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夕霧

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5 弟の行方


 夕子は園から戻ると食事を取るのも忘れ、今日聞いた園長の話、それから前にやってきた弁護士の話を照らし合わせ、よく考えてみた。
 
 
 自分には間違いなく弟がいる。そして、母はその弟の存在をひた隠しにしていた。なぜか母は、あの稲村繊維との関わりを一切絶つ、それこそが弟の幸せと考えたのだ。だからこそ、愛しいわが子を手放すことにも耐えた――もしも自分が見つかった場合のことを考えてのことだろう。それは断腸の思いだったに違いない。
 そして、弟の存在を私にまで隠したのは、いずれこのような時が来ることを予感していたのだろうか? その時、私が巻き込まれることのないようにと考えたのか――知らないことは何も話せないのだから。
 
 私に幼き日の母との記憶はない。しかし、弁護士の言う通りなら、母はどんな思いで徳次郎の申し出を受け入れたのだろう。すべては私のためだったかもしれない。
 町一番の富豪に世話になりながらも暮らし向きを変えなかったのは、母の強い意志で、自分ではどうにもならない父の借金だけを助けてもらったのだろう。そう考えると、少しずつではあるが、事実として受け入れられる気がしてきた。母にはそうするしかなかったに違いない。
 
 そして、母は子どもを身ごもった。その子が女の子だったら、私たちの生活はそのまま続いていたのかもしれない。でも、生まれてきたのは徳次郎が異常なほど警戒している男の子だった。
 養子に出すよう迫られた母は、当然その申し出を拒んだだろう。しかし、この件に関しては、あの徳次郎は絶対に許すことはない。それがわかった母は、幼い私たちを連れて徳次郎の前から姿を消した。それでもいつか見つけ出されることを怖れ、弟だけをどこかに託したに違いない。将来その子に一切の累が及ばぬよう、誰にも見つけられない所に――そして、生活を建て直すため、私を園に預けたのだ。 
 しかし、あの社長がその気になれば、どんなことだってできるはず。ひとりの人間を探しだすことくらい容易いことだろう。母はどうやってその手から弟を逃そうとしたのだろう? 知人になど預けたらすぐに見つけ出されてしまう。
 
 
 夕子は懸命に考えた。誰にも気づかれない知り合いがいた、そうとしか思えない。夕子は次に、母との昔の思い出をたどった。
 そしてそれは、母との別れが近づいた中学の終わり頃までやってきた。その頃、母の病は重くなり入院していた。夕子は学校帰り毎日のように病室の母の元へ通った。そして思い出した、母が珍しくアイスを食べたいと言った日のことを。それも、モナカアイスが食べたいと。
(そうだ、あの時の母はどこか変だった)
 その時感じた違和感が、あの日の母との会話とともに鮮明によみがえってきた。
 
 
「美味しいわ、懐かしい味がする」
「お母さん、そんなにアイス好きだったっけ?」
「ううん、友だちがね、このモナカアイスが好きだったの。学校帰りによくつき合わされたわ」
「高校時代?」
「ええ、間中孝子さん、姓が最中に似ているから、共食いね、なんて言ってね。
 たかこは孝行の孝って書くんだけど、その名前の通り、彼女は親孝行でね。でも、お父さんが人を傷つけてしまったの。犯罪者の家族ということで、彼女の家族は町を出て行ったわ。そして、私は母から一切関わってはいけないときつく言われたの」
 
 
 その後しばらくして、母はこの世を去った。
 その時は、母が病床で昔を懐かしんでいただけたと思ったが、よく考えてみると、不自然なところがいくつかあった。
 友だちの話など一度もしたことがなかった母が、もうほとんど食事もとれないというのに、最中アイスを欲しがり、私に友人の名を印象付けようとしたこと。
 そして、何より違和感をもったのは、親しかった友人が辛い状況に追い込まれたのに、それをあの母が放っておくだろうか? ということだ。いくら親の言いつけでも、友だちを見捨てるようなことはしないのではないか? それも高校時代という思春期真っただ中の大切な友人だ。
 そして、もうひとつ思い出した。病室に卒業アルバムを届けたことがあった。それもちょうどその頃だったと思う、母が見たいから持ってきてくれと言ったのは。その時は、それもまた、単に懐かしさからだと思ったが、もしかしたら何かを記したのではないだろうか。
 
 
 夕子はその夜、母が遺した物がしまってある段ボールを押し入れの奥から引っ張り出した。そして、母の高校の卒業アルバムを見つけ机の上に置いた。隅から隅まで見落とさないよう、何か変わったところがないか確認した。中途退学したであろう間中孝子は、もちろん載っていない。どの写真にも変わったところはなかった。セピア色に古ぼけ、あちらこちらにシミがついているだけだ。
 後ろに載っている住所録にも目を通した。今のように個人情報保護法などなかった時代は、こうして巻末に教師と生徒の住所が記載されていた。
(私の考え過ぎだったんだわ。本当にただ懐かしくてアルバムを欲しがったのね……)
 そう思って、アルバムを閉じようとした時、ふと黒い点のようなものが目に止まった。
 それは住所録の一人の生徒の住所の番地の上にあった。そして、さらに注意深く見てみると、その黒い点は他にもあった。ボールペンで軽くつけたような点を、メモ用紙に書き出してみた。
 見・山・晴・5・3・町・2・津・市――
 並べ替えてみると、津山市晴見町532……漢字や数字の並びは何通りかあるが、これは間中孝子の住所を示しているのではないだろうか、夕子はそう直感した。
 
(やっぱり、母と間中孝子さんは密かに交流を続けていたに違いない。そして、母は大切なわが子を信頼する彼女に託した。窮地に助けを求める相手などほかにいないはずだ。そして何かの時、そうまさにこのような時のために、私にだけわかるよう弟の行方に繋がる孝子さんの所在を遺したのだろう。
 お母さん、私ちゃんと見つけたわよ!)
  
 夕子は母の想いが私の中に伝わってくるような気がした。すると、もうひとつ夕子の中で閃いた。
 今度は住所ではなく、名前の欄に目を凝らした。そして、見つけた――ボールペンでかすかに付けられた印。それは、聡、という漢字の上にあった。
 弟の名は聡――
 夕子は、住所の並び順を幾通りか考え、明日の朝早く、出かけることにした。もしかしたら、稲村の関係者に見張られているかもしれない、夜が明ける前に家を出ようと決めた。
 
作品名:夕霧 作家名:鏡湖