寮長の部屋
時間は午後10時半を少し過ぎたところ。点呼が終わりひと息ついて、ようやく少し勉強などしようと参考書とノートを開いた矢先に、控え目なノックの音が響いた。
「どうぞ」
振り返りもせずに返事をする。この時間にやってくる相手などもう分かっているから、いちいち確認するようなことはしない。
ただ、いつもと違ったのは、ドアが開いた音の後に聞こえる元気な挨拶が聞こえてこなかったことだけ。
「……先輩、入ってもいい?」
いつもになく弱気な声に思わず振り返ると、ドアを少しだけ開けた状態で顔を覗かせている予想通りの可愛い後輩の顔があった。その表情はいかにも不安そうで、今にもドアを閉めて帰ってしまいそうだ。
「高宮くんどうしたの? 入ればいいじゃん」
「……でも先輩、勉強中?」
そう聞かれて、ああそれで遠慮しようとしたのかと気付いて思わず顔がほころぶ。
……きっとこいつは俺が一応受験生だってことを忘れてる。
「まだ始めてもないよ。おいで」
椅子ごとがたりとドアへ向き直り、手招きをするとようやくほっと息をついた彼が部屋の中に入ってきた。でも、おどおどとした雰囲気は残ったまま。これはどうせ、「邪魔しちゃったなあ」とか「やっぱり来なきゃよかったかなあ」とか「理由つけて早く帰ってしまおう」とか考えてる顔だ。
――本当に勉強の邪魔ならそもそも部屋に迎え入れないだろうと、どうして気付かないのか。
気遣いのできる心優しい子だとは思っているけど、俺相手にまでそんなに気を使わなくてもいいのに……とは思うが、それを自覚させるのも難しいのも分かっている。そもそも俺は、相手に分かるようにきちんと好意を伝えるのは苦手なほうだ。
「先輩、あの、俺……」
やっぱり帰る、なんて言い出す前にと、俺は椅子から立ち上がる。そのままベッドに移動して腰を下ろし、自分の隣をぽんぽん、と叩いて座るように促した。少し目を泳がせた後に、高宮くんはちょこんとベッドに腰かけた。その細い身体をぐい、と引き寄せ、膝の上に向かい合わせで座らせる。密着して足を開いた状態に、高宮くんはぱっと顔を赤くした。
「ちょっ……先輩! 離してくださいよお!」
「せんぱい?」
呼びかけられた単語を、音を区切りつつわざとらしく復唱してやる。うっと言葉に詰まった高宮くんは真っ赤な顔のままうつむいて、消え入りそうな声で「弓木さん」と言い直した。
「普段からそう言ってろっつーの」
「……だって、言えないよ……先輩だもん」
「じゃあ下の名前でいいから」
「もっと無理ですっ!」
即答されたそれに笑い返して、腰を抱き寄せる。さらさらの髪に頬を寄せて、ゆっくりと言い聞かせた。
「邪魔なときは邪魔だって言うから、そう言わないときはここにいていいよ」
「……でも、俺」
「高宮くんが来ないと安心して勉強できない……とか言っとく?」
「そんなこと言わないでいいです……」
余計来れなくなる、と言いながらようやく俺の背中に手が回された。
他人を自分のテリトリーに入れるのが好きじゃない俺が、寮長としての立場もある俺が、どうして夜毎後輩を部屋に呼んでいるのか、その理由をさっさと理解してほしい。もっと好かれている自信を持ってほしい。でも、そこで「俺なんて」と言ってしまうのが高宮という人間なんだろう。
「……あきらめるしかねえか」
ぽつり、とつぶやいた独り言にえ、何?と聞き返してきた彼の頬に、なんでもないよと笑いながら優しくキスを贈った。