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第八章 交響曲の旋律と

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4.金環を巡る密約−2



 ルイフォンは、回転椅子に背を預け、ふぅと盛大な溜め息をついた。
『メイシアの父、コウレンには、なんらかの事情があり、敵に従わなければならない状況にある』
 これが、皆の一致した見解だった。
 その『事情』を探るため、ルイフォンは仕事部屋に籠もり、情報の欠片を集めていたのだが、空振りばかりだった。
 彼は、癖のある前髪を乱暴に掻き上げた。
 ――こんなことをしていても、埒が明かない。こそこそ調べ回るのではなく、直接、話すべきだ。
 ルイフォンは椅子から立ち上がった。メイシアと共に、コウレンのところに行こうと思ったのだ。
 彼女はきっと、不安な思いをしていることだろう。そばに居てやるべきだったかもしれない。駄目だな、と反省して、自分の頭をこつんと叩く。
 ちょうどそのとき、扉がノックされた。来訪者は、まさに逢いにいこうと思っていた相手、メイシアだった。
「ルイフォン!」
 取り乱した様子で、彼の名を呼ぶ。
「い、今! ハオリュウが私の部屋に来て……」
 息を切らせて話す彼女の頬が、薔薇色に染まっていた。
「メイシア、落ち着け。何があった?」
「ハオリュウが、お父様から事情を聞けたって。説明するから、イーレオ様と三人で、お父様の部屋に来て、と――」


