コリオリの力
あの日からどのくらいの時間が流れたのだろう。気象庁は気圧の単位をミリバールからヘクトパスカルに変更し、多くの測候所が閉鎖された。私は測候所の閉所とともに仕事を辞め、自分の人生にピリオドをひとつ付け加えた。
退職後のあてなどなかった。プールの飛び込み板のようなものだ。ただ、きっかけがほしかっただけなのかもしれない。風をはらんで、しゅるしゅると世界の基点を指し示していたあの流速計とともに私も消える。流速計には<従者>がいて、流速計となりうるのだ。それはくたびれた観測員に許された、たったひとつの矜持のように思う。
コットンパンツのポケットから四つに折りたたんだメモ用紙を取り出し、バス停のベンチに腰を下ろした。メモを見ながら買い物袋の中身を確認する。高野豆腐、文鳥のボレー粉、レンコン、合いびき250グラム、シロップ(イチゴ)、大葉、オソウメン。すべての品物の個数が1なのに、ひとつひとつに一箱、一袋、一本と書かれている。妻らしいな、と思った。
ふいに視界の片隅でなにかが動いた。アキアカネだった。
アキアカネは、一般には赤トンボと呼ばれている。盛夏を山あいで過ごし、晩夏から初秋に里に降りてくる。私は時期が少し早いなと感じた。観測員は、動植物にも詳しいのが普通だ。自然に傅くこと。それが観測員の習わしだったから。
アキアカネは歩道のマンホールの上を、指揮者のタクトの軌跡を描いて飛んだ。マンホールには、午前中に降った通り雨の水がたまっていた。水面と呼ぶには狭すぎて、水深と呼ぶには浅すぎる。水たまりには、ガソリンの皮膜が薄く張り付いていた。首を少し傾けると七色の皮膜が緩々と動いているのがわかる。
水溜りの上には、人にはわからない気流の層があるのかもしれない。その層の間隙を縫うように、アキアカネは穏やかな下降と上昇を繰り返す。やがて決心したかのように、地面すれすれまで降りてくると、尾を下にして卵管を水面に浸した。何度も何度も水面に接触させるその姿は、敬虔な巡礼者の祈りを思い浮かべさせた。尾が触れるたびに、水面には淡く緩慢な波紋が広がる。
マンホールの水はやがて蒸発するだろう。そして卵は孵化しない。ただそれだけだ。<そういう>事実がひとつあるだけだ。善悪もなければ虚実もない、分別も階層も具象も抽象も。形而上も形而下も躊躇も憐憫も、そこには入り込む余地がない。そう、あるのは自然だけなのだ。それ以外は<あってはならない>のだ。
気圧計のついた腕時計を見た。1014ミリバール。あの日と同じだ。風が通り抜ける。声に出して言う。「南東からの風、風力2ないしは3」。
私は歩き出した。大腿四頭筋の力で。川へ向って、強い風が吹いてくる方へ、世界の始まりへ。路線バスが傍らを通り過ぎ、やがて小さな陽炎を作った。
<了>