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天空の庭はいつも晴れている 第4章 頻伽鳥の歌

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〈章=第4章 頻伽鳥の歌〉

 アニスが目を覚ましたのは夕刻を過ぎていた。部屋の隅に置かれたろうそくに火が点っている。部屋の小さなテーブルには夕食の盆が置かれ、その横でシャムが腕を組み、こくりこくりと舟をこいでいた。
 何が起こったのか少しずつ思い出す。御寮様に連れて行かれた家。幸せな家族の光景。雨。帰り道に襲ってきた恐怖。太った男のたくましい腕。御前様の手。それから煎じ薬。
 アニスはシャムの方を見た。彼はアニスより六、七歳上の庭師見習いだ。バシル親方の知人の息子という話だった。家業はパン屋だが、兄が二人いたし、草木の世話をする方が好きで、三年前に親方に弟子入りしたという。
「シャム」
 呼ばれて彼はビクッと体を震わせて目を覚ました。
「ああ、アニス」大あくびをしてシャムは思い切り腕を伸ばし、ひょいとアニスの方を向く。「大丈夫か?」
「うん。ついててくれたんだね、ありがとう」
「いいってことさ。晩飯はそこにあるぞ。食えるか?」
「うん」アニスはベッドから出てテーブルの前に座った。食欲はあまりないが、トルハナを手にとり、スープで煮た野菜をはさんで食べる。
「食べたら食器下げてやるよ。だから落ち着いてゆっくり食え」
「うん」
 話す気分にもならないアニスを気遣ってか、シャムは何も言わずにいる。いつもはアニスを弟のようにかわいがってくれるし、いろいろなことを教えてくれるのだ。新しく植えた花のことや、街で流行っている歌、どこの茶店の揚げ菓子がうまいか、そんなことを。
 やっとのことで夕飯を食べ終えたアニスから、食器ののった盆をシャムは片手で受け取った。そしてもう一方の手でアニスの髪をくしゃくしゃとなでる。
 「気にするなよ。おまえはすぐ他人に迷惑をかけるのを嫌がるけど、辛いときはお互い様だ」
 アニスはうなずいた。
「曇りでも雨でも、その上にお天道様は輝いてんだぜ。今日はよく寝ろよ」シャムはそう言ってドアを閉めていった。
アニスはもう一度布団に入る。
 時々眠り、時々目覚める。うつらうつらとした中で夢を見た。

 緑の芝草の庭で、逝ってしまった家族がみんなで手を振っていた。
 空が悲しいくらいに青い。

 誰かと手をつないで歩いていた。不穏な雲が低く垂れこめ、遠くに山並みが見える。
 風にザワザワ騒ぐ枯れ野。足元が暗い。

 岩肌の露出した山で黒い服を着た男たち。四つの棺桶を引いている。

 黒い塊が押し寄せてくる。呑み込まれ、押しつぶされる。苦しい。息ができない。
「助けて!」母さんさんの声だ!

