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一期一会

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「今日のお客様は私の大好きなとっても素敵なレディーでいらっしゃいます。今一番輝いていらっしゃるピアニストの谷沢響子さんです」

 私はコーヒーを飲みながら「真理子のお部屋」というテレビのトーク番組を見ていた。

 司会者の鮎川真理子がゲストの名前を告げると、サロン風のスタジオセットのドアが開いて今紹介された谷沢響子が濃紺のロングドレスを着て登場した。
ダイヤのブローチがきらりと光る。
ガラスのテーブルのコーナーを挟んで鮎川真理子と今日のゲスト、谷沢響子が斜めに相対して座った。

 鮎川真理子はある著名な作家の娘で、自身もエッセイストである。これ以外にも幾つかのレギュラー番組を持っているが、くるくるとよく動く目と同じように頭の回転も速く、話す言葉もウィットに富んでいる。時にはその愛くるしい顔からは想像も出来ないような大胆な発言をして私をドキッとさせ、それが又彼女の魅力なのであった。

 テレビで見る彼女はとても可愛くて、本当の年齢が五十台半ばであることを知った時、私はにわかに信じられないほど驚いた。正直なところ、それまで私は彼女をまだ四十前だとばかり思っていたのである。

 今日のゲストは谷沢響子、幾つもの国際コンクールで優勝し、今や楽壇でもっとも脂ののった美貌の女流ピアニストである。

「ようこそいらっしゃいました。谷沢さんはこの番組は初めてでしたよね」
「ええ。今日はお招き頂いて有難う御座います。この番組、いつも拝見してるんですよ」
「有難う御座います。今日はどんなお話が伺えるか楽しみです。ところで貴女は確か廣島のご出身でしたね」
「ええ。今は世田谷ですけれど、私、廣島市で生れたんです」
「そうなんですってね。それじゃあお母様は原爆に遭われたんですね」
「ええ」
「その時お母様はお幾つでしたの」
「昭和五年生れですからまだ十五だったんです」
「十五といえば当時女学校の三年生?」
「そうなんです。母の実家は呉なんですよ。それが祖父の仕事の都合で広島市へ転居したんです。
なにしろ呉は海軍工廠も軍港もありましたでしょう。それまで廣島は通り道になっただけで空襲はあっても爆撃は受けなかったものですから安心していたんです。人間の運命って皮肉なものですね」
(母親は呉の出身だったのか。それに昭和五年生まれなら私と同い年ではないか)
呉で生まれ育った私は、同郷でしかも同年生まれと知っても、多少身近には感じたものの、その時はただ漠然とそう思っただけだった。
「でも、お母様はよくご無事でしたね」
「それなんですよ。母は女子挺身隊で兵器工場へ勤めていたんですが、幸い事務の方にまわされて鉄筋の建物の中にいたので助かったんですよ」
「運がお強かったんですね」
「そうでしょうね。でも事務に回されて助かったのはクラスでは母だけだったでしょう。現場で働いていて亡くなったお友達に何だか申し訳ないような気がしたのか、当時のことはあまり話したがりませんでした」
「私も原爆資料館見ました。写真でさえあんなに酷いんですもの、現実にあんな目に遭ったら誰だって思い出したくないでしょう」
「それに、母は被爆者だから子供が産めないんじゃないかとか、産めても奇形児になるんじゃないかとか、同情と偏見の入り交じったような目で見られて随分辛い思いをしたそうです」
「私もそんなお話聞きました。さぞお辛かったでしょうね。よく解りますわ。そんな時にお父様と出会われたんですのね」
「ええ。当時父はまだインターンで独身だったんですが、被爆しながら生き残った母と出会って、この貴重な命を何としても助けようと決心したんだそうです」
「子供は産めないかも知れないと思いながらよく結婚まで踏み切られましたね」
「ええ。周りの人達はみんな反対だったらしいんですよ。それを押し切ってまで結婚したのは娘の私からいうのもへんですが、母が美人で可愛かったからですよ。きっと」
「そりゃあそうでしょう。貴女だってこんなにお綺麗なんですもの」

 それは多分本音だろう。医師の本分として被爆患者を助けたいと思うのは当然としても、結婚まで踏み切らせたのは美貌のせいに違いない。それが人情というものだ。

私がテレビで始めて谷沢響子を見たのは、彼女がラフマニノフ国際ピアノコンクールで一位に入賞した時に日本交響楽団と競演した記念演奏会のライブであった。
当時まだ二十歳過ぎだった彼女はそこで『ラフマニノフ』の二番のコンチェルトを弾いた。
テレビというものは有難い。演奏会の臨場感は望むべくもないが、演奏中に見せる様々な表情や、妖精のように鍵盤の上を駆け巡る指の動きを色んな角度からアップで克明に見せてくれるのである。

勿論華麗なテクニックこそが彼女の本領なのだが、評判どおりの初々しい愛らしさと美貌に私は忽ち魅了されてしまった。

 彼女には勿論会ったことはない。それなのに、どういう訳か私はどこかで出会ったことがあるような気がして不思議でならなかったのである。

凛とした愛らしさとでもいえばいいのだろうか。可愛いといってもアイドル歌手のような甘ったるいだけの愛らしさとは違う何ものかが彼女には備わっていた。
ピアノに向かった彼女にはどこか近寄りがたい雰囲気があり、それを表すには『凛』という一文字が最も相応しいように思われた。

「母が私を身ごもってから、両親は毎日仏壇の前で観音経をあげたそうです。何とか五体満足な子が生れますようにって」
「ご心配だったでしょうね。周りの人達の反対を押し切ってまで結婚されたんですもの、万一の事があれば『それ見たことか』といわれかねませんものね」
「父は特に不安だったんだと思います。自分が医者だっただけに放射能の怖さを知っていましたし、それに地獄も見てしまったでしょう。仏様に縋るより仕方がなかったんだと思います」
「貴女がお生まれになった時はさぞお喜びになったでしょう」
「そりゃあもう。出産に立ち会った父は、私に異常がないことを確認すると母と抱き合って泣いたそうです」
「わかりますわ。普通の出産だって五体満足だと判ってやっと安心できるものですよ。まして貴女の場合は特別ですものねえ。そのときのお写真がこれですのね」

 バックスクリーンに大きく映し出された写真を見て、私は思わず「あっ」と叫んだ。
 生れたばかりの赤ん坊を抱いて夫と並んで立っているのは柳沼淑子ではないか。

 柳沼淑子は私の小学校の同級生であった。一年生の時、同じクラスで私が初代の級長、彼女が副級長だったのである。
二年生の春、学芸会で私が出征兵士、彼女がそれを見送る女房の役に選ばれたことがあった。日の丸の小旗を振りながら、舞台全員で『勝ってぇ来るぞと勇ましくぅ』と歌いながら歩いた記憶があった。
 三年になると男女は別々の組になり、話す機会もなくなったが、彼女の美貌と愛らしさは男の子たちの憧れの的だったのである。
私とて例外ではなかった。今にして思えば子供の劇とはいえ夫婦の役を演じた私にとって、彼女は幼い初恋の相手だったといえるのかもしれない。
 小学校(当時の国民学校)を卒業すると、私は呉市内の中学校へ進んだが、彼女が広島市内へ転居したらしいことは人づてに耳にしていた。
作品名:一期一会 作家名:蛙川諄一