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切り通しの坂

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https://www.youtube.com/watch?v=-zkPaGnKb5M
J.S. Bach: Partita in A Minor, Allemande BWV 1013; David Tayler, archlute


古都鎌倉では海底隆起でせりあがった巨岩を至る処で観ることが出来る。そして先人たちは人馬の行き来を行なえるように数世紀にわたり巨岩を掘削して切通しを作った。両側を苔生した岩肌が剥き出た細い道を勿論現在の掘削技術を用いれば容易く拡張できるが、古都であるこの街は、それを許さなかった。市内にいくつかあるそれらの切り通しは自動車の行き交う現在となっては、とても異質な雰囲気を醸し出している。
その切り通しは国道から離れていて、坂を上りながら薄暗い竹林に囲まれた道を進むとやがて道が狭くなり、苔生した巨岩が両側にそそり立つ狭い道だ。恐る恐る岩場の間を抜けると、思い切り左にカーヴしながら急斜面を降りてゆくため、通行上とても危険な箇所として地元では知られている。確かに事故件数も多く急に曲がるために設置されたカーブミラーだが、何度も事故のたびに曲がり切れずに崖に転落する車が後を絶たず設置されては、また壊されての連続だ。死亡事故につながった例も多く学童の通学には適さないとして子どもは寄り付かない。大半の事故事例は市外、県外の者が起こしており道路自体の封鎖が呼びかけられた。だが山間部の住民たちが駅に下ってゆく生活道路としての一面もあり、なんら対策を打てないまま放置されてきた。
そのうちに古都らしい不思議な風説が流れ始めた。
この切り通しの裏にはいまでは廃屋となった旧家があり、その昔この家の最後の媼が亡くなった夜に、山のカラスが一斉に飛び立ち朝に夕に騒いでいた。既に解雇されていた長年この家に出入りしていた家政婦がそれを知ると警察と共に家に向かうと、穏やかな顔で媼は亡くなっていたという話。
その後、話はいろいろと変わってゆくもので、実は媼はなにかに慄きながら発狂して死んでいた、とか。
家政婦は媼から金を騙し取り、生前に多額の預金証書を自分のものにしていた、とか。
その家政婦は媼の呪いによって、肌に醜いあざが出来て、顔が腫れ上がって死んだ、とか。
そもそも媼の家は源氏が人質に連れてきた平家の血筋で、代々この岩場に囲まれたこの家に幽閉されていた、とか。
いわゆる都市伝説となっていった。すると好事家もいたもので、観光地でもある古都に来たついでに都市伝説で有名な切り通しに行ってみよう、と夜な夜な若い人たちを中心に市外・県外から訪れ、事故が多発した。

そして昨日も事故があった。
ここいらの事故の後処理をするのは何度目だろう_。
ガードレールを突き破り、崖に突っ込んで、生い茂る松の木に激突しながら、5m崖下の道に横転して止まった。
小型貨物車ダイハツハイゼット。乗車していたのは何れも20歳代の男と女。発見時には既に死んでいた。後部座席にはサーフボードが置かれていた。まだ新車なのに。
新車となれば此の御時世、ドライヴレコーダーぐらいは付いていそうなものだ・・。
便利な世の中になったものだ。
事故当時の映像が自動車に搭載されたカメラで録画されているのだから。
だが鑑識課の職員が調査したところ、ドライブレコーダーは搭載されていたが、メディアが何らかの衝撃で脱落したらしく、車内及び車外を隈なく探したものの発見できなかった。
僅か5ミリ四方の薄っぺらいメモリーカードだ。どこかに紛れてしまえばすぐには見つからない。
それどころかこの辺りはカラスもトンビも多い。咥えて飛び立たれれば出てきはしまい。
鑑識の結果が、刑事課に伝えられ、事件性なしと判断され、いつもどおりの交通事故という扱いになった。
事故車が運ばれてゆき清掃を行ない、破損したカーブミラーと、へしゃげたガードレールの撤去が始まった。
いつもの光景だ。ここに赴任して、何度見た光景だろう。
この駐在所に勤務して七年になる。古都の夕焼けは七年前とあまり変わらなかった。おそらく八百年前ともそれほど変わりはしないのだろう。駐在さんは、そう感慨深げに思った。
駐在さんと呼ばれ方をされたのは実は此処の駐在所に来て初めてだった。確かに以前は派出所勤務であったから、“交番のお巡りさん“と呼ばれていた。そんな過去のことがふと甦るような夕焼けを目にしながら、事故現場から駐在所への道を自転車を押しながら下って行った。”駐在さん“は”お巡りさん”よりも、より市民生活の身近にいる存在だ、という自負もある。市民との繋がりの深さは確かに街中の交番とは明らかに違う。高齢化が進むこの辺りでは、余計にそれを感じることもある。これだけ携帯電話が普及していてもある一定以上の年齢の方は電話を使わず、直接駐在所にやってきてこう告げる。「○○さんのおばあさんがね、ここのところ、そうね一週間ほど、お顔を見ないのよ。」生物学的に人間は男より女のほうが長生きする。確証はないが、多分間違ってもいないのだろう。そう言われて、その家を訪問すると確かに呼びかけても返事はなく、大家が居れば連絡をとる。いなければ・・まぁこの辺りでは持ち家であることが多いのだが。すると異臭が立ち込めており、捜索許可状を裁判所に申請し、翌日になって一般家屋たる現場に立ち入る。腐乱が進んだ遺体を発見し、死亡を確認、本署に連絡をする。いつのころからか広まったか冷蔵庫の中に常備薬と連絡先のメモを入れる習慣が高齢者に広まったこともあり、冷蔵庫を確認してみると、案の定常備薬の袋があり、だが連絡先の記載はなかった。となれば後は市役所に通報する。ここ数年、こういったケースが増えている。都会とは違った近所付き合いのある町なればのことなのだろう。
そういえば、あの切り通しの裏の家の時はどうだったであろうか_。
他の事故の処理かなにかで直接あの家には行くこともなかった。
だから全てが聞いたことであり、又は、又聞きしたことであって。
ただ胸騒ぎのした元家政婦に伴われて、あの切り通しの裏の家に入った警官は奥の間で安らかな顔をしたまま
旅だった故人の亡骸を発見した。
それだけのことだ。
その警官_。つまり駐在さんの先輩で此処の駐在所の前任者。
先輩は本署に移って活躍していたが、暫くして10万人にひとりという難病に罹って。
骨が変形して腐敗するという・・病名は長くて難しく・・憶えてはいないが。
難病といわれるだけあって治療方法も確立されておらず、又、これといった手立てもなく。
病床で、たすけてくれと力無い訴えを続けながらいまでも療養中で。
かわいい女の子がいて。奥さんも苦労するよな。
 難病といえば元の家政婦が顔に醜い痣が出来てみたいな話は、私にはわからない。だが家政婦は真面目な人で金品を着服したとかという話は、まったくのデマで、ただの噂話に過ぎない。
媼の恨みとか呪いとかの類の話は、それで片付くなら、この事故の多発はいったいなんだというのだ。
ただ、今では誰も棲まないあの切り通しの裏の家はどうもそういった雰囲気を今でもたたえている。
 「駐在さん」
市民生活に寄り添う存在としてこの言葉で呼ばれるのは、高齢者とは限らない。
作品名:切り通しの坂 作家名:平岩隆