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のしろ雅子
のしろ雅子
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未生怨(みしょうおん 中巻

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第一章 祈之十五歳の頃 1

「最近、祈之が生意気で…」祈之が中学三年に進級すると、学校から呼び出しの連絡が入った。担任との懇談はマネージャーに任せ事後報告を受けた亜子は珍しく祈之を気にかけた。
 大学の付属校のこの学校は、小学校から高校までの一貫教育で、エレベーター式に中学、高校と上がっていくが、その都度成績、素行などでふるいに掛けられる。
「成績が悪いらしいのよ…このままだと高校進学ちょっと危なくなるって、一クラスの人数ぐらい落ちるらしいわ…」 亜子は右手で首を切る真似をした。
「正夫とか言うあの少年のせいじゃないの?知識も教養も何も無いんだから、一番影響受ける年頃にくっ付けて置くのが間違っているんじゃないの?」
 亜子の殆どの企画を手掛けているこの男は亜子と組む事によって一流のプロデューサーの仲間入りをしたと言っても過言ではなかった。亜子の人気に旨く乗った一人と言える。
「あの二人くっ付けて置かない方がいいよ…何でも夜中、祈之があの少年の小屋に通ってるって噂聞いたよ」
「嘘!…本当?」
「取り返しが着かなく為らないうちに、きっちりとあの少年に自覚させなきゃ…祈之の教育係は俺の甥にやらせようか?今K大学の二年生だけど親父は財務省のエリート官僚だよ、マナーも教養も特一だよ」
 何時に無く熱心にプロデューサーは亜子に進言した。
「財務省って…貴方のお兄さん?…」
「いや…妹の旦那、切れ者だよ東大の法科途中退学して財務省に入ったエリート中のエリートだよ」
「…そう」亜子は視線を外し軽くいなした。
 亜子は興味をそそられるとわざと無視する様な所があった。 今それに少し似ていた。
「祈之はまだ子供なのよ、まわりの中学生よりうんと幼いわよね」
「どうだか…母親が知らないだけじゃ無いの…」
「そうかしら…」
 亜子は、甘える祈之に正夫が包み込むような優しい眼差しを向けるのを何度か感じた事はあった。祈之はまだ寝んねだけど正夫は…。それに取り合えず正夫に勉強は教えられない、誠実ではあるけどきちっとした躾けもされていない、何しろ母親は気違いなんだから…。祈之の成績も落ちるはずだとプロデューサーに指摘され、それも最もだと思った。
 それに…亜子は視線を彷徨わせた。祈之の教育係に財務省官僚の息子も悪くは無い…。亜子はその少年と会ってみることにした。

