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短編集24(過去作品)

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紆余曲折



                 紆余曲折


 寒風吹きすさぶ道を歩くのは慣れていたはずだ。特にこのあたりへはしょっちゅう足を踏み入れているので、暗い時間帯でも角を曲がればどんな風景が飛び込んでくるか分かっているつもりだ。いや、暗い時間帯だからこそ分かるというもので、足元から伸びる長い影まで把握している。
 その日も一定の距離を保って立っている街灯に照らされてできた影が、タコの足のように放射線を作っていた。
 最初の頃は足元を見ていてできる影が気持ち悪く、それでも気が付けば足元を見ながら歩いていた。しかし、今はそれが習慣のようになってしまって、足元を見て歩かなければ落ち着かない。聞こえるのは遠くから響いてくる犬の遠吠えというだけの閑静な住宅街、足元を見て歩いていると時間を感じないですむのだ。
 目的地までに何本の角を曲がることになるのだろう? 今までに考えたこともなかった。最初連れてきてもらった時はただ無我夢中で、道など覚えていなかった。二度目からは一人でいけるようになったが、なぜ覚えていたか自分でも疑問に感じている。どこを曲がっても同じような光景が飛び込んでくるだけの迷路のような住宅街、袋小路に入ってしまっても仕方ないと思っていた。
――この道が本当に一番の近道なのだろうか?
 角を曲がりながら考える。曲がって見える光景が先ほど見たのと同じに見えるからだ。
 それにしても風が強い。
――まるで吹雪だ――
 きっと風が強くなければいくらか暖かいかも知れない。コンクリート塀からはみ出している木の枝が揺れているのを見るだけで、身体の芯からゾクゾクしたものを感じる。しかも湿気を帯びているせいか少し濡れて見えるコンクリート塀に当たって、風がまともに身体を貫くである。
 何度角を曲がってきただろう? 曲がった数が認識できなくなると、目的地が近づいた気がするのは実に皮肉なことだ。
 気持ちにスッと緊張が走った。いつもであれば期待に胸を膨らませ、目的地の暖かさが堪能できることを楽しみに歩いてくるので、緊張感が走ることはない。住宅街に入ってからここまで誰ともすれ違わなかったのはいつものことだった。
――シチューが食べたいな――
 そう感じたのも頬を切るような冷たい風のせいだろう。吹雪の中で一本のマッチを擦って暖かいものを想像したという「マッチ売りの少女」の話が頭を掠めた。
 目的地が見えてくると、余計に腹が空いてきた。部屋からは赤々と電気が漏れている。何度この光景を見たことだろう。これが最後になってしまうのではないかという危惧が頭から離れず、目に焼き付けておこうとするのだが、強い風のせいでまともに見ることができない。焼き付けたくないという気持ちもあるのかも知れない。
――焼き付けておきたくないという気持ち――
 目的が今までと違っているからだろう。まるで戦場にでも向かうかのように気合いをいれなければならない。寒さなど感じている場合ではないのだが、どこか逃げ出したい気持ちもあり、部屋に電気がついていたことが少しショックだった。
 部屋に入ればどちらが先に匂ってくるかでその日の気持ちが分かるというものだった。美味しそうな匂いを先に感じるか、甘美な香水の匂いを先に感じるかで、自分の欲しているものがわかる。要するに「食欲」か、「性欲」かである。
 しかし遅かれ早かれ、どちらも満たしてくれる。部屋に入るまでの昂ぶりは、部屋に入ってからの興奮とはまた違った味わいがあり、どちらがより興奮できるかは一概に言えない。
「チーン」
 エレベーターが軽い振動を伴って六階で止まる。今まで心地よかった振動だったが、今日は気持ち悪く感じる。六階についた瞬間、今自分がどこにいるのか、一瞬忘れてしまったかのようだ。
 扉が両側に開くと、冷たい風が吹き込んでくる。シャキッとしなければならないのでちょうどいいのだろうが、逃げ出したい気持ちを誘発しているようで複雑な心境だった。
 乾いた靴音が通路に響き、こだましている。いつもと同じスピードであっても、きっと違って聞こえていることだろう。物悲しさのようなものが壁に反響し、余計に乾いた音を響かせているような気がする。
 早鐘のように脈打つ胸が最高潮に達した時、私は目的地の前で立ち尽くしていた。いつもなら、すぐにでも扉を開けて中から漂ってくる暖かさと香りに酔いしれたいと思うのだろうが、どうしても入るまでに時間が必要な気がして仕方がない。こんなことはもちろん初めてだ。
 ノブを回す手に力が入る。鍵を開けなくても最初から開いていた。この時間に私が来ることは、相手には伝えてある。
 扉がいつもより軽く感じられたのは、それだけ力が入っていたからだろうか。グッショリ掻いた汗で手が滑りそうになるのを抑えながら、さらに力が入る。
 暖かな空気が、湿気を帯びて襲ってくる。普段よりも熱く感じるくらいで、甘い香りはいつもよりきつい。
――暑すぎるな――
 玄関に入って最初に感じたことである。開けた扉が自動ドアのように静かに閉まる。途端に息苦しさを感じたが、こんなことは今までになかった。
 私が靴を脱ごうとして前屈みになった時である。
「あなた一体どういうつもりなの?」
 部屋の奥から罵声のような声が聞こえた。声はもちろんこの部屋の主であり、私が会おうとしている本人である。普段の甲高い声は聞きなれているが、裏返りそうな焦ったように早口で捲し立てるような言い方を聞いたのは初めてである。
「あなたといると、つい甘えちゃうのよ」
 と言いながらいつも甘ったるい口調で話す彼女は、名前を浦添瑞樹といい、私の恋人である。私は名前を福重正信という。
「どうしてなの?」
 ある日聞いた私の質問に、しばし考えていたが、
「あなたが大人だから、あまり興奮したり怒ったりとかしないでしょう?」
「そうでもないよ、君が知らないだけさ」
 と口では言ったが、確かにそうかも知れない。瑞樹の前での私は意識して作っているわけではないが、あまり怒ったり興奮したりすることはない。
「そうかしら? 信じられないわ」
「君が僕の怒るようなことをしないからさ。それが君のいいところなんだよ」
 だからこそ瑞樹を恋人として選んだのだ。ガールフレンドで恋人候補は何人かいた。しかしその中から恋人として選んだのは、自分が一緒にいて落ち着けて安心できる相手、そして自分が大人として付き合える相手だった。それには過去の記憶があったのだ。
 三十歳の声が近づいてきた今だからこそ落ち着いて大人の関係を続けていられるが、二十歳過ぎた頃の私は、それこそ情熱的だった。情熱的といえば聞こえはいいが、子供だったのである。
作品名:短編集24(過去作品) 作家名:森本晃次