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第七章 星影の境界線で

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2.眠らない夜の絡繰り人形ー2



 この夜、鷹刀一族の屋敷で眠りにつけた者は、親を失って引き取った年少の子供たちくらいのものだったであろう。そうした子供たちですら不穏な空気を感じ、たびたび目覚めては世話役のメイドたちに抱っこをねだっていた。
 故に、この屋敷は幼子すらも完全には眠らぬ、不夜城……。
 ――否。
 とある一室に、眠る者の姿があった。
 その部屋では、白衣に身を包んだミンウェイが、薄いゴム手袋の手で薬を調合していた。長い黒髪は後ろでひとつにまとめられ、今は背で波打っている。ごく淡い緑色の壁に囲まれた室内は、天井に無影灯を備えており、銀色のワゴンの上で銀色のメスが光っていた。
「ここは……手術室か何かのつもりか?」
 三白眼の男が、斬りつけるかのような眼差しで周囲を見回していた。警察隊の緋扇シュアンである。
 作業に集中しているのか、ミンウェイからは返事がない。シュアンは、なんとなく癇(かん)に障る。
「おい、ミンウェイ!」
 それは彼自身が想像していたよりも遥かに大きな声で、彼女の白衣の肩がびくりと上がった。
 シュアンは「あ……」と口の中で小さく声を転がす。どうやら、今の自分は随分と余裕がないようだ。らしくないな、と自嘲する。
 ――実のところ、ミンウェイもまた、はっと表情を引き締め、散漫な自分を戒めていたのだが、そのことにシュアンが気づく由(よし)もなかった。
「あら、呼び捨てですか?」
 振り返ったときのミンウェイは、いつもの穏やかな微笑を浮かべていた。そんなに親しい間柄だったかしら、と暗に言っているようだが、怒っているわけではないらしい。
「ああ、それは失礼。では、『ミンウェイ嬢』とでも、お呼びしましょうかね?」
 そんなシュアンの皮肉めいた冗談に、ミンウェイがくすりと笑う。
「『ミンウェイ』のほうがいいですね」
「なら、いいだろう?」
「そうですね」
 ふたりは和やかに笑いあったが、どちらの心にも暗い影が落ちていた。
 シュアンは、部屋の中央に据えられた、二台の手術台とでも呼ぶべきものに目を向けた。
 そのひとつには、警察隊が鷹刀一族の屋敷を襲ったとき、指揮官と共に執務室に押し入った巨漢が寝かされていた。ミンウェイによると、薬で眠っているとのことだが、念のため、両手両足は台に拘束されている。
 警察隊の制服を着ているが、シュアンの知らない顔であり、斑目一族に属する凶賊(ダリジィン)だと思われた。この男は、指揮官とは協力体制にあるのだと思っていたが、どうやら指揮官の監視役だったらしい。
 そして、もうひとつの台で眠っているのは――。
「ローヤン先輩……」
 美形というには、あと一歩足りないが、面倒見がよく、人のための苦労を喜んで背負い込むような男であったから、警察隊内外で人気があった。
 新人のころのシュアンの憧れ――兄貴分とすらいえ、正義感に燃えていた時分のシュアンと肩を組みながら『いつか、世を正す』と絵空事を本気で謳(うた)っていた。
 ひょっとしたら、よりまっすぐだったのは、シュアンのほうだったのかもしれない。だから彼は、矢のように、ぽっきり折れてしまった。けれどローヤンは、しなやかな弓のように耐え、今もなお力強く弦を震わせている……はずだった。
「あなたに良くしてくれた方だと聞きました」
 ミンウェイが静かに言った。
「はっ。理想主義の甘ちゃんだったよ」
 シュアンは斜に構えた凶相を作り、うそぶく。ローヤンとは、とうの昔に喧嘩別れした。今更、感傷に浸っても仕方ない。