 その日もやはり祈之が学校に行ってる間の出来事となった。
「奥様が呼んでらっしゃるよ」と婆やに呼ばれ、正夫は裏山から降りて来ると、庭先の方へ回った。服は土埃で汚れ首に巻いたタオルで払いながら、テラスから部屋の中を窺い頭をちょっと下げた。
亜子はハーブティーをギリシャの旅先で買い求めたお気に入りの陶器のカップで飲みながら一人の少年と談話をしていた。暫く正夫を待たせたまま亜子はハーブ茶の薀蓄を語り、少年と会話を続けた。その少年はメタリックな淵の眼鏡を掛けて仕立ての良さそうなスーツを身に着け、その所作は品良く、年上の女性に対する敬意を払ったその態度は育ちのよさを感じさせ、礼儀を弁えた会話は充分な教養を思わせた。亜子は艶やかな媚びる様な笑いをたてハーブの話に切りをつけると正夫をチラッと手で指し示し
「うちの雑役をやっている正夫です」
 と少年に引き合わせた。
「これから祈之の面倒を一切見てくれる事になった森一彦さんよ、K大学の二年生。お父様が財務省のお役人なのよ、今まで祈之を躾ける人が居なかったので、お勉強もマナーも今ひとつ、一彦さんと知り合う事であの子の人生がうんと変るわ。雑務をやって暮らすなら正夫でいいけど…」二人は微かに蔑むような笑みを浮かべた。
「これから祈之を磨き上げて貰うのよ。彼には素晴らしい人生が約束されているの。今まで貴方が祈之の身の回りの面倒を見てくれていたけど、これからは教養と知性を身につけさせたいの…私が何を言いたいか解るでしょ?これからは祈之と関わらないで欲しいの。今まで貴方が面倒見ていたから後を追うと思うけど一切無視してね。貴方がちょろちょろ顔出すと祈之も迷うだろうし、一彦さんもやり難いわ。始めは不自然かもしれないけど、何しろ祈之を徹底的に避けて、口も一切利かない様にして頂戴。祈之にも言って聞かせるけど貴方が自覚しないと…祈之はまだ子供だからね」当惑する正夫を見つめると
「貴方のお母さん十年も見たんだもの、それぐらい協力して頂戴。祈之が貴方の小屋出入りするらしいけど必ず鍵を閉めて、そして絶対に開けないで。貴方と祈之は住む世界が違うのよ…解った?」 見つめる二つの顔の前で正夫は頷いた。
 亜子の言い方は思い付きで人の感情をまるで無視したものであった。それは彼女の生き様を表し、欲しい物は取る、要らない物は棄てる、意とも簡単でその魅惑的な美貌で無理押しごり押しを生き抜いてきた。十三年寝食を共にした二人に、今日から口も利くな、目も見るな、知らない者同士に為れと言っているのである。正夫は部屋に残された細々とした祈之の物を纏めると、祈之が学校から戻らないうちに婆やに手渡した。その中にはあの垢塗れの兎も入っていた。 
 そろそろ祈之の帰る時間だと、先ほどから霞のように降り出した空を見上げ祈之が濡れて来ないかと案じられた。山の上から窺うように見下ろすと、春時雨に濡れる坂道を、髪をびっしょりと濡らして祈之が上がってくるのが見えた。
 
 自分が祈之に教えてやれる事は何も無い、無力である事を正夫は知っていた。先ほど亜子の華やかな挨拶が聞こえ、車の発車するエンジン音が聞こえた。祈之と一彦を引き合わせ、挨拶を終え どうやら森一彦が帰って行ったらしい。
 晩春の宵はとっぷりと暮れ霞みの様な雨は消えていた。外の水道で顔と手足を洗っていると、祈之の泣き叫ぶ声が微かに聞こえていた。

 正夫が仕事を終え小屋に戻ろうとすると婆やが台所の戸口から顔を出した。
「まさちゃん、ご飯出来ているよ」と声を掛けた。
「本当にこれから小屋で一人で食べるのかい?奥様がそお言うんだけど…」
 婆やは肉団子の煮物、もやしのお浸し、ご飯と味噌汁を盆に載せながら困惑気味に聞いた。正夫は食事の事は聞いてなかったが、そうか…もう始まっているんだな…そお言う事かと納得し盆を受け取った。婆やは中をちょっと窺うようにして声を潜めると、
「坊ちゃん、奥様の稽古部屋に閉じ込められたらしいけど…何かあったの?…」と気掛かりそうに聞いた。正夫は微かに二、三度頷くと盆を持って小屋に戻った。亜子の部屋の続きに、防音設備の着いた稽古の部屋があり、祈之はそこに居るらしかった。正夫は灯りもつけず、台の上に手付かずの盆を置くと、そのままベットに仰向けた。ジーッ闇を睨み付け、今日一日の顛末を考えていた。亜子の言う事は最もだ、自分の存在が祈之の障害に為る事に始めて気付いた。社会の風圧から祈之を守るために生きてきたが、その役目は終わったんだ。祈之にしてやれる事は祈之から離れてやる事なのだ、もう子守は必要ない、これから必要なのは教育だろう。 自分が祈之に寄り添う意義は無くなった。