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短編集20(過去作品)

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真っ赤な雪



                 真っ赤な雪


 冬になると、このあたりは雪で覆われることが多い。雪といっても、それほど量が多いわけではないが、一晩であたり一帯が真っ白い銀世界に変わっている。少し指で掬うとすぐに黒い土が見えてくるのだが、朝起きてカーテンから差し込んでくる明るさは、雪のない地方に住んでいる人には信じられないものであろう。
 最近では東京や大阪、福岡でも一年に一度は大雪に見舞われている。都会の機能は完全に麻痺してしまい、普通十分で行くところが二時間近く掛かってしまったなどという話を聞かされていた。
 私は元々雪のないところに住んでいた。初めて雪国にやってきたのは会社の転勤で盛岡勤務を言われた半年前だった。
 あれはちょうど雪の多い時期だった。雪のない地方では、そろそろ梅の便りが聞かれるであろうという時期に、いきなり盛岡への転勤命令である。青天の霹靂とはまさにこのことだった。
 まだ十分に雪は残っていた。盛岡市内から少し離れてたところに住んでいるのだが、それは他の地域ほど雪がひどくないところというのが理由だった。確かに他の地区だと雪下ろしに躍起にならなければならないが、私のいた村ではそこまではなかった。他の所ほど風がなく、吹雪など起こらないのが功を奏しているのか、過ごしやすいと感じられるところだった。
 しかし不思議だった。自分の会社がどこで聞きつけてきたのか分からないが、こんなうってつけの土地に社宅を設けている会社はどこにもなかった。それどころか、うちの会社の社宅があるだけで、完全に他の土地との交流が遮断されたような街でもあったのだ。
 電車の駅があるにはあるが、乗り降りする人もほとんどなく、車も国道のような大きな道ではなく、山道のようなところから少し入ったところに村がある。まわりを山に囲まれていて、しかもその麓には森が広がっていて完全に街を隠している。空から見ればまるで秘密要塞のように見えるかも知れないくらいで、しかし実際はまわりから孤立したただの「陸の孤島」なのである。
 山があるのも、それほど風が強くない要因かも知れない。確かに盆地などは寒いのだろうけど、それは雪の降らない地域のことで、却って密閉されているとそれほど寒さを感じないのかも知れない。
 そうちょうど「かまくら」のような効果があるのだろう。「かまくら」もまわりを雪の塊で囲まれているにもかかわらず、中は適度に暖かい。きっと風が通り抜けなくて密閉されているからに違いないと思っていたが、当たらずとも遠からじではないだろうか。
 雪の中の世界がこれほどの静寂を保っていることを私はいまだかつて知らなかった。固い土に囲まれた雪の降らない世界は、きっと一つの音でも反射して、協調和音のような形でいろいろな反応を耳に届けるのだろうが、真綿のような柔らかさの雪であれば、すべての音を吸収してしまうだろう。
「雪がしんしん降る」
 という言葉があるが、まさしくそれを味わったのもちょうど半年前だったのだ。
 冬の寒い時期には鍋がいい。近くに住んでいる老夫婦がたまに鍋を食べに来ないかと誘ってくれ、最初は遠慮もしていたが、そのうち襲ってきた孤独感に耐えられなくなったのか、お呼ばれするようになった。寒さが寂しさを誘発したのは間違いのないことだった。それまで知らなかった寒さと孤独、一緒に襲ってきたのだからたまらない。
 老夫婦と言ってもまだ七十歳にはなっていないだろう。雰囲気は完全に老人なのだが、よく見ると、しっかりとした眼差しをしていて、話をするにもそれほど老人ということを感じさせない。ただ田舎育ちということで私の感覚からは少しずれていた。それでも、話をあわせてくれようとするのには、一つ理由があったのだ。
「私たちの娘が東京におるんじゃよ」
 おばあさんの方が最初にそのことを口にした。するとおじいさんもそれを待ちかねていたかのように、娘の話に花が咲く。
「娘さんというのは嫁がれて東京に?」
「いえいえ、そうではないんじゃ。したい仕事があるからということで大学も東京の方へ行ったんじゃが、そのまま向こうでがんばっておるようじゃ」
「では、お寂しいですね」
「わしら二人も最初は寂しかったんじゃが、まぁ娘のためだから、それに二人で一緒にいればそれでいいと思ったから、もういいんじゃ」
 そう言って二人は見詰め合っている。その表情は実に穏やかで、まるで七福神を見ているような気になってしまう。
――やっぱり招かれて食事を一緒にするのはいいな――
 と思った。囲炉裏を囲んでの団欒、ひょっとしたら、今までに実の親とでも、ここまでの団欒を経験などしたことがなかったかも知れない。
 そんな娘が今度村に帰ってくるという。数日間の滞在らしいが、それを老夫婦は楽しみにしている。どういうつもりでの帰省なのかわからないのが不安だとも言っていた。何しろ東京に出てから帰ってきたのは最初の一年くらいで、それからは連絡は取っても、わざわざ村まで戻ってくることはなかったようだ。
「村を嫌ってるんですか?」
「元々、嫌でこの村を出て行ったわけではないので、それはないと思うのですがね。やっぱり一旦東京に出れば、戻ってくるのが億劫になるのかね」
 とおじいさんはシミジミ語ってくれた。
 東京の雑踏の中での時間というのは、のんびりした街から出てきた女性にどのように写るのだろう。一日、一時間、一分、一秒、などと時間の感覚があり、それぞれに感じ方も違うだろう。東京のような都会にいると、一分一秒などあっという間であるが、それだけに、失ってしまった時間があると、その時間がとても長く感じられる。いくら数十年という時を過ごしてきたといっても失ったのが数分であれ、それが自分の中で次第に大きなものだと感じるようになる。それが都会に流れる時間なのだと思っている。
 田舎で育った私であるが、田舎にいた頃に時間に対してどのような感覚を持っていたかなど、おぼろげにしか覚えていない。それが田舎だったからなのか、子供だったからなのかも分からない。とにかく一瞬一瞬はあっという間だったのだが、後から思い返すととてつもなく長かった少年時代だった気がする。これといって何の変化もない中過ごしてきた少年時代……。しかしそれだけにいろいろ頭の中で考えたり、想像してきたりしたのだろう。
 大人になった自分を想像してみたり、同じ年代の子供でも、都会の子供をイメージし、その中にいる自分を感じてみようと試みたこともあった。しかし、あくまでも想像は想像であって、それ以上の域を出ることなどありえない。それだけに、気持ちが袋小路に入ってしまい、余計に後から考えて時間を長く感じるのだろう。まるで瓶に詰め込まれたような気がしてくるのは錯覚なのだろうか?
――瓶詰めの記憶――
 それが少年時代の記憶である。
――お釈迦様の手の平の上で弄ばれている孫悟空――
 大人になってからイメージしたものだと思っているが、ひょっとして初めてその話を聞いた時に直感で感じたような気がするのもまんざら嘘ではない気がする。
「早く帰ってくればいいですね。僕も楽しみですよ」
 これは本当だ。
作品名:短編集20(過去作品) 作家名:森本晃次