真夏の九球
三番打者の佐藤がバッターボックスに入る。細身で打球に飛距離はない、そのかわり俊足巧打で主軸を担っている怖い打者だ。俺は帽子を取って額の汗を拭う。捕手の三浦を見つめサインを確認する。
内角高めを直球でボールに。
俺はうなずきセットポジションを取る。一度真後ろの走者を確認した後、改めて打者と向き合う。俺はセットポジションから足を上げ、打者の胸元にめがけて投げ込む。
「ストライッ!」
球審が叫ぶ。三浦がボールを返してくる。バシッと俺のグラブが高い音を立てる。その勢いに捕手の気持ちが乗っていた。あいつの言いたいことは分かる。球がストライクゾーンに入ってしまった。カウントの問題じゃない、打者の胸元を攻めきれなかった。ビビんな!そう言っている。俺は外角低めのサインに頷く。
俺はセットポジションから息を一つ大きく吐いた。
速くなる鼓動にいつもの投球リズムが崩れていくような気がする。俺は足を踏み込み、外角へと球を投げ込む。
「ショート!」
三浦の叫び声が響いた。
打たれた球がふらふらと上がっていく。ショートとライトが走って打球を追う。その間をぽてん、と球が落ちた。打者は既に一塁を駆け抜けている。ライトが球を捕って、ショートに投げ渡す。回りかけた二塁ランナーは三塁へ戻っていた。
四番の山谷がのっしのっしとバッターボックスへと歩いてくる。バットをぶうんと素振りしてみせた。三浦はタイムを取って俺の元に寄ってくる。
「送るか?」
ランナー1、3塁でバッターは四番。ここでの敬遠は有効な手段だ。強打者も打てなければ意味がない。それに塁を埋めれば、どの塁に投げてもフォースアウトが取れるし、ホームゲッツーだって出来る。しかし一打同点が一打逆転の状況になる。
俺は首を振った。それは逃げたくなかったからだ。俺の我が儘だが、俺は我が儘を押し通して敵を全員ひれ伏させてエースになってきた。
今度も俺の我が儘を通しきる。
勝ちたいと、打たせないという我が儘をだ。
三浦は俺の返事に力強く、良っしゃ!と頷いた。
一球目、外角低めに速球。ボール。
0−1。
二球目、また外角低めに速球。外によれてボールになった。
0−2。
三球目、内角にカーブ。曲がらなかったが山谷がタイミングを外して空振る。
1−2。
四球目、内角低めに速球がすっぽ抜けて外角へ走った。甲高い音が響く。
ファール。2−2。
運が良かった。追い込んだ。俺は三浦のサインを見る。内角高めに速球。三浦は、来い!とジェスチャーを取った。佐藤に投げたのと同じボール球。速くなる心臓を感じながら、俺は頷いた。胸元にえぐり込ませてやる。
最高の球を投げてやろう。今日最高の。
俺は足を上げ踏み込む。
体が捻れる程に腰が回転する。
思い切り腕をふるった。
指先がボールを。
押し出した。
きいん―――――
「もう泣くな。」
試合終了後。俺は涙が止まらなかった。
「お前は負けてない、俺のリードが悪かったんだ。」
違う。
違う、俺のせいだ。そう言おうとして、口が開けなかった。口を開けば止めどなく嗚咽が出てくる気がした。俺の口は大きくへの字にひん曲がっていた。