
万能栄養剤が全世界に行き渡るようになったのは、一年ほど前からである。つまり、それ以来世界から「食事」の習慣はなくなったのだ。「食文化の喪失」と世界中で騒がれた。しかし、いくら騒いでも取り戻せるものではないのだった。
最初のころは、その手軽さが注目され、もてはやされた。けれど時が経つにつれて、ブームは下火となり、今ではただの日用品でしかない。
すると当然、皆がホワイト氏のように、昔「食事」をしていた頃を懐かしみ始める。
「ああ、分厚いステーキが食べたい」
「あのお店のフルーツパフェの味が忘れられないの」
「インスタントでもいい、カレーが食べたい」
そんな声があちこちで聞こえるようになった。だが、誰にもどうしようもない。仕方なく、ステーキ味、フルーツパフェ味、カレー味の栄養剤を飲む。
そんな生活に耐えられず、発狂する者も出た。人間は「食事」という行為をしないでは、まともではいられないのかもしれないと、ようやく皆悟り始めたのだった。
その日もホワイト氏は万能栄養剤を飲み、重要な会議に出席していた。一国のリーダーであるホワイト氏には、国の行き先を憂い、考える義務があるのだった。
「このままではいけない。欲求不満が溜まって、暴動が起きる可能性がある。いったいどうしたものか」
ホワイト氏は、その場にいる人々に意見を求めた。
「しかし、地球にはもう食べられる物など何もありませんよ。牛も豚も鳥も絶滅し、植物も育たない」
ブラウン大臣は諦めたように言った。
「これだけ高度な技術を持っていてもこのざまだ。自然を失ってなす術もない。我々は少々、自惚れ過ぎていたのかもしれぬ」
ブラック長官は沈んだ面持ちで腕を組んだ。
「誰か食糧を提供してくださる親切な方はいないんでしょうかねえ!」
レッド元帥は投げやりに言った。
「それは宇宙中を探せば見つかるかもしれませんぞ」
グリーン医師が皮肉っぽく言った。
「問題は、地球以外の星に住む生命体が未だに見つかっていないこと。ただそれだけですね」
グレイ教授がにやりと笑った。
「ふむ、そういうことなら」
どこからか声がした。
「その問題、我々が解決してさしあげましょう」
突然、部屋の中心に人の姿が現れた。いや、正確には人間ではない。肌はライトグリーンで、見たこともない服を着ている。
「だっ誰だ?」
ホワイト氏は驚いて立ち上がった。
「私は……そう、あなた方から見れば宇宙人です。ロタ星からやって来ました」
怪しげな闖入者は、そう言った。
「宇宙人?」
誰もが絶句した。
「一体どうやってここに……?」
ブラウン大臣が震えながら言った。
「入り口のドアから入って来ました」
ロタ星人は、こともなげにそう言った。
「嘘だ! さっきまでここには我々以外誰もいなかった!」
ブラック長官は机をドンと叩いた。
「実は我々には、透明になれる能力があるのです。それで、失礼なこととは知りながら、お話は全て聞かせていただきました」
ロタ星人は、自分を取り囲んでいる六人をぐるりと見回した。
「何ということだ……」
レッド元帥は呆然として首を振った。
「あなたは先ほど、我々の抱える問題を解決してくれるとおっしゃった。それはどういうことですかな?」
グリーン医師が冷静に尋ねた。
「そうだ、それについて詳しく教えてください」
グレイ教授は急かすように言った。
「簡単なことです。我々の星から、この地球に食糧を輸出してさしあげましょう。我々の調査によれば、ロタ星とかつての地球の気候はよく似ている。食べ物もそう違わないようです」
「本当にそんなことが可能なのですか?」
ホワイト氏は、ロタ星人のオレンジ色の瞳をじっと見つめた。
「ええ。もちろんそれなりの対価はいただきますが」
ロタ星人は頷いた。
「対価……そうですな。この国の通貨はあなたがたにとってはただの金属片や紙切れにすぎない。何を差し上げれば良いのか我々にはわかりかねますが……」
ブラウン大臣が首を傾げた。
「地球上で最も強力な兵器を、あるだけいただきたいのです」
ロタ星人は言った。
「最も強力な兵器というと、核兵器か。それでいったいどうするつもりなのだ?」
ブラック長官が疑わしげに尋ねた。
「どうもしませんよ。ただ、地球の技術力に興味があるのです。それと、我々のことを好ましく思わない輩にその兵器で攻撃されるかもわからない。あくまで安全を考慮しているのです。あなた方を傷つけるようなことは決してしません。約束しましょう」
こうして取引は成立し、大量の核兵器と引き換えに、地球には食糧が届けられることとなった。
このニュースは瞬く間に全世界に広まった。宇宙からの訪問者について、各地で物議が醸された。実は地球侵略を企んでいるのだ、とか、いやそうではなく彼らはパラレルワールドからやって来た未来の地球人なのだ、とか、様々な説が飛び交った。
地球上から核兵器が消え去ったことは、平和主義者を喜ばせた。
「きっと神様が、この地球から争いをなくすためにロタ星人をお使わしになったのだ」
「我々をお救いくださるに違いない」
ロタ星人を救世主と崇める者もいた。
ロタ星から運ばれてくる食材は、地球人に馴染みのあるものばかりだった。数年ぶりの「食卓」を前にして、人々は皆、涙を流した。
ホワイト氏を中心とした人々の食事の様子が、全世界にテレビ中継された。
「食べられることが、こんなに幸せだとは思っていなかった」
ホワイト氏は、そう言って目を潤ませた。
「……美味しいです」
レッド元帥はそれだけ言って、鼻を啜った。
「うまい……。栄養剤とは比べものにならない」
グリーン医師はそう言って笑った。
「これが本来の人間の生活なんですよね……」
グレイ医師はどこか虚ろな表情でそう言った。
世界中の人々が「食」を取り戻した瞬間だった。
その様子を見ながら、ロタ星人達はほくそ笑んだ。
「全く地球人め、暢気なものだ」
「食べ物が放射能汚染されているとも知らずに……」
「少し、哀れな気もしますね……」
「いや、犠牲なしには技術の発展はありえない。彼らもそれは十分に理解しているはずだ。今度は彼らが犠牲になる側になった。ただそれだけのことだ」
作品名:The Last Supper 作家名:スカイグレイ