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短編集63(過去作品)

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森を隠すなら……



                 森を隠すなら……


 あれは夢だったのだろうか。気がつけば森は消えていた。
「木を隠すなら、森の中」
 ということわざがあるが、灯台下暗しというのと、イメージが似ている。同じものが並んでいて違うものを形成しているのだから、一つくらい少し違ったものがあっても判らないというような意味だと考えていた。
 灯台下暗しというと、普段から目にしているものでそこにあっても自然なものであれば、いざとなって探してみると、案外気がつかないものだという意味と、何かを探す時には、まさか目の前にあるはずもないだろうという心理の盲点をついた発想という意味とがあるのだろうとも思える。
 田端圭介はそんなことを考えながら、帰宅の途についていた。
 その日の仕事は思ったよりもスムーズに終わり、久しぶりに明るいうちに会社を出ることができた。春の彼岸も過ぎ、次第に日が長くなってくる。定時の午後六時というと、まだ明るい時間帯だった。
 歩きながら、足元の影に目を落とす。長く伸びた影は、歪に横たわっている。それでも自分の影を自分の視線から見る分には普通なのだろう。小学生の頃、朝礼で自分の影を人の影と比べて見たことがあったが、
――こんなに歪な形なんだ――
 と人の影を見て、不思議な気持ちになったのを思い出していた。
 アスファルトから立ち上る湿気は、前日に降った雨の影響だろう。朝方まで残った雨がアスファルトのところどころに斑な色を残している。
 田端は、時々現実逃避する癖があった。学生時代からキャンプが好きで、それも一人で出かけることが多かった。
 サークルに所属していたわけではなく、あくまでも一人での行動、高校時代にワンダーフォーゲルをやっていたのも、大学に入ればいずれ一人で行動することになるのを予測してのことだった。高校時代は、あくまでも予行演習の一環に他ならなかった。
 社会人になると、さすがにあまり時間もない。キャンプを張るだけの予備知識を得る時間もなく、コテージを借りて、そこで週末のひと時を過ごすことが、今では最高の現実逃避であった。
 まわりの誰にも山に入ることは言わない。
 大学に入ってから一人暮らしをしているので、断わる家族がいるわけでもない。本当は会社にくらいは所在をハッキリさせておくべきなのかも知れないが、まだそれほど会社では責任のある立場でないことは幸いだった。どちらにしても、若いうちにしかできないことで、いずれは、別の趣味も持ちたいと考えていた。
 いつも同じコテージを利用しているというわけではない。たまに遠征してみたいこともあるし、同じところに何度も訪れたいと思う時もある。
 その時は前にも訪れたことのあるところを選んだ。仕事の関係もあったし、遠征までしようと思わなかったからだ。それは体力的なこと、気力的なこと、そのどちらでもあって、どちらでもない。微妙に絡まりあったところからの考えである。
 疲れている時でも、どこかに出かけたいと思うこともある。だが、遠くにまで行きたいとは思わない。いつも行っているところでもいいと思うこともあるし、それでは満足できない時もある。疲れているからと言って、体力的なものの限界を感じても、気力的に充実していれば、満足するために貪欲な気持ちになれるものである。それを田端はキャンプという形で実感できるのである。
 キャンプから帰ると、キャンプでのドキュメントをパソコンに打ち込んで保存している。キャンプに出かける時にメモ帳持参で、感じたことをその都度殴り書きにしていた。
 他愛もないことが多かったりするが、意外とつなげてみると一つの物語のようになっているものだ。それだけ一つの趣味に集中しているということなのか、それとも現実とかけ離れていることで、幻想的なイメージが身近に感じられるということなのか。ファンタジー小説でも書けそうな気がしている。
 田端は、小学生の頃、作文が嫌いだった。テーマを決められてはいるが、何を書いていいか分からなかったからだ。
 算数のように答えが決まっているものはいいのだが、国語のように、いろいろな考え方で答えがアバウトなものはどうも苦手だった。
「現実的すぎるのだろうか?」
 と考えてしまうが、それは小学生の頃までだった。
 現実的なわけではなく、答えが決まっていないと不安なのだ。そうでないと、出題者の裁量で得点が決まってしまうからだ。それこそ、好き嫌いの世界に入らないとも限らない。
 想像することが好きで、そのせいか山が好きである。
 海よりも山。自分でもなぜなのか分かっていないが、山の緑は海の青に比べればハッキリとしているからだ。
 空の青さも海の青さもその時々で様相が違う。山も春から秋にかけては緑鮮やかなのだが、冬になるとまったく違う佇まいを見せている。
 それでも、一日一日はあまり変わらない。海の場合は天気によって、青い海がどす黒く見えてしまうことがある。それ嫌だった。
 山の場合は、確かに天気によって様相が変わってくるが、晴れていない時の山も嫌いではない。むしろ緑色が深まって、深緑の色は、奥深さを示してくれそうだ。
 それに何よりも、山は奥に入れば入るほどまったく違う。遠くから見ている方が綺麗な場合もあるし、中に入ってしまってからの方が、深く山を感じることができる。
 海をテーマにしたファンタジーを書くよりも、山をテーマにする方が、信憑性がある。確かに海は広くて壮大だが、山のように表から見ても、中から見ても、その時々で見たい角度が代わることもない。
 田端は、湿気が苦手で、しかも潮風に当たると、必ず次の日に発熱していた。海に行った帰りに体調を崩し、その日の夜に熱が出てしまったことが二回連続で続いたことで余計に海に対してのイメージが悪くなる。
 山が苦手という人もいるだろう。
 あまりにも緑色が深いため、閉所恐怖症の人、方向音痴の人などは山に対して恐怖心を持っているに違いない。田端も、最初は方向音痴だったこともあって、山が苦手だった。だが、山に家族でキャンプに行った時、最初の晩は気持ち悪かったが、翌日になって食べた朝食で、山が好きになったのだ。
 簡易のガスコンロで、新鮮なベーコンエッグを作って食べた。焼ける時の香ばしい香りに山の新鮮な空気が呼応したのだ。山全体が香ばしさを漂わせているだけで、実においしかった。しかし、香ばしい香りは食事が終わってからもしばらく続き、余韻に浸っていたが、忘れた頃に、今度は緑の香りが漂っている。
 緑の香りとはどんなものか分からなかったが、セミが樹木を吸う時に感じる匂いである。甘くも酸っぱくも辛くもない。苦味のある濃い樹液である。
 同じ香りを中学校の図書室で感じたことがあった。
 その時、好きな女の子がいたのだが、その子は、いつも窓際で本を読んでいた。
 田端は大人しめの女の子が好きだった。
 自分も大人しめなので、大人しい女の子が好きだった。
 一度デートしたことがあった。その時は田端が自分から誘ったわけではない。まわりが応援してくれたのだ。
 今でこそ一匹狼のようなところがある田端だが、中学の頃までは、友達と一緒にいることが多かった。
作品名:短編集63(過去作品) 作家名:森本晃次