 アニスは飛び起きた。汗びっしょりの体を恐怖が包んでいる。
静かだった。聞こえるのは自分の荒い息づかいだけだ。妙に明るいと思って見上げると、天窓から十三夜の月がのぞいていた。気持ちが落ち着くとともに、悪夢は霧が風に吹きちぎれるように薄れていく。その代りに襲ってきたのは、平穏に生きていることへの罪の意識だった。
(僕も一緒に死ねばよかったんだ……。お情けでここに置いてもらったけど、みんなに迷惑かけてしまう)
 発作を起こすたびに、周囲の人間が見せる、戸惑いと同情、嫌悪が入り混じった表情。『悪霊憑き』という心ない言葉。
両手で顔を覆い、アニスは暗い思いに必死に耐える。
(もう……嫌だ)
 黒い渦に呑み込まれていくような気がした。土砂崩れの後、彼の胸の中に小さく生まれた渦は時がたつほどに大きくなっていた。
(だめだ、こんなこと考えちゃ。こんな僕を父さんや母さんはきっと悲しむ。もう二年になるのに……。もっと、強くならなきゃ。思い出しても平気なくらいに。でないと……)
 ベッドから出て、薄い上着を羽織ると外に出た。眠れそうになかった。
アニスは水辺が好きだ。ハトゥラプルの家が川の近くだったせいだろうか。アビュー家の庭園にも小川が流れているが、夜、眠れない時に行くのは井戸端だった。屋敷の庭園は主人のものであり、召使が楽しむものではないからだ。用もなしに立ち入ることは禁止されていた。
 洗濯台に腰かけ、月を眺める。昔話に聞いたことがある。月の女神は冥界の番人でもあるのだと。しかし、月の出がない新月の日は番人がいない。いじわる爺さんはその隙を狙って、隠された宝物を求め、冥界へ忍び込んだのだという。
(僕もあっちへ行きたい。そしたら父さんや母さんに会えるのかな)
 その昔話では、いじわる爺さんは女神の怒りをかって、こちらの世界に戻れなくなったという。
(戻れなくてもいいや。向こうでみんなと一緒に暮らせるんなら)
 だが、冥界の入口がどこにあるのかわからなかった。
 何が不満なのかもわからない。みんなよくしてくれる。御前様も使用人仲間も。仕事もなんとかこなしている。今日みたいに具合悪くなっても、みんないたわってくれる。だけど……いや、だからこそ辛かった。自分だけが安穏と暮らしていることが許せなかった。
 ふと、横を見ると。井戸の口が黒々と開いていた。胸をわしづかみにされたように、アニスは固まった。あれは冥界につながっている? 今まで水を汲むだけだったが、今夜は妖しく手招きしているような気がする。彼は背中を押されるように立ち上がった。
「幽霊でも出てきそうかい?」
 驚いて振り返るとルシャデールだった。
「御寮様……」
「大丈夫?」
「はい、……昼間はすみませんでした」
「おいで、庭に何か来ている」
 ルシャデールは手招きした。アニスは立ち上がり、彼女についていく。
月の光の下、夜の庭園は幻想的だ。木々や草花は柔らかな風にそよぎ、藤の眩惑的な甘い香りが漂ってくる。糸杉の陰に半ば隠れた隠者小屋からは、月に誘われて本物の隠者が出てきそうだ。少し離れたところを流れる小川がちらちらと光っている。
 そして、そこに流れる銀の旋律。
「聞こえる?」少女がたずねた。
アニスはうなずく。小川の向こうで何かが歌っている。
「頻伽鳥《びんがちょう》だよ。ユフェリに棲む鳥だけど、たまに地上に降りてきて歌うんだ」
 ルシャデールは石の長椅子に腰かけた。アニスもその隣に座る。
 この世のものと思えぬ、銀鈴を振るように澄んだ声。荒れた心も凪いでくる。聞いているうちに、その歌は何かを伝えようとしているように思えた。アニスはじっと耳を傾ける。
 コロコロと笑う赤ちゃんのような、それを見て微笑む母親のような。言葉にするのは難しい。
 さっきまでの暗い思いは消え、幸せな気持ちがアニスの胸に広がっていく。
「伝えたいんじゃないかな。みんなに『大好きだよ』って」
 ルシャデールは思わず彼を見た。頻伽鳥が降りてくるのは、着飾った貴族の娘が豪華な輿に乗って街を練り歩くようなもの、ぐらいに思っていた。気まぐれで、貧しい粗末ななりの人々に、自分の贅沢な衣装を見せびらかすように。
 彼女の眼にはオレンジの樹に止まる頻伽鳥が二羽見える。鮮やかで濃い空色の羽毛に被われ、頭部は金色の長い冠羽で飾られていた。一羽が主旋律を、もう一羽が副旋律を歌い、見事なハーモニーを作り上げている。悠久の調べは微かに哀しみを宿し、深い慈しみを降り注ぐ。
「ずっと遠い昔から、あの鳥はこうやって地上に降りてきて歌ったのかな」
アニスは聞くともなしにつぶやいた。
「そうかもね」