 ミンウェイは薬瓶を持ったまま、物言いたげな瞳で、じっとシュアンを見つめた。だが、それ以上、ローヤンに関しては何も言わなかった。代わりに、こう言う。
「あなたから、血の臭いがします」
「言ったろ、斑目の取り引き現場から直行してきた、って。――見苦しい凶賊(ダリジィン)を数匹、血祭りにあげてきた」
 シュアンは、三白眼でミンウェイを睨(ね)め上げた。
 押収した麻薬を目の前に、言い逃れをしようとする輩を撃った。今まで警察隊の目を逃れ続けてきたのが嘘であったかのように、あっという間の捕物だった。
「さすが、鷹刀の情報だ。無駄がなかった」
「そうですか」
 ミンウェイは無表情に、ただ相槌を打つ。
「それより、この部屋はなんだ? てっきり地下牢みたいなところで拷問するのかと思っていたが……」
「あなたがおっしゃった通り、『手術室』ですよ」
「あんた、もぐりの医者か?」
「医師免状は持っているので、もぐりではありませんね」
「ふん……」
 シュアンは、ミンウェイの爪先から頭までを、三白眼でひと舐めした。
「で? お医者の先生は、これから何をするつもりなのさ?」
 ふたりの『患者』の体から伸びたコードが、それぞれのモニタ画面で規則的な波形を描いていた。これから美人の女医に、どう惑わされ乱されるのか。普段のシュアンなら血走った目を爛々(らんらん)と輝かせながら、涎を垂らさんばかりに興奮し、期待したことだろう。
 しかし、今日はそんな気分になれなかった。
「少し、お話しするだけですよ」
 柔らかな声に静かな微笑み。だが、目は笑っていない。これが冷たい氷の眼差しというのなら理解できる。
 違うのだ。
 瞳にまるで揺らぎがない。『目は口ほどに物を言う』との言葉がある通り、誰しも感情が目に現れるものだ。なのに、完全なる凪――。
 ミンウェイは慣れた手つきで点滴の用意をし、針を巨漢の手の甲に刺した。
「自白剤か」
「脳を少し麻痺させて、嘘をつくという発想をなくしてもらうだけです。あなたも警察隊員なら多少の知識はあるでしょう?」
「ああ、習った気がする。……LSDやチオペンタール――麻薬や睡眠薬とかだな。意識を朦朧とさせる目的だ。あと、毒草もあったな。名前は確か……ベラドンナ」
 その瞬間、ミンウェイが片付けようとしていた薬瓶を取り落とした。
 がしゃん、と大きな音を立てて、瓶の欠片が飛散した。透明な液体が床に広がり、シュアンの足元まで流れてくる。
「おっと」
 その液体の正確な名前は知らないが、どうせ危険なものだろう。靴を履いてはいたが、シュアンは思わず飛び退いた。
「おいおい、どうしたんだよ? あんたらしくもないな」
「あ、ああ、すみません」
 勿論シュアンは、ミンウェイがかつて〈ベラドンナ〉という名の暗殺者だったことは知らない。だから、彼女も緊張しているのだと素直に捉えた。
「ちょっと失礼します」と、隣室まで掃除用具を取りに行くミンウェイの後ろ姿を見送り、シュアンは、ふと気づいた。
「よう。お目覚めか?」
 巨漢の濁った目玉が、ぎょろりとシュアンを見ていた。硝子の割れる音が刺激となり、気づいたようだ。
「ここは……?」
 点滴は既に落ち始めている。だが、まだ薬の効果は出ていないだろう。
「あんたに質問は許されちゃいない。あんたは質問に答える役だ」
「ああ、あなたは鷹刀イーレオの部屋で、私を撃った警察隊員ですね。……ということは、ここは警察隊……いえ、違いますね。鷹刀の屋敷だ」
 巨漢は、頬から首へと刻まれた大きな刀傷を引きつらせて嗤った。その傷跡のそばには、シュアンがつけた擦過傷が赤く並んでいる。
作品名:第七章 星影の境界線で 作家名:NaN