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星の流れに(第一部・東京大空襲)

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4.バラックで迎えた終戦



 火が収まった事を知ると、静子と静枝は地表に出てみた。
 想像は付いていた、それでも目を疑った……一面の焼け野原、草の根の一本一本まで焼き尽くされているかのよう、かろうじて荒れ狂う炎から逃れられた人々が数人、とぼとぼと歩いている他は、草木まで含めて命の痕跡は跡形もなく消えていた、もちろん、数百年にわたる人々の営みの中で形作られ、受け継がれてきた東京の景色が全てが焼けてしまい、変わらないのは隅田川だけ、炎は人々の営みがそこにあったことすら消し去っていた。
 たった一晩で。
 姉妹は変わり果てたその景色を茫然と眺めたが、どうしても気になることがあるのは同じ、身を切るような水の中を流れに逆らって泳ぐのでなければ、浅草から両国はたいした距離ではない。
「行ってみよう」
「うん」
 姉妹の会話はそれで充分だった、想像は付く、だとしても父母がどうなったのか確かめずにはいられない、生まれ育った両国の町がどうなっているのかも……。

 一面の焼け野原を歩くと、その中に、当時まだ珍しかったコンクリート造の国技館と両国国民学校だけがぽつんと残っているのが目に入る、それがなければそこが両国であることも、家がどこであったのかもわからなかっただろう、しかし、逆に言えば家も町も全てが燃えてしまったと言う事実を突きつけられたようなものでもあった。
 家があった場所に見当をつけて歩き回ってみる。
 あちらこちらに焼け焦げた遺体が転がっている……平時であれば目を背けたくなるような光景だが、静子はそれぞれの遺体を確かめてみる……そして、折り重なるように転がっている遺体が、見覚えがあるものを握っているのを見つけた、いや、見つけてしまった。
 父が愛用していた杖……木製部分とべっ甲で出来た握りは燃えてしまっていたが、それらを繋いでいた金具……熱でひしゃげてはいたが特徴ある彫りでそれが父のものだとわかった……とっさに、それを妹の目から遠ざけたいと思ったが、既に遅かった。
「それ……お父さんのだよね……」
 静枝が掌の上の金具を見て言い、静子は静かに頷くほかなかった。
「お母さん! お父さん!」
 静枝が黒焦げの遺体にすがりついてすすり泣き始めた。
 すすり泣きは次第に大きくなり、号泣に変わって行く。
 静子だって泣きたかった、でも、妹と一緒になって泣いていてはいけない、そう思った。
「これからどうすれば良いの? もう生きてなんか行けない、あたしも一緒に死んじゃえば良かったんだ」
 静枝がそう泣き叫ぶと、静子の平手が飛んだ。
 驚いて叫ぶのをやめた静枝、その静枝に向かって静子は叫んだ。
「バカ! お母さんがどうしてあんたを、あたしを逃がしたのかわからないの? お母さんもお父さんもきっとわかってたんだよ、不自由な身体では逃げ延びられないって、だからあたしに『静枝を守りなさい』って言ったんだ、お父さんを見捨てる事は出来ない、きっと自分も一緒に死んじゃうってわかってて……だからあたしにあんたを託したんだよ、だからあたしはあんたを死なせない、だって……だって……」
 母の最期の目が、言葉が蘇る、焼け落ちる路地の炎が蘇る。
 静子の目からも涙が止めなく流れ落ち始めたが、気持ちは折れていなかった。
「死んじゃったら負けなのよ、B-29が、アメリカが、お父さんとお母さんを殺した、だからってあたしたちまで負けていいの? 死んじゃったらあたしたちまで負けになっちゃう、アメリカに殺されていいの? お父さんとお母さんの仇にあたしたちまで殺されちゃって良いの? お母さんはあたしたちに生きてて欲しかったんだよ、お父さんだってきっとそうだよ、だから死んじゃいけないんだ、死んだら負け、負けちゃダメなんだ」
「お姉ちゃん!」
 静枝が抱きついた……二人はその場で泣き続けた……涙が涸れるまで……。
 この先、もう涙を流さないで生きて行くために……。
 姉妹は紛れもなく勇蔵としづの娘だった。

 しばらくして、生き残った男の人が父母の遺体を戸板に乗せて公園に運んでくれた。
 そこには無数の遺体が集められ、並べられていた。
 当面、埋葬する余裕などない、でも、そこにはお坊さんがいてお経を唱えてくれる、お線香もお供物も、手向ける花の一輪すらないけど、お経だけは唱えてくれる。
 姉妹は運んでくれた男性とお経を上げてくれている僧侶に礼を言い、父母の遺体に、その他の無数の町の人の遺体に手を合わせ、知っているお題目だけ何度も唱えると、両国を後にした。
 どこかで生きて行かなくてはならないのだ。
 雨露を凌げる場所を見つけて、空っぽのお腹を少しでも塞がなければならない。
 それが生きると言うこと、生きているだけで良い、ただ、ただ、生きなくてはいけない。


 父も母も下町っ子、地方に親戚もないので頼れるところはない、頼れる人もいない。
 姉妹が流れ着いたのは千葉の市川、そこも空襲の被害は受けていたが、壊滅的なまでの打撃は受けていなかったのだ。
 河原に自力でバラックを立てて雨露を凌ぎ、野草を摘んだり魚や蛙を捕らえたりして飢えを凌いだ。
 活発だった静子のこと、男の子に混じって魚釣りをした経験が生きた、一方静枝は植物に詳しく、食べられる草や毒のある草、薬草になるものなどを見分けることが出来た。
 姉妹は力を合わせて命を繋いだのだ。
 そして、市川ならば仕事がないわけではない、静子は毎日のように仕事を求めて彷徨ったが、どこの誰とも知れない娘を雇ってくれるところもなかった。
 
 そして八月、静子は職を求めて彷徨う街角で玉音放送を聴いた。
 言葉の意味は半分もわからない、だが、戦争が終わったと言うことだけはわかった。
 日本は戦争に負けた……もう空襲に怯えなくても良くなった事には少し安堵したが、これから占領軍がなだれ込んで来る事も間違いない、日本はこれからどうなるのか、どうされてしまうのか……おそらくは植民地にされる事は間違いない、静子はそう覚悟した、当時の日本人ならほとんどがそう考えたように。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

「敗戦イコール植民地? そうなるかなぁ」
 和貴は祖母に疑問を投げかけた。
「和貴は平成生まれだものね、疑問に思うのも無理ないよ、でもね、その頃の世界地図、とりわけアジアの地図は植民地だらけだったのよ」
「そうか……そうだよね、今でも植民地時代の言葉が公用語になっていたり、文化が残っていたりするよね」
「そう、強い者が弱い者を支配する、それが当たり前の時代だったのよ、アジアの多くの国々は戦わずして植民地化を受け入れざるを得なかった、刃向かったのは日本だけだった」
「でも、そうすることで戦争を避けるという選択肢もあったんじゃないかな……」
「確かにイタリア、ドイツと同盟を組めたとしても、アメリカ、イギリスの連合軍に立ち向かうのは無謀だったかも知れないわね、実際、戦うべきか戦わないべきかって議論もあったわけだしね」
「そのほうが平和的だよね」
「平和……和貴がどういう考えでその言葉を使っているのかは想像できるけど、必ずしもそればかりが正しいとは限らないよ」
「そう? 戦争はないほうが良いに決まってるでしょう?」