システムキッチンで煮る野草
ところが僕はそんな旅行で偶然女を拾ってしまった。未開の地に棲んでいた(いや、というよりもただそこに存在していた?)おんなだ。
その女ははじめ、口がよくきけなかった。多分発音するために舌を動かすという行為に親しんでいないのだろう。それはそうだ、未開の地といううたい文句の場所にたったひとりいたのだから、それはしようがない。問題は女が自分はもうひとりではないと思ってしまったことだった。ただの偶然で女とであったにすぎない僕のことを、女はただの通りすがりだとは思わなかった。彼女にはこんな場所に暮らしていなければいくらでもいるはずの、通りすがりの人間というものの知識がなかった。それもしようがない、なにしろ今までたったひとりでいたのだから。女は僕を出会うべくして出会った人間だと思った。生まれるまえから出会うことのきまっていた人間だと思った。それまでの生活にはおこらなかった、自分以外のなにかを本当に本当に大事にするということをするための相手だと思った。
そうした理由から、その旅行のおわりに僕は彼女を彼女の土地から連れ出した。僕が彼女の土地にとどまって、まるで人類の初めのふたりのように過ごすという考えも思い付かないでもなかったが、実際にはそんなことは不可能だった。彼女には僕がその未開の地に留まれない訳がよくわからないようで、何度かこのままこの場所に二人いられないのかと訊ねたが、それはやはりどうしてもできないことだった。なぜなら彼女と出会った日から7日目には僕の休暇が終わる予定だったからだ。
僕は彼女を自分の家に連れ帰った。僕は僕の棲む土地の事情をまったくわかっていない女に、外にでないようにでないようにと言い付けた。女は聡く、自分がまったく知らない場所につれてこられたのだということ、ここではこれまであの未開の地で暮らしていたようには暮らせないのだということを、細々とせつめいされずとも肌で感じているようだった。毎朝、僕は彼女に家からでないようにと言い、彼女は二の腕に浮かんだ鳥肌をさすりながら首を縦に振った。
仕事を終えて家に帰ると、女が食事を拵えていた。その食事は熱く、たいして美味ではなかった。時にはまったく僕の口にあわないこともあった。あの未開の地とは使える素材がまったく違うとはいえ、女はこういう料理を旨いと感じているのだろうかと不思議に思い、それとなく探ってみたところ、女も自分の作った飯を気に入っているわけではないらしい。まずいものは少し食べただけで満腹感を抱かせる。女はその効果を利用して、少ない食料で食いつないで生きるやり方が身についているのだった。食事を楽しむという考えは女の育ってきた人生にはなかった文化なのだろう。僕はここでは食料の心配はしなくていいということをまず女に教え、わざわざまずいもので腹を膨らませる必要は無い、自分が旨いと感じるものを作ればいいと言った。女は僕の言葉に首を縦に振ったが、その後も料理の味に変化はなかった。
仕事から帰ってきて、飯が不味いと言うのは思うより苦痛なことであった。それでも僕はその料理を女が一生懸命作っていることを知っていたし、なにより女自身への愛情が、僕に不満を言うのを止めさせた。しかし旨くないものを腹に入れるのは苦しい。あるとき僕はふと思い付いた。なにも女が食事を作る必要はないのではないか、と。出会った日から女は僕に食べさせる物を拵えてくれていたので、なんとなくそのままにしていたが、別に僕が作ってもいいし、それが億劫な時は出来合いのものを買うなり外に食べにいくなりしたっていいのだ。女と外食というのはいいかもしれないと僕は思った。一日中家の中にいるのも退屈だろうし、そろそろこの土地に慣れるようしなくてはならないだろう。
僕は女にそのように提案してみた。別に君の料理が駄目と言うわけではなく、まあ僕の口には合わないこともあるけれど、そんなことは関係なく僕は君が好きだし、君が料理をしなくたってその気持ちは変わらないんだと言ってみたのだ。女は黙ってそれを聞いていたが、僕が言葉を切って三呼吸したのちにこう言った。
「私がとくいなりょうりというのは森でたべられる草とそうでない草をみわけたりすることで、システムキッチンでハンバーグを焼いたりソースを煮詰めたりすることではないんです」
僕は驚いてちょっと笑った。女がいつの間にこんなに長いセンテンスを話せるようになっていたのか知らなかった。しかも女のいうことは的確に女自身の本質を表していた。この女には自分の知らない面がまだあるのだと思った。今自分が笑ったのは、ちょっとしたささくれのようないらだちを女に感じたからだと気づいた。女は僕を真直ぐ見て、自分の発言に対する僕の返答を待っている。唐突に僕には閃くものがあった。僕らは恋人どうしなのだ。僕と彼女は対等なひとりとひとりの人間どうしなのだ。僕は今の今までそれに気づいていなかった。知ってはいても理解していなかった。今始めて気づいて動揺している、つまりはそういうことなのだ。
作品名:システムキッチンで煮る野草 作家名:蜜虫