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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上

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6. 暗がりの街


「どうしても、思い出せないんですね」
 もう一度、念を押すように少年は言ってから、歌うよな口調になって続けた。「私の名前は、マルカ」
「マルカ……」
「そうです。本当に忘れてしまったのですね」
「……」
 暖野は黙ったまま、マルカと名乗る少年を見つめ返した。
 少年は帽子を取って、それを軽くはたいた。彼の髪は黒く艶やかだった。
「マルカって言ったわね?」
 どれだけの間、黙って見つめ合っていただろう。暖野が問う。
「ええ」
 沈黙が破れたことに安心したような表情になって、彼は言った。
「あなたは――」
「何です?」
「あなたは――」
 暖野は呼吸を整えて言い直す。「私を、待っていたの?」
「そうです」
「どうして?」
「どうしてって――。それは、まだ言えません」
「どうして言えないの?」
「それは、いま私の口からは言えないということです。私はただ、遣わされただけですから」
「ということは、他にも誰かいるのね?」
「ええ。少なくとも、あと一人は」
「ねえ――。マルカって呼んでもいいのかしら」
「どうぞ。あなたが名付け親なんですから」
「私が? 私、あなたなんか知らないわ」
 表情も変えないマルカの言葉に戸惑いつつ、暖野は言った。
「そんなことはないでしょう」
「夢の中で。――それとも、これも夢だということなのかしら」
「あなたの夢に現れたのは、私です。そうでもしないと、ノンノは気づいてもくれなかったでしょうから」
「あなた、今――」
「どうしました?」
「暖野って――」
「言いましたよ。だって、あなたはノンノでしょう?」
「そうだけど。私、まだ名前を言ってないわ」
「あれ? そうでしたっけ。私はてっきり――」
「あなた、最初から知ってたのね」
「ええ」
 少し間を置いて、マルカは頷いた。
 マルカと名乗った少年は、彼女の名前を知っている。そして、マルカという名前は暖野自身が付けたものだという。これは一体どういうことなのだろうか。
「とにかく行きませんか? 実を言うと、あまり時間がないのです」
「行くって、どこへ? それに時間がないって、どういうこと?」
「質問が多いですね。まあ、まとめてされても困りますけど。――とにかく、歩きながら話しましょう」
 マルカはそう言うと、先に立って歩き出した。
「だって私、何も知らないのよ。そもそも――」
 暖野はその後を追いながら言った。たとえ不本意ではあっても、ここに一人でいるよりは話し相手がいた方がまだましだ。「そもそも、私はどうしてこんなのことになったのかさえ解らないんだもの」
「解らないことなんて世の中には幾らでもあるはずでしょう。単に解らないと思い込んでいるだけで、本当は解りたくないということも結構あるのではないですか? そのあたりのことは、もう充分にあなた自身が経験で知っていることのはずです」
「私がいつ、そんな経験をしたのよ?」
「忘れているだけですよ、今は。まあ、そうしなければならなかった、と言った方がいいのかも知れませんが」
「どういう意味よ」
「あ……」
 マルカは慌てて自らの口を押さえた。
「ねえ。あなた、何を隠してるの?」
「隠しているわけじゃないんです。ただ、今の時点で話すのが適当でないだけで……」
 マルカが言葉尻を濁す。
 忘れている――?
 そうしなければならなかった――?
 それは私が? それとも他の誰かが、私に忘れさせなければならなかったってこと――?
 思考が、暖野の頭の中を駆け巡る。
「あなたは――」
 暖野はマルカを見据えた。睨みつけるような視線で。「一体私のことを、どこまで知ってるの?」
「すみません」
 マルカが謝る。「本当に、今は言えないんです。今のノンノが、少なくとも今のままであるために、それは必要なことなんです」
「私、今のままなんて嫌だわ」
 そりゃそうだろう。このまま知らない街にいるのなどまっぴらだ。
 そうでなくとも恋人の一人もいないまま、何の変哲もない日々が続くことなど、考えただけでも恐ろしい。
 マルカは、そんな暖野をじっと見つめた。
「本当ですか?」
「そりゃ、そうでしょう? 私だって時が経てば、それなりに変わってゆくわ」
「そうですね。私の言い方が拙(まず)かったんです。私はただ、今の時点でのノンノが他のあらゆる時点のあなたの幻影に悩まされないように、と言いたかったんです」
「……?」
「今は、解る必要はありませんよ」
 マルカは言って、前を向いた。
 二人はそれからしばらく黙って歩いた。
 石畳の舗道はどこまでも続くかに思えた。道の両側に建ち並ぶ建物もデザインに多少の差こそあれ、概ね似たようなものだった。道の真ん中には線路があるが、電車がやって来るようでもなかった。
 後ろをふり返ってみると、さっきまでいた駅がもうかなり小さくなっている。
「どうかしましたか?」
 マルカもふり返って訊く。
「ここには、誰もいないの?」
「この街にという意味ですか?」
「ええ」
「そうですね……」
マルカは暖野の横に並ぶと、少し遠い目をした。「昔――こういう言い方が許されるなら、ですが――以前は、こんなふうではなかったそうです。街角には人が溢れ、市街電車(トラムが行き交い、本当に賑やかだったと。ここにもノンノの知っている町と同じように、人々の生活があったのです」
「あなたは、直接には知らないのね」
 マルカの言い回しが気になって、暖野は訊いた。
「ええ。さっきも言ったように、私は遣わされただけなんですから」
「そこら辺にも、事情がありそうね」
 しかし暖野は、敢えてそれは訊かないでおくことにした。あの口ぶりでは、どうせ詳しくは知らないだろうし、答えてもくれないだろうからだ。
 それよりももっと重要なことがあった。
「――それで、どうして誰もいなくなったの?」
 そう、以前はどうだったかよりも、何故そうなったかの方が大問題なのだ。
「それは……」
 マルカが言いよどむ。
「それも、言えないのね」
「いずれ、ノンノは総てを知ることになります。でも、今はまだその心構えもできていないでしょう?」
「これから何が起こるかも分からないのに? 開き直れってことなのかしら?」
「自棄(やけ)を起こさないでください」
「……分かったわ……」
 ため息とともに、暖野は言った。とにかく、ここで口論しても仕方がない。
「でも――」
 暖野は口を開きかけた。
 マルカがその先を促すように、暖野を見つめ返す。
「ううん。何でもない。ただ――」
「何です?」
「私、帰れるのかな、って」
「そうですね……」
 マルカが心もち首を傾げる。
 それを見て、暖野は言葉に表せない不安が胸を支配するのを覚えた。
 私は、このまま戻れないのだろうか。このままずっと、ここに――
 暖野はその考えを慌てて振り払う。
 全部、夢なんだ。これが醒めたら、私は家のベッドに横になって――
 待って。私は確かバスに乗っていたのではなかったかしら。じゃあ、居眠りしてしまったんだわ――
 幾つかの交差点を過ぎ、薄暗い路地を覗き込んでみることにも次第に飽きてくる。普通の町のように、変わった店があったりするわけではなく、ただ暗いだけなのだ。