 窓から入り込んだ春風が、レースのカーテンをゆっくりと揺らしていた。
 穏やかな動きの影が、ベッドで半身を起こしたコウレンの横顔で踊り、彼はわずかに目を細める。それは、影と表裏一体を成した光の舞の眩しさ故か。あるいは、勢い込んで現れた愛娘に向けられたものか――。
「あ、あのっ……、お父さ……」
 開きかけたメイシアの口を、ハオリュウが「姉様」と柔らかく、しかし毅然とたしなめた。そして彼は、視線の先を彼女の後ろにいるイーレオに移す。
「本来なら、こちらから出向くべきところを、お呼び立てして申し訳ございません」
 ハスキーボイスを鳴り響かせ、ハオリュウが頭を下げた。
「父はまだ、立ち上がると目眩を起こす状態でして……。ベッドからで失礼します」
 そう言いながら、ハオリュウは椅子を勧める。
 父親のコウレンはといえば、軽くこちらに顔を向けただけだった。凶賊(ダリジィン)を相手に、余計なことは言うまいと身構えてでもいるのだろうか――。
 どうにも感じが悪い。
 ルイフォンは、ふと、斑目一族の別荘で、初めて対面したときのことを思い出した。同行していたリュイセンが、コウレンを見て呟いたのだ。『貴族(シャトーア)、だな』と。
 あのときは思わずリュイセンに掴みかかってしまったルイフォンだったが、こうしてみると確かに感じる。言うなれば、判で押したような貴族(シャトーア)だ。
「父様――」
 沈黙したままのコウレンを咎めるように、ハオリュウが声を漏らした。しかし、彼は首を振り、父にはそれ以上、何も言わずにイーレオと向き合う。
「――すみません。父は囚われていたトラウマで、人間不信と言いますか……凶賊(ダリジィン)に対する嫌悪感がどうしても拭いきれないのです。どうか、ご理解ください」
 取りなすハオリュウの眉間には、悲壮感すら漂っていた。そんな彼を慮るように、イーレオが魅惑の微笑を浮かべる。
「これまでのことを考えれば、当然のことだろう。気にする必要はない」
「そう言ってくださると助かります」
 ハオリュウが、ほっと安堵の息を吐く。そして、少しだけ緊張の緩んだ顔で「父に代わり、僕がお話させていただきます」と言った。
「実は――父は『女王陛下の婚礼衣装担当家を辞退する』という書状を書いてしまったそうです」
 その瞬間、部屋の中に空白が生まれた。誰もが声を詰まらせ、春風だけが抜けていく。
 やがてメイシアが、かすれた声で呟いた。
「お父様……」
「姉様、仕方ないよ。父様は、先に囚えられていた僕の命を盾にされたんだ。しかも、ご自身も囚われの身で迫られたら、冷静な判断なんてできないよ」
「あ、ううん。私はお父様を責めるつもりはないわ」
 メイシアが慌てて首を振る。ハオリュウは、異母姉に相槌を打つように頷き、それから続けた。
「その書状は斑目一族が持っています。だから父様は、斑目一族の言いなりになって、イーレオさんを捕まえる手伝いをしようとした、というわけです」
「つまり、〈蝿(ムスカ)〉は、わざと親父さんを逃したんだな」
 ルイフォンは唇を噛む。苦労して救出したつもりが、掌の上で踊らされていたとは……。
 だがそこで、ハオリュウがにっこりと笑った。
「でも、その書状、無効なんです」
「はぁ?」
 わけが分からない。
 ルイフォンは顎をしゃくり、「どういうことだ?」と苛立ちの声でハオリュウを促す。
「貴族(シャトーア)の正式な書状には、封の上に指輪の家印を押すものなんです。でも指輪は、僕が持っていました」
「あぁっ……」
 メイシアから、高い声が飛び出す。
 彼女は思わず出てしまった大きな声に顔を赤らめ、口元を抑えた。そんな異母姉に、ハオリュウがにこやかに微笑んだ。
「直筆の書状なので効力があるのでは、と父は脅えていたのですが、これは無効です。何か言われても、僕がきっちり反論してやります」
「おい、ハオリュウ。――ということは……?」
 思わせぶりな話の進め方がもどかしく、ルイフォンが掴みかからんばかりに詰め寄る。
「ええ。僕の誘拐から始まった一連の事件は、もう終わったんです」
 ハスキーボイスが響き渡り、ハオリュウが凛然と宣言した。その眼差しは、徐々に顔をほころばせていく異母姉に向けられている。
 メイシアは瞳を潤ませながら、傍らのルイフォンを見上げた。彼の手が、彼女の頭に伸びてきて、くしゃりとする。細められた猫の目は、いつもなら獲物を狩る獣の鋭さを放つのだが、今は優しさに満ちていた。
「イーレオさん」
 ハオリュウが、イーレオに声を掛けた。
 コウレンへの配慮からか、ずっと静かに見守っていたイーレオは、凪いだ海のような穏やかさで「ご苦労だったな」と、そっと囁く。
 深い色合いの瞳に、ハオリュウはどきりとした。嘘まみれの彼には、そんな慈愛の微笑みは眩しすぎた。
 ――けれどハオリュウは、自分を奮い立たせる。
「父と僕で、話し合いました」
 澄んだ、真剣な声が響く。
「藤咲家の次期当主は僕です。けれど母の身分が低い僕は、立場が弱い。姉様を利用して藤咲家を我が物にしようとする輩が、今後も現れるかもしれません。だから――」
 ハオリュウはそこまで言って、ベッドの上の父を見やった。今まで人形のように、ただそこにいるだけだったコウレンがゆっくりと頷いた。
 ――そして、しゃがれた声で宣告した。
「そうなる前に、メイシアを鷹刀ルイフォン氏のもとへやろう」
 場が、一気に湧いた。
 ルイフォンがメイシアを抱き寄せ、くしゃくしゃと頭を撫でる。そのメイシアの瞳からは、あとからあとから涙があふれ出ている。
 イーレオがにやりと口の端を上げ、果報者の息子の背中を叩く。
 そのそばで――。
 ハオリュウは、哀しいほどに切なげに笑っていた。


 数時間後、ハオリュウは再び、父の部屋を訪れた。
作品名:第八章 交響曲の旋律と 作家名:NaN