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短編集27(過去作品)

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 そういえば朝から何も食べていない。時間的にもそろそろ昼下がりの、いわゆる「午後のおやつの時間」が近づいているような時間帯である。朝から何も食べていなくてこの時間ともなれば、いつもであればお腹の減りをどこかで感じてもおかしくないはずである。しかし、今日に限ってはまったくさっきまではお腹の減りを感じなかった。むしろ、部屋に入って座った瞬間に訪れた空腹といってもよい。琥珀色から上がってくる煙のすぐ横にサービスなのだろうか、少しお菓子のようなものが置かれているのに気付くと、コーヒーよりも先にそちらを口に入れた。
 そして、少し落ち着くと、口元にコーヒーカップを持っていった。
――ふぅ、落ち着いた――
 この部屋に入ってほとんど時間が経っていないにもかかわらず、すっかり落ち着いたような気分になってしまった。つい立が擦りガラスになっていて、その向こう側が窓になっているのか、明るさが漏れている。どうやら窓側が西にあたるようで、きっと、西日が傾いてくる時間帯が近づいていることだろう。
 落ち着いて少し経ってくると、何となくお腹の当たりに違和感を感じてきた。
「キリキリ」
 という音が聞こえているように感じるのは気のせいだろうか?
――胃が痛い――
 と感じたのは、その時だった。最近、時々胃が痛いという自覚症状を感じていたが、久しぶりに刺しこむような痛みだった。本当は胃薬を飲みたかったが、とりあえず様子をみることにした。
 今までであれば、大抵これだけの痛みを伴った時は、徐々に収まってきて、そのうちに胃のあたりの感覚が麻痺してきてすぐに痛みが治まっていた。まるで足がつった時のように胃に違和感とともに、熱さが残るのだが、それもしばらくの間だけ。気がつけば治まっていることが多い。
――それにしてもこんな時に――
 いつもであれば、仕事をしていたり、自宅の部屋にいる時だったりと、一人の時が多いので、胃薬を飲みにいけるのだが、今日のように訪問先であればそうも行かない。だが、放っておけば治るのが分かっているのは。きっと不幸中の幸いではなかろうか。
 しかしさすがに痛みを感じている間は額に脂汗を掻いているのが分かっている。いたいのを我慢しているのも、いつものことだが、その間に一人でいたいと思うのも無理のないことで、先生が現われないことを内心願っていたのだ。案の定、痛みに慣れてくると、急激に痛みが引いていき、胃のあたりの感覚が麻痺してきた。銅像どおりである。
 胃が痛む時というのは、得てして何もないことが多かった。実際それほど実生活でストレスの溜まるようなこともしていないし、仕事上でも今のところ対人関係でのイライラもない。何もない時に痛くなるのは、ふっと気を抜いているからではなかろうか。最近ではそんな風に思うようになっていた。
 そんな時だっただろうか。
「それではよろしくお願いいたします」
 つい立の向こう側から女性の声が聞こえる。
「ええ、かしこまりました。私におまかせください」
 声の感じからは、少し落ち着いた感じではあるが、それほど年を取っているわけでもない男性の声である。どちらかというと好きなタイプの声かも知れない。
 女性の方の声も、少し鼻にかかっているようで、それがセクシーさを醸し出しているように感じられ、
――初めて聞いた声ではないような懐かしさ――
 を感じた。本当は席を立ってつい立の向こうを除きたい衝動に駆られていたが、来客で依頼者の身で、そんなことができるはずもない。
 扉が開く音がして、
「本当によろしくお願いします」
 という声が聞こえ、扉のところで振り返った女性が最敬礼している様が想像できる。そしてそのまま扉が閉まる音が聞こえた。
 革靴の音がゆっくりと響き、つい立の向こうに消えていった。音の主はきっと新宮先生であろう。声の感じからは信頼できる先生であるということは、間違いないように感じられた。ただ、私にこの種の知り合いがいないことだけが、少し気にはなっているのではあるが……。
 女性がお願いに来るということは、きっと切実な依頼なのだろう。今であれば、ストーカー問題や、プライバシーに関わる問題に違いない。どちらにしても守秘義務を身上とする探偵業、真意が明かされることもない。そのために、応接室を個室にして、待合室をつい立で仕切っている。
 何といっても法曹関係に携わる人たちは、私とはまったく別世界のように思っていたので、思わずまわりを見渡さずにはいられない。
 あれは数日前のことだった。
 思い病の床にある父が人払いをしてまで私を一人、病室に呼んだ。
「義弘、すまないが、探偵に知り合いがいれば、この女性を探すように頼んでくれないか。この件は、かあさんにはもちろん、誰にもいうんじゃないぞ。お前の独自の行動でお願いしたいんだ。決してお前にとって悪いことじゃないんだ。本当なら私が起きていって探したいのだが、どうやらそうも行かないようだ。だからお前に頼む。どうか、この女性を探してくれないか」
 そういって、私に一人の女性の写真を見せた。
「もう、これから数年経っているので、年齢としては三十歳に近いかも知れない。名前は中島聡子という。ひょっとして苗字は違うかも知れないが、本当に探してほしいんだ」
 私の腕を握り締めた父の手に力が入って痛いくらいだ。
「一体この人は誰なんですか?」
 聞いてみたが、
「今は言えないんだ。探し出してくれて、ここに連れてきてくれれば、話をしてやる」
「この人はまさか、お父さんの?」
 それ以上は言わなかった。いや、言えなかったのだ。その時の父の情けなさそうな顔を見れば、それ以上、口から出てくる言葉もない。
 しばらくの間、父との間で重たい空気に包まれ、沈黙が続いた。どれくらい長かったのか分からないが、気がつけば、西日が病室に差し込んでいて、長い影を作っていた。それが自分のものであることは分かるのだが、これほど不気味なものだということを、初めて知った気がした。
 ちょうど、探偵事務所の待合室に西日があたっているように見えて、その時のことを思い出していた。父の顔が西日にあたって、それまで見たこともないような不気味さをかもし出していたのだ。
「義弘、とにかく何も言わずに協力してくれ。金に糸目はつけない。とにかく探し出してくれたらいいんだ」
 病床の父にそこまで言われると、私も無下に断れない。それにしてもこの迫力、病気のどこから来るのだろう。今まで知っていた父とは思えないところがある。
 父は、中小企業の社長をしていて、子供の頃はやり手の父親を、とにかく怖いと思っていた。あまり近づくこともせず、近寄れば何か言われそうで怖かった。やけどしないほどの適度な距離を保つことが正解だったのだ。
 そんな父は、ほとんど家にいることはなかった。それは私にとっては嬉しいことだったが、どこで何をしていたのか、きっと夜は接待などで忙しかったに違いない。当然、料亭や高級クラブなどで呑むことも多く、まわりに女性がいっぱいいただろう。そんな中の一人や二人と仲良くなっても不思議ではなく、何よりも私が父親の立場でも、仲良くなっているはずだ。
作品名:短編集27(過去作品) 作家名:森本晃次