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短編集22(過去作品)

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袋小路



                  袋小路

「今日は来てないな」
 思わず呟いた。それが毎日の日課となっていたからである。
 あれは私が中学生だった頃のことである。私の父はまだ私が小学校に上がる前くらいに事故で亡くなっていたこともあってか、あまり裕福な生活ができたわけではない。父のイメージをはっきりと記憶しているわけではなく、顔すら遺影くらいでしか分からない。
 母がそれからどれほどの努力をしたのか、口に表せないほど想像を絶するものだったに違いない。しかしそのことを口にも出さず、絶えず明るく振舞っていた母の気持ちは、子供心にも分かっていたつもりだ。ボロアパートを借りて自分の部屋を持てるわけでもなかったが、一部屋の中での母との毎日は、明るい会話が弾んで楽しかった。今から考えれば他愛もない会話だった。それでも他愛もない会話すらない家庭の多いことを考えれば、部屋の中がどんなに明るいシャンデリアよりも明るく感じられた。もちろん、そのことはその時には分からなかったことである。
 母親が毎日働きに出ているため、夕方は私一人になることが多かった。テレビでも見ていればそれなりに退屈しのぎになるのだが、ずっと見ているのも飽きが来る。しかも大人の番組の時間帯などは、いつもテレビを消してぼんやりと表を見ていることが多かった。     
 秋口から冬にかけては日の暮れる時間であり、目を凝らさないとはっきりと分からないが、電柱に掛かった電球がかろうじて街灯の役目を果たしている。薄暗い中から現れる人の姿は不気味で、しかも街灯の当たり方によって伸びる複数の影が、薄気味悪く蠢いているように見える。
――すべての人が暗く見えるから不思議だ――
 子供心に怖かった。
 体を中心に複数の影が、それぞれ長くなったり短くなったりしているのを見るのは見慣れていた気がしていた。怖いのだけれど、初めて見た時に感じたのは、「怖い」というセンセーショナルな思いと、「どこかで見たことのある」という相反する思いだったのだ。
 その思いはひょっとしたら、だいぶ経ってから気がついたことかも知れない。小さかった私がそこまで感じたというのは、自分でも信じられない気がするからだ。
 そんなことを感じているうちに、私は一人の男が気になり出した。
 それまでは、早足で通るサラリーマンの帰宅姿を漠然とであるが、
――何かかわいそう――
 という思いで見ていた。
 寒いからであろうが、いつも背中を丸めて、下を向き加減で歩く姿は寂しさ以外を感じることはない。
――僕のお父さんだけはそんなことなかったはずだ――
 仏壇の父を見る限り、私には街灯の下にいる父のイメージが浮かんでこない。断言してもいいくらいに思い込んでいた。
 大人というと、皆同じような恰好をして会社へ行く姿しか思い浮かばなかった。漠然としたイメージしかなかったが、世のお父さん族がどんなものか、友達の家に遊びに行った時に感じていた。
 優しいお母さんに暖かい家庭、そんな中で疲れた顔をして帰ってくるお父さんの姿が、私には何とも不自然に見えていた。楽しく遊んでいる子供たち、それを見ながら、ニコニコと楽しそうにエプロン姿で台所に立つお母さん、ソファーに座って背中を向けて新聞を読んでいるお父さんの姿はいかにも浮いて見えるのだ。
 暗いアパート暮らしではあったが、そんな家庭に憧れても、自分はそんな父親にだけはなりたくない気がしていた。子供心にもまるで「父親の尊厳」を守るために、わざわざ芝居をしているような気がして仕方がなかった。
 自分が他人とは違ったものの見方をするのだと自覚し始めたのが、その頃だったように記憶している。
 それだけに、表を歩いているサラリーマンはすべて同じように見えてしまい、大人になることを怖がっていたのだ。
 しかし、さすがに毎日見ていると、同じようなサラリーマンでもある程度の見分けがつくようになってきた。遊び心も手伝ってか、私はその一人一人にニックネームをつけていた。
 もちろん、毎日同じくらいの時間に現れる人たちだからできることで、きっと残業もなく仕事をこなしているのだろう。中には、どう見てもさばけるタイプの人間に見えない人もいて、さぞかし楽な仕事をしているのだろうと思うくらいだ。
 いつも背を曲げて、自信なさそうに歩いてくる痩せ型の人は「ノッポ」、小太りでいつも腹を突き出しているように歩く人は「関取」と、好き勝手につけているニックネームなのだが、毎日見ている体系なのが次第にそれらしく見えてくる。
「毎日同じ光景だと退屈するだろう?」
 という声が聞こえてきそうなのだが、元々私は性格的に気になったり好きなことは飽きるまで見続けるタイプなのである。その中に少しでも違った発見があったりすると、それだけで感動してしまうタイプでもあった。
 彼らの行動パターンは、毎日同じではなかった。最初は気持ち悪いくらい同じに見えたのだがどこかが違う。知らない人には分からないだろう。いつも同じような歩幅で、同じ方向を向いて歩いているのだ。特に上から見ていて薄暗いせいか、表情が分からないところがそう思わせるのだろう。
 私は最初まったく同じパターンだと思っていた。それだけに友達の家でのお父さんを見た時に、皆同じようなものだと思ったのだ。
 私は一時期、大人になるのを怖がっていた。子供というのは、何か大きな可能性を秘めているように思える。自分が友達に対してコンプレックスのようなものを感じていたのも確かで、自分にないものをたくさん持っている友達が眩しく見えたのだ。
 そんな友達をたくさん持つことに誇りもあるのだが、その反面、何もない自分に焦りのようなものを感じていたのも事実である。
 それに比べて大人はどうだろう?
――友達は、うな垂れたような哀愁漂う歩き方をする大人にはきっとならないだろう――
 友達と一緒にいる時にはうな垂れて歩く大人を、そしてうな垂れた恰好の大人を見ている時には友達を想像することなど、あまりにもかけ離れて思えるために不可能なのだ。
――では一体私は?
 そう感じた時に、目の前にうな垂れた大人がいた時など、自分の顔が目に浮かぶ時がある。
――それほどまでに自分を蔑んで見ているのだろうか?
 謙虚さと違い、いかにも自分に対しての自信のなさが、情けなく思えてくる。
 冬になるとコートを身に纏い、背中を丸めながらマフラーで自分を締め付け、歩いている姿をよく見掛ける。
――あれが、将来の自分なのだ――
 そう思うだけで情けない限りである。父親が厳格な人だったという記憶があるだけに、大人に対するイメージを崩したくない。それが大人になるのが恐いという由縁に繋がっているのだ。
 今はそんな冬である。
 最近急に冷え込みが激しくなり、都心部でも雪の噂がちらほら聞こえてくる時期になってきた。
「今年の冬は寒いらしいよ」
 そう言いながら、いかにも寒そうに背中を丸めて話しているおばさん連中を、この間見かけたばかりである。
作品名:短編集22(過去作品) 作家名:森本晃次