アダムとトヨタ
アダムとトヨタ(1)
緩くウェーブがかった金髪、白砂に埋まった珊瑚のように鮮やかな碧眼、くねる四肢は白蛇のようにしなやかで艶かしい。その姿は、教会の天井に描かれた天使のように清らかで冒し難く、人の目を惹き付け圧倒的に魅了する。
皮膚一枚剥せば人間誰も同じ肉の塊だと僕は信じているけれども、それに唯一当て嵌まるとは思えないのが彼だ。骨格から完璧な形をしていて、その周りを程好い弾力を持った肉が覆っている。皮膚を全て剥いでも、きっと彼は美しいままで、周りの人間は崇めずにはいられないんだろう。
何処かの誰かが『彼は完璧だ』と言っていた。僕はその言葉を聞いて、納得半分、異議半分の心地に陥った。彼は完璧だ。外見的には。だけど、中身はどうか――完璧どころか不完全にも程がある。
彼は今踊っている。原色のライトがチカチカと瞬くステージの上で、完璧なセミヌードを晒して。汗に濡れた滑らかな胸元が目が眩むほど艶やかだ。
「アダム!」
女達の嬌声が響く。優雅な仕草で歩けば、彼のデニムの隙間には一万円札が次々と差し込まれていく。差し込み様に、彼の股間を一撫でする不埒な手までも現れる始末だ。彼は、それを嫌がるどころか、目を細め、ファンデーションだらけの女達の頬にキスを落としていく。女達が悲鳴に近い金切り声を張り上げる。耳を塞いで、僕は溜息を一つ零す。よくやるものだ。
彼は、数年前からストリップショーのストリッパーを始めた。初めは場末の小さなショーに出ている名もない新人だったのに、今では街一番のショーのスターになっている。法外な報酬を稼ぎ、云千万単位のチップを貰うようになっても、彼は毎晩ショーに出るのを辞めようとはしない。それを毎晩迎えに来る僕の身にもなって欲しい。
オレンジジュースを口に含みながら、横目で彼を眺める。僕に気付いた彼は、デニムの隙間から羽のようにひらひらと一万円札を零しながら、小走りで近付いてくる。そうして、半ば無理矢理僕のオレンジジュースを奪い取って、それを一息に飲み干した。上下に動く喉仏ですら完璧な形をしている。きっと彼は、神様が手ずから懇切丁寧に作り上げた最高傑作なのだろう。
「トヨタ、見テタカ!?」
微かに頬を紅潮させた彼が高らかに声をあげる。
「塗り壁にキスしてるとこまでは」
「ヌリカベ?」
「顔面を真っ白に塗装してるババァのことだよ」
一瞬目を白黒させた彼は、直ぐにぎゅっと目を細めて笑った。滑らかな腹を抱えて、地団太を踏む。そうして、デニムに挟まった一万円札をぎゅっと僕の手に握らせると、ニッと悪ガキのような笑顔を浮かべた。
「ヌリ壁、ボクのことダイスキ。ボク、ボクスキなヒト、スキ。ミンナ、スキ」
「エセ博愛主義者な発言をどうも」
「エセ、ハクアイ、スュギ、シ、ヤ? トヨタ、難シイこと言ウ。ボク、ワカラナイ」
「分かんないならいいよ。塗り壁が呼んでるから、早く行けば」
ステージの周りに座った塗り壁達が金切り声で彼の名前を呼んでいる。彼は、熱狂的に欲されている。そんな熱にあてられながらも、彼は平然としている。彼が蟲惑的に微笑んで、人差し指をそっと唇に当てれば、塗り壁達の悲鳴が一斉に止む。聞こえるのは淡い吐息だけだ。
「トヨタ、待っテテネ。アト、ワンステージで、ボクあがるカラ。ソシタラ、ゴハン食べヨ。何、食ベタイ?」
「七軒堂のフカヒレの姿似が食べたい」
嫌味のつもりでべらぼうに高いものを要求してやったのに、彼はそんな嫌味に気付くこともなく「OK!」と嬉しげに答える。そのまま、身体を寄せたかと思うと、僕の頬に掠めるようにキスを落とした。
「I love My son!」
眉を顰める僕を置いて、彼は煌くステージへと軽やかに駆けた。
愛してるよ僕の息子。そう、彼は僕の父親だ。明朗快活で、若く、途方もなく美しいアダムが僕の父親。何処からどう見ても日本人以外の何者でもない僕と血が繋がっているとは、欠片も思えない。だけど、父がそう主張するのだから仕方ない。少しでも疑う言葉を口にすれば、あの天使のような顔が悪魔へと変わるのだ。本気で怒った父は、直視するのを躊躇うほど恐ろしい。普段の無邪気さなど欠片もなく、ありとあらゆる方法で心を打ち砕いてくる。
最近は、父と血が繋がっているかという事について真剣に考えなくなった。繋がってなかったら、まあその時はその時だ、と思う。そもそも、僕と父の出会いからして、もう普通の親子とは一線を画しているのだから。