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第3話 嫌なことは忘れるんだから

「忘年会の日程は12月12日ですけど、大丈夫でした？」
「それ、大丈夫じゃないな」
「平日の晩じゃ、別の日に振り替えた方がいいですか？」
「そういうことじゃなくって、“忘年会”ていう呼び方」
「“ぼうねんかい”が変ですか？」

ボスはまた変なことに拘るんだから。

「今年1年順調だっただろ。結構よかったじゃないか」
「はい。そうですね。だからその労をねぎらっての忘年会をと」
「よかった事を忘れるのはおかしい」
「は？」
「いいことは忘れないで覚えておくように、“覚年会”にしよう」
「かくねんかい？」

普通の会社じゃありえない発想を推奨するんだから。

「でも、うまくいかないこともありましたよね」
「そうだったか？　全部うまく行った気がするけどな」
「○○さんはクウォリファイ（達成）できませんでしたし、△△さんは脱落してますし」
「あ、そんなこともあったか。忘れてた」
「××のビジネスは、夏以降ストップしてますけど」
「もう全部代わりが動き出してるから、うまく行ってるじゃないか。嫌な事は忘れた方がいいんだぞ」
「はい、僕はもう気にしてませんけど」
「気にしないんじゃなくって、悪いことは完全に忘れるんだ」

完全に忘れるって、一見無責任なことするんだから。

「じゃ皆さん。この1年をしっかり覚えておいて、来年は更にいい年になりますように。乾杯！」
ボスのスイートルームで、盛大に“覚年会”が行われた。50名ほどが参加して、『この1年を覚えておく』ってキーワードは、全員に好意的に受け入れられたんだ。
3時間ほど盛り上がって振り返ると、参加者たちがこの1年間のいい事しか、話題にしていないのに気が付いた。こうやってちょっとずつ、成功者の考え方が身に付いていくもんなんだなって思った。

深夜になると、ソファや会議用のテーブルで、トランプをするのが恒例だった。ボスはセブンブリッジが大好きなんだから。

「半分くらいは、ボスが勝ってますね」
「そうか？　もっと勝ってないか？　俺は8割くらい勝ってる気がするけど」
「ええー！　8割は言い過ぎでしょう」
その場にいた全員が言った。
「負けたことなんか覚えてないからな」

なるほど徹底して、悪いことは忘れるんだから。

「ずー、ずずずー」
「ボス、大丈夫ですか？」
「何が？」
「風邪ですか？ティッシュどうぞ」
「風邪なんか引いてないぞ」
「さっきから、ハナ出てますよね」
「風邪じゃない。ハナが出てるだけだ」
「それ、風邪じゃないですか？」
「風邪なんか引かない。風邪は押すから大丈夫」
「どんなポジティブ発想ですか」
「あああ、もう面倒な鼻水。カードに集中できない！」
「ボスの番ですよ」
「もういい。忘れた！　俺は鼻水の事なんか無視する！」

それから誰もそのことには触れなくなったけど、真剣にトランプを切るボスの鼻から、つららのように垂れてるのを、見ないようにするの大変だったんだから。