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⑨残念王子と闇のマル

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三日月


カレンと理巧が空を連れて下山する頃には、すっかり日が暮れていた。

月齢の若い月が暗闇の中、静かに姿を現す。

馬車に用意していたベッドに空を寝袋のまま寝かせると、カレンが手綱を取った。

「ソラ様に、ついててあげな。」

どこまでも優しいカレンの心遣いに、理巧は深々と頭を下げて馬車に乗り込む。

しばらく夜の街道を走らせていると、前方から星の嘶きが聞こえた。

「マル!」

カレンが叫ぶと同時に、踵を返した星が馬車に並走する。

「ありがとうございます、カレン。」

麻流はカレンに微笑みかけると、並走したまま紗那を片腕に抱き、理巧が開けた扉から馬車へ飛び込んだ。

「カレン様、代わります。」

突然聞こえた声にカレンがキョロキョロしていると、馬車の屋根から上忍が御者席に降りる。

「代わるって…。」

どうやって?と訊ねようとした時、麻流が馬車から出て来て星へ飛び乗った。

星の背中に立ち上がった麻流は、並走させながらカレンへと手を伸ばす。

「こちらへ。」

「…え!?」

さすがのカレンも、躊躇した。

忍の馬車と馬なので、凄まじいスピードで走っているのに、普通はとび移れない。

そんなカレンに、麻流は一瞬真顔になったけれど、ぷっと吹き出した。

「運動神経いいんでしょ?」

「うっ…」

痛いところをつかれたカレンは、唇を噛みしめる。

「私を信じてください。」

やわらかな声色に、カレンはハッと顔を上げた。

目の前の麻流は、温かな微笑みを浮かべてカレンを見つめている。

(そうだよ。マルになら命を預けられる。)

カレンは小さく息を吐くと、意を決して御者席に立ち上がりながら麻流へ手を伸ばした。

すると素早くその手を掴んだ麻流に、ぐいっと抱き寄せられる。

カレンの体はふわりと浮いて、ストンと星に跨がった。

「よしっ!」

思わずガッツポーズをするカレンに頬を緩めながら、麻流は軽やかに馬車にとび移る。

「カレン。」

再び麻流が馬車から手を伸ばすと、今度は迷いなくカレンはその手をとった。

カレンは麻流を掻き抱くように、馬車へ転がり込む。

ゴツッ。

「痛っ!」

鈍い音と共に、カレンが頭をおさえる。

勢い余って、空のベッドの角で頭を打ったのだ。

「カレン!」

麻流は慌ててカレンの胸から起き上がると、カレンがおさえている頭を確認する。

「あ~、瘤ができてますよ!」

「痛いよ~、マル…。」

甘えるように身を縮めるカレンを、麻流は優しく抱きしめて頭を撫でた。

「帰ったら、冷やしましょうね。」

「…ん。」

カレンはここぞとばかりに、麻流の腰に抱きつく。

「はいはい、そこ!目障りですよ!」

紗那の不機嫌そうな声に、カレンがハッと顔を上げた。

「紗那様、お久しぶりです。」

笑顔でごまかそうとしたカレンを、紗那はチラッと見たけれどすぐに目を逸らす。

「髪が伸びて、よりチャラくなってますね~。」

「…。」

カレンは麻流を見下ろすと、耳元に唇を寄せた。

「カヅキ様にも言われたんだけど、そんなにチャラい?」

すると麻流が冷ややかな視線を向ける。

「あなたがチャラくなかったこと、ありますか?」

(…。)

まるで、長くカレンのことを知ってるような麻流の口調。

「マル…もしかして…。」

「理巧、もっとしっかり照らして!」

カレンの言葉を、紗那の鋭い声が遮った。

珍しくその苛立った様子に、カレンの心はざわめいた。

理巧は灯りを、空の腕に近づける。

紗那はガタガタと揺れる暗い馬車の中で、空の腕に懸命に点滴の針を刺そうとしていた。

「よし!入った!」

いつものおっとりとした口調からは想像できない迫力と素早さで、紗那は次々と処置を施していく。

「あとどのくらいで帰り着く?」

空の脈を計りながら、紗那が理巧に訊ねた。

「一時間でなんとか。」

理巧が答えると、紗那は鋭い視線で紙を手渡す。

「馨瑠に至急、これを。」

理巧はすぐに風を呼び、その足に手紙を託した。

「頑張って、お父様…。」

悲痛な表情で、紗那は空の手を握る。

理巧もその反対の手を握り、祈るように額を押し当てた。

そんな二人をジッとカレンが見つめていると、不意に手を握られる。

驚いてその手を見ると、麻流が頼るようにカレンの左手を両手で握りしめていた。

カレンはそんな麻流の手をきゅっと握り返し、安心させるように頬笑む。

麻流は上目遣いでそれを見ると、そっとカレンに身を寄せた。



途中、上忍達が用意していた馬に差し替えながら、休みなく馬車を走らせたおかげで、一時間足らずで帰城した。

星一族専用の秘密の通路を使って誰にも気づかれないように城内に入り、女王の私室へ空を運んだ。

「空!!」

連絡を受けていた聖華が、空に駆け寄る。

馨瑠は紗那の指示通り準備をしており、すぐに処置が始まった。

「では、僕はこれで。」

幼い至恩と偉織以外の家族全員が揃う中、カレンは遠慮して部屋の外へ出ようとする。

すると、楓月がその腕を引いた。

「おまえも、息子だろ?」

息をのんでぐるりと見回すと、全員が大きく頷く。

「おまえがいなかったら、空は戻ってこれていない。」

銀河が鋭い三白眼を和らげながら、微かに微笑んだ。

厳しい銀河に思いがけない感謝をされ、カレンは泣きそうになった。

「それにしても…ボロボロだな!」

明るい澄んだ声に、その場の雰囲気が和らぐ。

太陽の言葉に、カレンは自分の姿を鏡に映した。

そこには確かに、粉塵と噴煙にまみれた自身の姿が映っている。

「着替えてきますね!」

汚い姿では空の快復に差し障ると思い、カレンは慌てて部屋を出て行こうとした。

すると、麻流がまた手を捕まえる。

「…あとで着替えたらいいですから…。」

その大きな黒い瞳は不安に揺れ、すがるようにカレンを見上げていた。

こんなにも麻流に素直に頼られたことがあっただろうか。

カレンはこんな時なのに、喜びが一気に溢れだす。

「喜びすぎ。」

馨瑠に冷ややかに言われ、カレンは慌てて顔を引き締めた。

「頭の傷を縫合しますので、その前に服の着替えを。」

紗那が聖華に言うと、聖華は頷いてすぐに空の着替えを準備する。

体にフィットしている忍服にハサミが入り、一気に露になった空の肌に、カレンは息をのんだ。

その体には無数の傷があり、今回負った傷よりも古い傷のほうがより酷いものが多かった。

袖を通すために横向きにされた空の左肩には、右腰に向かって袈裟懸けに切られた、生死をさ迷ったであろう大きな傷があり、思わずカレンは麻流の肩を抱き寄せる。

麻流の体にも、香りの都で負った大きな傷を含め、無数の傷痕があった。

それだけ忍の任務は過酷で、常に命懸けということなのだろう。

「お父様なら、このくらい何てことないでしょ?」

紗那が、意識のない空に話しかけながら手際よく服を着せていく。

「そうよ。空がこの程度のことに、負けるわけないわ。」

微笑みながら、聖華は空の顔を温かいタオルで拭って綺麗にした。

馨瑠は準備した注射器を、紗那に渡す。
作品名:⑨残念王子と闇のマル 作家名:しずか