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 僕の父はたくさんの系列を持つ大きな会社の総取締役をしていた。
 母は幼い頃に病気で亡くなり、仕事で忙しい父は大きな家にはあまり帰って来ず、世話をしてくれる人たちを除けば、ほとんど1人で暮らしているようなものだった。
 父は母との結婚を反対されていたらしい。親戚と会ったことは無いともいえないけれど少なく、祖父の顔は見たことがない。母方の親戚はいないようだった。
 だから、父に親しい女の人ができたという噂話を耳にした時、薄々予感はしていた。

 中学2年の秋、有名な料亭で父親と夕食を食べた後、帰りの車の中で絶縁を言い渡された。
 絶縁といっても、実際親子関係の解消は、現在の法律ではできない。例え、他の人の養子になっても相続権は残るのだそうだ。僕は、大学までの生活費と教育費を引き替えに、その権利を自ら破棄することを約束させられた。本来なら引き替えにならないくらいおかしい内容だとは思ったけれど、僕に何か言える権利なんてない。昔からそうだ。
 明日にも、僕は遠縁の親戚に籍を移すらしい。とはいえ、その家に預けられるわけでもなく、中学校に徒歩で通える圏内のマンションを一室、買い与えられた。そこで1人で暮らせということのようだった。
 激しく現実感がないのに、毎日のご飯はどうしようとか、そんなことばかり考えている。

「明日、下校の時間に迎えに参ります。新しいお家へは、その時に……」
 渡された地図と一人には広すぎるマンションの間取りを眺めながら、僕は頷いた。いつも身の回りの世話をしてくれていたこの人とも、もうお別れなのかと思うと、少し寂しい。
「伊佐木さんは、僕がいなくなったら仕事なくなっちゃうね」
 8つ年上のまだ若い男の人は、父というよりも僕の世話を主にしてくれていた人だ。背が高くて格好良くていろんな事に気づいて気を回してくれる。僕には勿体ないくらい、優しくていい人だったから、申し訳なかった。
 僕がそう口にすると、伊佐木さんは何かを言いかけて不意に目を逸らした。
 その理由はわからなかったけれど、大学にも通っていると言っていたから、そちらに専念するのだろう。もしくは、もう他に次の仕事先が決まっているのかもしれない。
 だったら、僕には関係がない。話せないことだってあるだろう。
「明日、マンションまで送ってもらったら最後なのかな。今まで、ありがとうございました」
 座っていたソファから立ち上がって、傍に立っている伊佐木さんにお辞儀をすると、顔を上げる前にその長身が腰を屈めて僕の前にしゃがみ込んだ。
 どこか痛いのかと心配になるような顔でこちらを見ている伊佐木さんは、僕のことを初めて、「寛文くん」と呼んだ。
「君が嫌じゃなければ、俺が引き取りたい」
 一瞬、何を言われたのか分からなかったのは、内容よりも、いつもの話し方と違っていたからだと思う。伊佐木さんの話し方は、いつも丁寧で、こんなに親しい感じの語りかけをされたことがなかった。
「伊佐木さん、が……?」
「俺じゃ役不足で不安かもしれないけど……。嫌になったらいつでも君が言う通りの手続きをする。お父様へは話を通すから」
「……どうして? 僕を引き取ってもお金はもらえないよ」
「知ってる。お金じゃないよ。君がひとりになるのが嫌なんだ」
「でも……伊佐木さんの迷惑になるから」
 僕が首を振ると、伊佐木さんは僕の両方の腕をそっと掴んで、真剣な目でまっすぐ見つめた。
 不思議だった。どうしていらないと言われた僕のことを、血も繋がっていないのに引き取ろうとするのか。伊佐木さんには全然良いことなんてないと思うのに。
「それなら一年だけ、試しに一緒に暮らしてみよう」
 僕にそれを断る理由は、いくら探しても見つからなくて、言葉もなく頷くと、目の前の顔に笑みが広がった。



 僕は1年後、結婚もしていない伊佐木さんの養子という形で、籍に収まった。
 同じ名字になってしまったから、伊佐木さんとは呼べなくなってしまったので、下の名前で呼ぶことになった。
 こんなに若いのに、僕みたいに大きな子持ちなんて、恋愛や結婚の妨げにしかならない。女の人ができたら籍を抜こうと思っていたのに、何年経ってもその気配はない。
 ……どう見ても遊び人なのに。
「だから結局、慎は僕のことが好きだから引き取ったんでしょ」
「うるせーな、そうだよ。悪いか」
 思いの外、慎の口は悪かった。仕事だから猫を被っていたんだと言っていた。
「それならそうと、先に言ってくれればいいのに」
「当時のお前に言ったって、ぽかーんとするか怪しまれるに決まってるだろ」
「そーゆー趣味かと思われるよねー」
「……笑い事かよ。あんなに可愛かったのに、今じゃすっかりスレちゃって、俺は悲しい!」
「誰のせいなんだよ」
 慎と一緒に暮らすようになってから、僕の生活は少し変わった。でもたぶんこれが世間一般でいうところの普通に限りなく近いのかもしれない。
 あの頃の僕より、今の僕の方が好きだと思えることには、本当に感謝をしている。今までも、そしてこれからも。
「でもさ……一緒においでって、言ってくれてよかった」
 隣を見上げながらそう告げると、視線の先ではあの時と同じ笑みが広がって、僕は少し泣きそうになった。
作品名:another opens 作家名:深川ねずみ