小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
とーとろじい
とーとろじい
novelistID. 63052
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

磨き残しのある想像の光景たち

INDEX|2ページ/10ページ|

次のページ前のページ
 

1.1 ジャージの行進



世界は嫌な音を立て始めた。踏切の音と車の走る微かな騒音とが、ベッドの上にまで届いてきた。安いマンションの三階、私は結局眠れずに、悪夢みたいなこの音を受け止めた。気怠い気分だった。身体は疲れているのに心の不具合で眠りにつくことができない。深夜の静けさが続いてくれたら心も遂には折れて眠ってくれるだろうに、こんな地響きみたいな音が鳴りだすと神経はますます尖るようだった。
暁には、人間のちょっとした独り言が、青白く冴え冴えとした世界の空へ、繊細に響き渡る。仄かになった月を見ると、世界に薄白い膜が張られていて、それはやがて厚みを増し、人々の騒音に耐えられるよう備えているのだと、そんな思いがしてくる。静けさに満たされているような時間は、まだ眠れない私を許してくれる、穏やかな時間だった。しかしいつのまにか不健康な朝を迎え、気づけば乱暴な生活音が轟々と、我が物顔で散らばりきっているのだった。
憂鬱と焦燥は頭を荷物のように重くしていた。体は言うことを聞かず、眠気は全然効果をなくし不能になっているのに、私を刺し続ける、強姦な呪いに変わっていた。横になりながらカーテンをちゃんと閉めた。耳の上のあたりを、鈍い振動が、気長にも締め付けて離さなかった。時計を見るのは怖かった。大体こういう時は、楽しい時間があっという間に過ぎるよりももっとはやく時計の針が進んでいるのだ。
部屋は暗く沈んでいた。ずっと仰向けでいると、背中は煎餅布団みたいに硬くなり、寝返りでも打たないと吐き気がしてくるのだった。窓の方に体を向けると、ちょうどカラスの鳴く声が聞こえた。ふと、ゴミ出しのことを思い出したが、動く気にはなれなかった。中くらいのビニール袋が二つほど溜まっていた。もしいま体を起こして立ち上がったら、そのまま眠れなくなる気がした。私はあくまで眠りたかった。
カラスがまた鳴いた。するとバイクの音が聞こえ、すぐにマンションの前の駐車場に入ってきて、止まったようだった。多分郵便配達のバイクなのだろう。エンジンの音はガタガタガタと単調に続き、この人通りの少ない住宅街のうちに停留していた。ガチッと一瞬鋭い音がして、バイクは再び走り始め、すぐに遠のいていった。
救急車の音が、遠くに聞こえた。音は微妙に横へはズレるものの、その移動は遅々としていた。途方もなく遠い、霞の向こうの道から届くために、その中途で透明度を失い掠れてしまっている、そういう音だった。長く引き伸ばされたそのサイレンは、しつこいくらい私のもとを去らなかった。私だけが聞いている幻聴ではないか、と疑うのも無理はなかった。実際、それだけ弱々しく居残っている音だった。
赤いランプが脳裏にチラついたからだろうか。それともその音が消え入ったかどうか判然としない煩わしさのせいだろうか。体が薄気味悪くほてってきて、横になっているだけなのに息切れがした。冷蔵庫の低い運転音が(私はそれも苦手なのだが)頭の中で再生され、ジーーと鳴り続け、痺れる感覚がする。

「ファイッオー、ファイッオー」

何かを聞いた、と思うと、それはすぐにランニングの掛け声だということがわかった。近くの学校の運動部だろう。男の集団の声が、少し離れた位置からにわかに聞こえてきた。もうそんな時間なのだろうか。何時かはわからなかったが、カーテンから漏れた光は、曇り空の先端が入り込んできたかのように、暗い部屋と対照に明るく差し込んでいた。

「ファイッオー、ファイッオー」

近づいてきている。段々とその声が明瞭に聞き取れるようになっている。私は大きく息を吐いたが、息苦しさは変わらない。どうでもいいはずのこんな掛け声に、自然と、意識が焦点を合わせていた。車が前の道路を走り去ると、声は一度掻き消されたが、すぐに一層大きく響いてきた。

「ファイッオー、ファイッオー」

このマンションはちょっとした丘の上にあるが、どうやらこちらに向かって登ってきているようだ。今まで掛け声は何度か聞いたことがあったが、この時間帯は大抵寝ているので、何か不思議な感じがした。
私は彼らの姿を想像した。赤いジャージに身を包んだ、おそらく高校生の、体つきのいい、刈り込んだ頭の、角ばった顎付きの、肌は焼けていて、目は少し細まって、体力にまだ余裕のある、肩のあたりがいい具合に脱力した、統率の取れた一群。足元にある、歩道のわきのブロックが、家の入口で切れて、そしてまた始まる。茶色のレンガや緑の垣根を横目に、どんどん彼らは進んでくる。

「ファイッオー、ファイッオー」

坂の下だ。それもこのマンションのすぐ下の坂だ。そのまま来るとこのマンションの前を通ることになる。近い。どうしてこっちに来るのだろう。普通に大きな道に沿って走るなら、こちらに来ることもないのに。確かに来ている。大きくなって、より明瞭に聞こえてくる。遮るものがなくなったためか、突然すぐそばに来た感じがする。
その時、車の音が坂の上から素早く降りてきたかと思うと、聞き慣れたバック音が始まった。プー、プーと高く鳴り、このマンションの駐車場に乗り込んだそれは、間違いなくゴミ収集車だった。
瞬間的なその音に思わず気が散ってしまったが、男らの掛け声は続いていた。そしてそれは奇妙なくらい、ゴミ収集車の到着と符合していた。あたかも申し合わせたかのように、私の近くへ同時に集まってきたのだ。

「ファイッオー、ファイッオー」

彼らはこのマンションに入ってくる。収集車のわきを通り、駐車場に入ってくる。あの赤いジャージの、整然とした列が、私の部屋に向かってやってくる。そうしてゴミを回収する若い男は、手を動かさずじっと佇み、私の部屋を見上げている。収集車の、回転する圧縮板の黒い喉元は、今から用意される一人の体を待っているかのように、予行練習をしている。私は男たちに羽交い締めにされ、今からこの中に押し込まれるのだ。赤いジャージの男らが歩調を乱さず、マンションの玄関に入り、階段の下に来る。
ーーーー不意にそんな光景がよぎると、荒い呼吸が、波打つ心臓が、ドキリと止まった。本当にそんな光景を見た気がして、毛布の中、全身がこわばった。