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⑦冷酷な夕焼けに溶かされて

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突然、全身を硬いものに打ち付ける衝撃で意識が浮上する。

それでもぼんやりとまどろむ意識を、じわりと鈍い痛みが揺さぶった。

じょじょに覚醒した体は、冷たい石の床に冷やされて、寒さにぶるりと身震いする。

その瞬間、ギィッと重い鉄の軋む音があたりに反響した。

音のした方をパッと振り返ろうとして、ごろんと床に転がってしまう。

「!?」

そこで、はじめて後ろ手に手錠を掛けられていることに気づいた。

「おお、お目覚めか。」

妖艶な声が、魔性を帯びて反響する。

その声に、聞き覚えがあった。

床に転がったまま、ゆっくりと顔を上げると、やはりそこに想像通りの人物が立っている。

「…覇王様…。」

カラカラの喉からは、しわがれた声しか出なかった。

「やはり、生きておったな。」

真っ赤な唇の口角がきゅっと上がるけれど、それは捕食動物そのものの獰猛な表情だった。

「ヘリオスを捕らえたと連絡を受けて以来、帝国へやって来るのを、待っておったぞ。」

(…ここは…帝国?)

だんだんと意識が鮮明になってきた私は、今度こそ倒れないようにゆっくりと身を起こす。

あたりを見回せば、窓のない石造りの牢の中だった。

ルーチェで帝国のミシェル様に何かを嗅がされたところまでは覚えている。

あれから帝国へ着くまで、意識をなくしていた、ということか。

(ルーチェのミシェル様は?)

感覚を研ぎ澄ませ、気配を探ってみたけれど、どうやらここにはいないようだ。

ルーチェのミシェル様のことを、訊ねるべきか否か…。

逡巡していると、覇王がくつくつと笑い始めた。

「ほほほっ!そんなにミシェルが気になるか?」

「っ…。」

考えを読まれた私は、一瞬言葉を飲み込んだものの、意を決して訊ねてみる。

「ルーチェの…ルーチェ王のミシェル様は、今どちらにいらっしゃるのですか?」

私の言葉に、一瞬、覇王の頬が引きつった。

けれど、それもすぐに消え、酷薄な笑顔を浮かべる。

「『ルーチェ王』…な。くくっ。
『ルーチェ王のミシェル』ならば、今頃おとぎ軍と一戦交えておるだろうなぁ。」

(…ご無事なのね!)

ホッと胸を撫で下ろす私の様子がおかしかったのか、覇王はお腹を抱えて笑い始めた。

その耳をつんざく甲高い笑い声は石牢に反響し、聴力を奪うほど狂気を帯びている。

「さぁ…果たしておまえが安心したような状況かどうか…。
なんといっても初陣で、世界最強を誇る星一族と大国おとぎの国の連合軍に勝てるかどうか…。
まぁこれで負ければ、『ミシェル』がようやくひとりになって丸く収まるということじゃがなぁ。」

「初陣?」

私は、目の前の覇王をまっすぐに見上げた。

「まさか…。」

すると、私の思考を再び読んだように、覇王が邪悪な笑顔で頷く。

「そうじゃ。
今の『ルーチェ王のミシェル』は、帝国で育ったミシェルじゃ。」

私は思わず、立ち上がった。

そして覇王へ詰め寄ろうと一歩踏み出したところで、足を何かにとられ前のめりに転ぶ。

見れば、足首に枷が嵌められ、床に繋がれていた。

「おお、おお、大丈夫か?ヘリオス。」

全く心配していない声色で、覇王が声を掛けてくる。

「おまえには、星一族に連れ去られたミシェルを取り返してもらわねばならぬのじゃ。
大事な体なのだから、無茶をするでない。」

「っ!」

(ルーチェのミシェル様は、救出された? )

胸を強打して息がうまく吸えないけれど、私は再び顔を上げ、覇王を睨み上げた。

「心配するな。
『ルーチェ王のミシェル』はおまえが傍にいる限り、死ぬことはないからな。」

「…それは、私が人質だから…?」

「そうじゃ。
でなければ、おまえなどわざわざ我が領へ連れて参る価値もないわ。」

嘲笑う覇王に、ふつふつと怒りがこみ上げる。

「そこまでしてミシェル様に初陣を踏ませてお膳立てをしなければ、あの方が王位を継承するに値しないと思われているということですか?」

「…は?」

いつも嘲るような笑顔を浮かべている覇王が、初めて真顔になった。

「帝国のミシェル様の、実際の能力は私にはわかりません。
けれど、ルーチェでお会いした限り、ルーチェのミシェル様とそう大差ないと感じました。
もっとあの方のことも信じてあげたらいかがですか?
しかも、今回が初陣。
実戦での采配を覇王様もご覧になられたことがないのに、なぜ劣っていると判断されるのですか?
こんな…私なんかを人質にして…それでたとえ勝利したとしても、それはあの方の自信にも、周りの尊敬にも繋がらない…あの方にとって何一つ良いことはないではないですか!?」

「…。」

覇王も、覇王を取り巻く騎士達も、驚いた表情で私を見つめる。

「それに…私には人質になる価値など…そもそもありません。
ルーチェ王ミシェル様の寵姫というのも偽りですし、祖国デューは既に独立した国でない。
私の生死など、政局にたいした影響を与えることもないですし、ヘリオスといえど帝国の大軍を前に、一騎でできることなど些少です。
それなのになぜ覇王様が私にそれほどの価値を見いだしているのか、正直私には全くわかりません。」

まくしたてるように言うと、覇王様が目を伏せた。

そして、くくっと小さく笑う。

「なるほどな。」

そう言う表情は、いつものような嘲るようなものでないものの、何かを企むようなものだった。

「頭の弱い武闘派の女だから、手駒に都合が良いと思って傍においているのかと思っておったが…。」

そして再び私をとらえた夕焼け色の瞳は、ミシェル様達とよく似た、考えの読めない冷酷なもので、背筋がぞくりとふるえる。

「おまえの価値など、虫けら同然だということはわかっておる。
だが、いつも想定以上に良い働きをしてくれるのでな。」

そう言いながら覇王が目配せすると、騎士達が私と覇王の間に雪崩れ込んで来た。

「まぁ、とりあえず人形にせねば、おまえは厄介でならぬ。」

そう言う覇王の姿は、騎士達に遮られてもう見えない。

「どんな人間でも、尊厳を踏みにじればいとも簡単に人形になるものよ。」

「っ!!」

覇王の言葉に合わせるように、騎士達が下卑た笑みを浮かべる。

「この牢に辿り着くには、王や王位継承者しか解除できぬ複雑な罠が多数ある。
いくらミシェルがおまえらのもとに居ても、目の見えぬあやつが手引きすることは不可能じゃ。
さすがの星一族も、手引きなしではここまで入り込めぬ。
よって、助けは来ぬから、心が壊れるまで存分に可愛がってもらうことじゃな。」

甲高い笑い声が壁に反響して、魔物の咆哮のように響き渡った。

屈強な男達から逃れようと後ずさるけれど、鎖で繋がれた身ではどうすることもできず、すぐに捕らえられる。

「触らないでっ!!」

無駄だとわかっていても、抵抗の言葉を叫んだ。

その瞬間、口の中に何か液体を流し込まれる。

「!?」

ほんのり甘い香りのする無味の液体は、咽喉を流れ落ちながら、通った道筋がわかるようにその部分を熱くしていった。

「っう…!」

焼けるように熱くなったところから、じりじりと痺れが広がる。