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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 五、生命の章

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 神殿を新たに建てたのは、過去を捨てたかったからではない。ホルアクティは若く、気力にあふれていた。自分は父と同じではない、新たな道を探りたいと考えたのだ。ただ革新を夢見、希望を抱いていたのだ。捨て去りたい過去など持たなかった――当時は、まだ。
「私にとっては、決して忘れ去ることのできない場所だ。――ここは千年前、月の姫を失った場所。そして同時に、お前と最期を共にした場所でもある」
 そこまで言うと、ハピは過去に思い耽るような様子を断ち切り、目の前の義弟を静かに見据えた。
「お前はここへ再び、私を討ちに来たのか……?」
 瞳のないその眼に、しかしありありと浮かぶ警めの意思。
 ホルアクティのはその追及を避けるようにか、うつむいた。千年前ここで対峙した記憶がよみがえる。それが彼の胸を締めつけた。
「わたしは……後悔しているのです、兄さん」
 自身の判断が、間違いだったと。そうした思いがホルアクティの表情を陰らせ、かつての輝きは今その面影すら感じさせない。
「そのことを兄さんに、伝えたかった」
 千年前――月アンプを失い悲嘆にくれたハピは、まるで絶えることのない涙を表すかのように、河の水の嵩をじわじわと増し、それは幅を広げ、地を満たしていった。それがあまりにも長く及び、陽が照るごとに湧き出た雲が頻繁に光を遮った。薄暗く寒い日が続き、たびたび豪雨が襲った。水嵩はさらに増し、地を広く覆ったため、水上にはほとんど地の影が見えず、まるで創世以前の混沌を思わせたのだった。
 ホルアクティの、王としてのはじめの為事は、数多の生命を脅かすハピの力を止める――つまり、義兄を葬ることであった。
 ホルアクティはもちろん、ハピを文字通り止めることができればと考えた。しかし絶望の淵にあるものに声が届くはずもなかった。そしてまた、力づくで止めようにも、不可能だったのだ。ハピが抱くアンプの躯――月の力が彼を守り、またこの尋常ならざる力の放出に関与していたのだ。
 確かな理屈があったのではない、同じ血を分けた者としての勘のようなものであったのかもしれない。いずれにせよホルアクティはまずアンプに呼びかけることをした。そうして、アンプはそれに応えたのである。
 アンプには相変わらず、ことの重大さがわからない。ただハピの感情に応えるように力を貸しているだけなのだ。絶望し、制御を失ったその力の放出に、アンプが呼応し、それが長く続くようにと、彼自身の時を止めてしまっていたのだった。
 ホルアクティは教えた。それはハピの心からの望みではないのだと。そうして彼は伝えたのだ――アンプのいる場所に行くこと、それこそが、ハピのほんとうの望みであると。
 かくしてハピの力はその死とともに収められ、世界は秩序を取り戻した――。
「私はお前を恨んではいない、ホルアクティ。……いや、感謝をしている。我が身に宿る“負”の性質に呑まれ、この地に満ちる多くの生命を、私は滅ぼそうとした。死をしても許されることではないだろう」
 ハピは声穏やかにそう言った。
「私がなぜ王座を拒んだか、お前も知っているな」
 ホルアクティはうなずく。あの、予言のためだ。
 予言の主ヘジュウル。彼は常にウシルの傍らにあり、先を見通す力でそれを支えたという。
 ウシルは世界を整えたその初めから、ある重大な役割を負い、またその役割のために他とは隔絶した存在であった。すなわち、在を切り分けた不在、創造主と呼ばれるものの負の側面――混沌と呼ばれるもの――が、世界の「存在」を呑み込むのを阻止するため、日に一度戦うということである。世界を覆う混沌の闇を払い、光を取り戻す。それが成せるのは、同じ混沌より生じた彼だけであったのだ。
 しかしついに、敗北の時がきた。
 ヘジュウルは王の死と共にその後継にかかる問題をも見通した。そうしてその言葉が予言として初めて、王ウシルの外にも広く知らされたのである。

 “王座に月の影掛からば、 暁の神々目覚め、天地ふたたび交わらん”

 王が月を伴うとき、世界は再び混沌に還るのだと。
 月とは月神アンプを示すのだと――それに異論はなかった。アンプの持つ独特の雰囲気やそれに関する噂が、彼女を予言と結びつけることに説得力を持たせていた。だから、アンプと親しく、心を寄せていたハピがそれを自身の問題と考えるのは当然のことだったのだ。
「もとより私には王の座を求める理由もなかった。王として世を開くためには、ホルアクティ。お前のような者の力こそ必要だと考えていた。いわば予言は口実であったのだ。また私のために父の創り上げたこの世界を混沌に帰すなど、あってはならないことだ」
 何にもまして、月の姫アンプがそのことで非難にさらされることが、ハピには耐えられなかった。周囲が何を望もうとも、また自身がどう思われようとも、それだけは決して。
「だが、王座に就かずとも、私はあの惨劇を呼び起こしてしまった……」
 眉間に刻む、深い悔恨。ハピは目を閉じると、静かに首を振った。
「お前もすでに気付いているのだろう。この矛盾……。いまこうして再び時の流れに身を置き、私にもようやくその意味が知れた」
 そうして再び開かれた、ケセルイムハトの青。
「そう――あの予言は、私を示したものでは、なかったのだ」