体感温度
のどあめ
カオルは喉飴を常備している。
飴を常備するのは、オバチャンと女子高生の常識だが、カオルはそこを敢えて喉飴でいく。
自分ではあまり食べない。
喉にスーっとする感じは、勉強の合間に合わない気がするから。
カオルがいつも喉飴を持っているのは、仲間内では有名なことだ。
時々、風邪気味のクラスメイトが申し訳無さそうに貰いに来る。
時々、ユメコと同じ演劇部のメンバーがへらへらと手を差し出してくる。
勿論カオルは、海のように広い心を持ってそれを分け与えるわけだが。
決して、キャラクタ作りのためではない。
注意すべきは、春、夏、冬。
春の理由は分らないが、夏はクーラーのため、冬は風邪のために必要だ。
普段、定休日と呼ばれるくらいに学校を休む身勝手なユメコだが、演劇の練習が始まると熱があっても出てくる。
喉を痛めると始終気にしている。
そうなったらカオルに出来ることは少ない。
心配するくらいだろうか。
けれど心配すればするほど、ユメコは無理をするから、気にしないふりをする。
そのために、喉飴。
喉が痛いというユメコに喉飴を渡して、今の自分はドラえもんのようじゃないかと誇らしくなる。
「けなげだね。」
「え?」
「ユメコ、カオルさんのことただの喉飴好きだと思ってるよ。」
「知ってる。」
「知ってるんだ?」
「それっくらいは、分かるって。」
ほーう、とエリーが可笑しそうに顔を歪めた。
背が低く少し太っていて、丸い輪郭をしている彼女の本名をカオルは知らない。
高校というのは、そういうことが往々にしてある。
エリーというあだ名と、彼女がこの部内で母親的な位置にいることしか、カオルは知らない。
「愛されてますな。」
演技がかった口調で、エリーはユメコを見た。
ユメコは舞台の方を向いて、劇の進行を見つめている。
今回は演出を務めるらしい。
真剣な表情をカオルは綺麗だと思った。
大きな目が怖いくらいに真直ぐに役者たちを見つめて、体はピンと緊張で張り詰めている。
演劇に夢中になっているユメコはとても綺麗で、出来る限り彼女の思うとおりにさせてやりたい。
そのためになら多少のことは犠牲にするだろう自分に、カオルは気付いている。
「ほどほどに。」
カオルが応えると、エリーはにやりと笑った。
「厭な笑い方。」
「いやいや、なんかね。」
「さいですか。…あ、春に喉痛めるのって何なのかな?」
ふと、考えていたことをエリーに問う。
練習はシーン別に行われていて、今のところエリーの出番はない。
一旦公演の予定が、台本が決まるとユメコの話の大半は演劇に関することで占められて、
部内の人間と肩を並べられるんじゃないかと思うほど、カオルは演劇部について詳しい。
通し稽古も既に二、三度見た。
台本は敢えて読んでいない。
それぞれの役者の長所と短所も、ユメコから聞かされて実は知っている。
そのことを少し、誇らしくも思っていたりする。
エリーについては、オバチャンなどの特定の役では並ぶ者がいないが、使いにくいキャラクタらしい。
「んー、花粉症?」
「花粉症なのかなァ。」
「ああ、ユメコ最近声変だもんね。」
「…え、分かるの?」
「分かるってー、流石に。大っきい声出してるし。」
少し、面白くないと感じつつ。
こそこそ喋っている内に稽古が休憩になった。
ユメコが駆けて来る。
遠くにいる彼女は大きく見えるのに、近寄ると案外小さい。
何か魔法でも持っているのだろう。
「カオルちゃん、喉飴頂戴。」
五つ!
無邪気に片手を大きく広げてかかげる。
そのままの形で差し出された手に、カオルは言われるまま、五つ飴を乗せてやった。
「五つもどーすんの?」
「キャストの声の調子が悪いの。」
「ああ。」
頷いた、声のトーンが幾分か下がっていた。
エリーが隣でにやにやと笑う。
どうして自分のことを二の次にするんだろう。
そういうところは気に入らないけれど、それもまた愛しいと思ってしまう自分が腹立たしい。
「ユメ。」
「ん?」
「もう一個あげる。」
「アタシの?」
「そう。ユメが食べないと駄目。」
「アリガト、カオルちゃん。」
ユメコが人形のような顔をとろんと崩して笑った。
エリーがついに声を上げて笑う。
ユメコはきょとんとエリーを見つめた後、合わせて笑い、役者の輪に戻っていく。
今からダメ出しをするのだ。
ちょっとザラついた、それでも張りを失わない声が上がる。
彼女の中の一番は、しばしば容易に彼女自身でなくなる。
だから、自分の中の一番が彼女になってしまっているんだろう。
ユメコよりもユメコを大事にするために。
心の中でそう結論付けて、カオルはエリーに向き直った。
そしてにやりと笑いかける。
エリーはそれに、溜息で応えた。