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水難事故に対する水泳と、地震に対する……

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■ 避難訓練、耐震住宅や都市計画だけで足りるのか

 昨今、南海トラフ巨大地震が取り沙汰され続けています。
 国内外から報告される地震による被害の映像や数字を見ながら、同情を寄せるとともに、それが我が身においていつの日か再現されるのではないかという想像は、日本人の大半がしたことがあるものでしょう。そういうわけでエネルギーと時間を投じて避難訓練がなされ、お金を投じて耐震住宅が建てられ、同じく防潮堤が造られて、それらの必要性は非常に納得できるものです。
 が、しかし、皆さんは、何かが足りないとはお感じになったことは無いでしょうか。皆さんの心配は、払拭されたでしょうか。
 家や町を、そのように造った。造ることにした。地震が起こった場合には、どういう品々を抱えて、どういう経路でどこに避難するかを決めた。そして、そのとおりになぞってみた……それらはそれらで、現実に望ましい備えです。
 そして、更に、僕がその欠けを……補うべきを指摘すれば、それは、「揺れに対する慣れ」です。揺さぶられる恐怖の克服です。

■ 水難事故に対する水泳のように

 僕も、得意というわけではありませんが、一応泳ぐことができます。僕が子供の頃は体罰が普通に容認されていた時代で、泳ぐのを怖がるクラスメイトが先生によってプールへ投げ込まれていたシーンが記憶にあるのですが(苦笑)、まあしかし、それぐらいにシリアスな要請があったのだという追認もできるにはできます。つまり、これは僕も大人になってから知って驚いたのですが、義務教育施設に付属するプールも、水泳の授業も、過去の水難事故を教訓としてわざわざ採用されたとのこと。
 そういう前世代の犠牲と努力のおかげで、僕たちは水に対する一定の免疫が得られ、水の中で自分をコントロールできる能力と自信を得られたわけです。さすがに、海や川の中に投げ出されたいとは思えませんが、それでも、投げ出されたとしてもただ無力になりはしないだろうという、一定の安心感を持って過ごしていられるわけです。
 と、ここで、ひとつの類推がされないでしょうか? つまり、「地震についても、同じようなことはできないのだろうか?」というのがそれです。
 猛烈な揺れの中に不意に投げ出されても、無力になってしまわない心。無力になってしまわない体。それらの準備ができていれば、家具の転倒や家屋の倒壊に、無力なままで巻き込まれなくて済むのではないでしょうか。より多くの生命や身体が、損なわれずに済む可能性は無いでしょうか。

■ 地震を逆手に取ってやれ!

● 第一に、自助活動として

 では具体的に、どういうことができそうでしょうか?
 僕がちょっと思いついただけであって、滑稽の感と洗練の余地があるとは思いますが、例えば、各家庭や各学校に手押し車を用意して、定期的に時間を取って、誰かがその台車に乗り、別の誰かがそれをさまざまなペース――遅いものから速いものまで――で繰り返し押し引きする、というのがそれです。
 各家庭において日課として実施してもいいし、各学校の体育の授業において定期的に実施してもいいでしょう。これだけでも、揺れ――少なくとも、横揺れ――に対して、感覚が慣れていくはずです。恐怖が薄れていくはずです。台車は決して大きくないので、這ったり歩いたりする訓練はできないのかもしれませんが、少なくとも、「恐怖のあまりに、腰が抜けて動けない」というほどに身体能力を喪失して、そのまま家具や家屋に圧死させられてしまうという危険性を、多かれ少なかれ減らせるのではないでしょうか。
 ヒトとは面白いもので、鍛えていて自信を持っていると、その能力を発揮する場面を楽しみにできるようにすらなります。そこまで余裕を備えることができれば、特にこの地震が多い日本での生活・人生において、非常な強みだと言えるでしょう。

● フィットネス、身体能力の向上、高齢者の転倒防止として

 先に、「水難事故に対する水泳のように」と書きました。
 さて、この「水泳のように」を念頭に、この地震という災害を逆手に取ることを考えれば、次は「フィットネスに役立ててやれ!」と言うこともできます。
 自助活動の段落で書いたようにすれば、台車の上に乗っている人は、(寝そべってしまわないかぎりは、)絶えずさまざまな――普通の日常生活では、使わないような――筋力、敏捷性、平衡性、巧緻性を鍛えられることになります。もちろん、台車を押し引きする人の側にとっても、フィットネスの機会になるでしょう。
 そして、これを適切に実施すれば、高齢者及びその予備軍――つまり、あらゆる人が該当します――の、転倒防止能力の向上にも繋がるのではないかと想像します。ご存じのとおり、高齢者の転倒は、骨折からの寝たきりを招き、その人の QOL を著しく下げるものとして、非常に危惧がされています。
 自助活動の訓練をしながら、こういう身体能力の向上をもできれば、それはまさに一石二鳥になるでしょう。

● スポーツとして、それも五輪種目として!

 ヒトには遊び心があり、危険な場所すら楽しもうとする勇気があり、これまでにいろいろなレジャーやスポーツを誕生させてきました。
 陸上をヒトのホームとして、パルクール、ここまで話題にしてきた水泳、そしてサーフィン、スキューバダイビング、登山、ロッククライミング、スケート、スキー、スカイダイビング等々……ヒトがレジャーやスポーツのフィールドにしてしまったところは、本当に多様です。
 が、しかし! 今のところ、「地震」がスポーツのフィールドにされたとは、寡聞にして知りません。
 というわけで、水難事故対策が五輪種目にまで連なっているように、緯度の高い国々に住む人たちがウィンタースポーツを誕生させたように、僕は地震が多い国に住む者のひとりとして、「アースクェイク・スポーツ」を誕生させたい! と思うのです。
 と言っても、正直に申し上げて、目下具体的なアイデアはありません。
 ただし、次のような条件を抑えるべきだろうことは解ります。

1.合目的性 …… 本旨である「自助活動」の効果を絶対に持つべきだ、ということです。格闘技を習う人は強くなりたいのであって、踊りを覚えたいのでは決してないわけですが、そういう話です。
2.競技性 …… "sports" は「競技」という意味だそうで、つまりスポーツを名のるからには当然の話です。何かのスコアを競うのか、何かのゴール順を競うのかは目下見当も付きませんが、とにかくゲーム性を持ち、そのために意欲も増して技術も増すような、競技人口も観衆も増すような、そういう何かでなくてはなりません。
3.安全性 …… あえて書いておきますが、これも当然に大事です。重大事故を招きやすいのであれば、本末転倒になってしまいます。
4.体系性 …… 素人のケンカに対する格闘技のように、洗練された技術の体系になる必要があります。震動する舞台における基本姿勢、基本動作や連続動作のパターン等々のノウハウを取りそろえ、それらがトレーニングに値するようになります。