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テケツのジョニー 10

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仲入りとなったので、お客がロビーに出て来て、先程のCDを手に取って見ている。そうは売れないがそれでも何枚かは売れていた。おいらも販売促進に一役買って受付で愛想を振りまいていた。え? 猫の愛想って何だって? それは招き猫宜しく大人しく座って撫でられることさ。猫好きの人間はそうすると喜ぶのさ。
 仲入り後のプログラムはまず抽選会が行われる。これは今日の出演者が色紙にサインや自筆の絵を書いてそれをお客に抽選で配るというもので、盛しんを始め、柳星、ドンキーブラザースの二人、それに盛喬がそれぞれ五枚の色紙を書いたのだ。それを今日のチケットに印刷された通し番号で抽選をしてプレゼントする。毎回やってるので街の飲み屋に行くと芸人の色紙が飾ってあるそうだ。
 やがて仲入りの休憩が終わって扉が閉められ抽選会が始まった。司会は盛喬がメインで盛しんと柳星が補佐をする。全部で二十枚の抽選が行われ、当たっ人に盛しんが色紙を持って行って手渡すのだ。一番下なので肉体労働なのは仕方ない。
 普通寄席では特別な日以外はこんな余響はやらないが、ここは寄席ではない。親父さんの故郷の街なのだ。普段から夕食後に親子揃って落語を聴きに行くという習慣はない。だから少しでも寄席芸人に親しみを持って貰おうと始めたそうだ。おいらも良いことだと思っているし、出演する芸人も揃って協力してくれるそうだ。
 抽選会が終わると色物のドンキーブラザーズの出番となる。この二人の曲芸は本当に素晴らしく見る機会があれば見ておいた方が良いとオイラも思う。それほど見事なのだ。当然オイラも会場に潜り込む。
 登場した二人は剣の曲取りを披露する。勿論本本物の短剣ではなく模造刀だが、それでも先は尖っており間違えると怪我をしてしまう。それぞれが三本の剣を見事に操った。その次は痩せた弟の方が鼻の先にボウリングのピンのような形のものを逆さまに立てて操りながら先程の剣を三本ジャグリングする芸を披露した。これは凄い。恐らく演芸界広しと言えども彼だけの技では無いだろうか。その次は帽子の芸だ、一見するとパナマ帽のような帽子を兄が弟に被せると、弟は要らないと言ってそれを脱ぎ捨て遠くに投げ飛ばす。すると兄がその帽子が落下する場所に居て、それを手を使わずに被る。兄は帽子を被ったまま次の帽子を弟に被せると今度も要らないと脱ぎ捨て先ほどとは違う方向に脱ぎ捨てると、また兄が先回りしていてそれをそのまま今度は先程の帽子の上に被るのだ。これを幾度か繰り返す。弟は全く兄の方を見ないし、兄は被せるとそそくさと歩き出す。お互いがお互いの行動を全く見ずに芸が進行して行く様は見事と言うしかない。
 最後は大きな銀の輪っかの芸だ。これはジャグリングなのだがお互いに銀の輪っかをやりとりして行き段々ペースが速くなり最後に一斉に上に上げると落下した時は全ての銀の輪っかが繋がっていると言うものだった。これも見事に決まった。お客の興奮も最高潮になった。
 二人が高座を降りると出囃子の「二上りたぬき」が鳴り出した。これは盛喬ので囃子だ。陽気な曲でアイツに合ってるとオイラも思う。
 盛喬は登場すると座布団に座り頭を下げた。
「え〜先程はどうもありがとうございまいした。今度は落語でございます。七月というとこちらの方では海水浴で賑わっていますが、東京の浅草の浅草寺では「四万六千日」という法要が営まれます。これは何でも、この日に参詣すると四万六千日間参詣したのと同じ功徳があると言われておりまして七月の十日前後となっております。今では「ほおずき市」として有名ですね」
 東京の寄席ならこんな解説は入れない。それは「ほおずき市」の由来なぞ誰でも知っているからだ。でも伊豆のここではそうは行かない。
「昔から若旦那というのは遊び人と相場が決まっておりまして」
 どうやら噺に入ったようだった。ここからが盛喬の腕の見せ所だ。オイラは文楽師が有名にしたこの噺の場面転換をどうやるか興味があった。文楽師は若旦那の徳さんが船宿に厄介になり船頭になったあと「四万六千日。お暑い盛りでございます」という一言で夏のギラギラする日々を描いてしまった。それはお客が「四万六千日」というものが何であるかを理解していたからだ。ここに落語とは江戸(上方)の狭い地域の文化の上に成り立った芸能であると言われる所以なのだ。オイラが言ったんじゃねえよ。寄席に来る常連のおっさんがオイラを撫でながら言った言葉さ。
 やがてその場面となった。
「教える方も、これぐらいで良いだろう。教わる方もこれだけ覚えれば何とかなるだろうと甘い考えで物事が進んでしまいます。やがて浅草は四万六千日を迎えます」
 なるほど考えたと思った。さすが進境著しい盛喬だと思った。
「ねえねえ、この暑さだよ。船で行かないかい?」
「船? 嫌だよ僕が泳げないのを知っているじゃないか」
「大丈夫だよ。今時船が転覆するなんてある訳無いじゃないか。柳橋に『大枡』という常連の船宿があるんだ。そこなら無理が効くから腕の良い船頭を付けてくれるからさ」
「本当かい?」
「本当だよ。お前さんね、夏の暑い時に水の上をさーっと船で行ってご覧。もう気持良くてさ。涼しくて最高なんだよ。一度やってみれば船の虜になるから」
 盛喬は登場人物のやり取りを普段より丁寧に描写して行く。そこら辺はさすがだと思う。
 やがて噺は佳境に入る。徳さんが慣れない船頭の仕事に音をあげてしまったのだ。
「もうだめです。お客さんここからは泳いで行って下さい」
「ええ、何言ってるの! 桟橋が見えているじゃないか。すぐそこだよ」
「見えていたって駄目なんです。本当にもう駄目!」
「仕方ないなぁ」
「お前さんね。さっき何て言いました。一度経験すればやみつきになるとか言いましたね」
「本当はそうなるはずだったの。今回は私が悪かったですよ。謝りますよ。ね、だからこれに懲りずにまた来ましょう」
「嫌ですよ! もう生涯船には乗りませんから」
 片方の客が、水が怖い客をおぶさり、桟橋まで浅瀬を歩いて行く展開となる。
「おおい船頭、こっちは桟橋に上がったからな。そっちはどうするんだい」
「お客さん上がられましたか、おめでとうございます! 一つお願いがあるんですが」
「なんだい?」
「船宿に行って船頭一人雇って下さい」
 サゲが決まって割れんばかりの拍手が起こる。ここでオイラはひとつの事に気がついた。この街は漁師の街だという事だ。船の扱いやそれに関する事柄には慣れている。いわば馴染み深い事柄だと言う事だ。だから船の違いはあっても親しみ易い噺だったと言う事だ。恐らく季節的な事とそれに地域的な事も含めて盛喬は「船徳」を選択したのだろう。
 打ち出しの太鼓が鳴ってお客が帰り始じめる。中には盛喬の噺に感心したのかCDを買って行く者もいた。
作品名:テケツのジョニー 10 作家名:まんぼう