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⑧残念王子と闇のマル

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覚醒


カレンは、本の国と山の国の国境に宿をとった。

「部屋を2つとる必要はありません。」

宿帳に記入していたカレンに、冷ややかな声が掛かる。

「いや…だって、同室はあり得ない…」

「二人で同じ部屋なんて、一言も言っていません。」

ピシャリと言葉を遮られ、カレンはますます困惑した。

「…?」

麻流は感情の読めない忍特有の表情でカレンを一瞥すると、受付の男性に宿帳を渡す。

「ツインを一室、お願いします。」

「ツイ…!?」

動揺したカレンをつららの視線で黙らせると、麻流は鍵を手に身を翻した。

カレンは荷物を担ぎ直しながら、慌てて後を追いかける。

カレンが部屋に入ると、麻流は素早く鍵を掛け、天井を仰いだ。

「父上。」

驚くカレンの前に、音もなく空が降り立つ。

「おまえ、冴えてんな。」

楽しげに笑いながら、空は麻流に荷物を手渡した。

「ありがとうございます。」

旅支度をしていなかった麻流は、久しぶりの忍専用の鞄を胸に抱いて嬉しそうにする。

そんな麻流の様子に空は複雑そうな表情を浮かべながら、カレンを見た。

「ここ、『関係国』。」

空の言葉に、カレンがハッとする。

「『山』からまっすぐ『グリム』に向かったほうがうちへは最短だけど、明日は『本』を通って千針山を目指しな。」

「せんはり…ざん…。」

カレンの顔から、血の気がひいた。

「ん。今は雪も深いしかなり厳しいルートだけど、俺らがカバーするから。」

言いながら、空は麻流に革の袋を渡す。

ジャラッと金属音が鳴り、カレンの表情が強ばった。

「今だけ。」

開けてみると、毒手裏剣や毒クナイが入っている。

「今夜は交代。明日の夜まで
には理巧が戻る。」

空の視線で、麻流は状況を悟る。

「バレてますか。」

空は頷くと、カーテンの隙間から外をうかがった。

「さっきより、そこそこ人数増やしてきたね。」

驚いたカレンも、空の横から外をうかがう。

「情報源もろとも、消すつもりかな。」

『情報源』=『麻流』。

カレンは、緊張した面持ちで麻流をふり返った。

その時、小柄な忍がひとり現れる。

「頭領。」

空が足元に跪く忍を斜めに見下ろすと、早口で報告した。

「狼が騒いでいます。」

その瞬間、空が珍しく目を見開いてカレンをふり返る。

「今すぐ、ここから出ろ!」

言いながら、素早くカレンの上着を羽織った。

麻流もカレンにもらった襟巻きを外すと、小柄な忍に渡す。

「こっちです。」

麻流は二人ぶんの荷物を担いで天井裏へ飛び上がると、カレンに手を差し出した。

「第一地点でな!」

声と同時に空と小柄な忍の姿は消える。

その直後、獣の唸り声と怒号、爆発の音が響いた。

思わずそちらをふり返るカレンを麻流は引っ張り上げると、そのまま手を引いて天井裏を駆ける。

「これを。」

走りながら手渡されたのは、黒いマスク。

埃っぽい場所を通るので、カレンの体調を気遣ったのだ。

「ここ低いので、気をつけてください。」

低い場所ではカレンが頭をぶつけないよう、麻流は手を添えて待っている。

「…。」

記憶を失っていても、この細やかさは変わらない。

カレンの胸は、麻流への想いでしめつけられた。

「父上たちが囮になっている間に、本の国に入ります。」

麻流は辺りを素早く見回すと、口笛を吹く。

すると、星が駆けてきた。

「飛び降りま…!?」

麻流が言い終わらないうちに、カレンは麻流を片腕に抱いて飛び降りる。

身軽に星に跨がると、そのまま全速力で走らせるカレン。

麻流は意外な姿に、目を瞬かせた。

「王子、ほんとに運動神経いいんですね。」

カレンの腕の中で、麻流は身を翻して星に跨がり直す。

「でしょ?」

得意気に言って普段通りを装うけれど、手綱を握るカレンの手は小刻みに震えていた。

麻流はその手を見つめているうちに、自然に自分の手を重ねる。

「!」

ビクッと強ばるカレンの手から手綱を取ると、麻流は手袋を渡した。

「私の鞄にポンチョが入っています。取ってください。二人で入りましょう。」

カレンは麻流に言われた通りポンチョを取り出すと、頭から被る。

そして麻流の頭を胸元から出すと、お互いの体温で暖かくなった。

「あったかい…。」

小さく息を吐くカレンに、麻流はふり返って頬笑む。

「このまま一気に本の国を縦断しますよ!」

再会して初めて向けられた笑顔に、カレンは息をつめた。

(まともに…呼吸ができない。)

壊れそうなほど高鳴る鼓動に合わせるかのように、星のスピードがぐんぐん上がる。

(これが、忍の馬…。)

リンちゃんでは経験したことのない早さに、カレンは目を開けていられず細めた。

けれど麻流は星を巧みに操って、獣道も峠もスピードを落とさず駆け抜ける。

そして辺りが暗くなってきた時、麻流が星を止めた。

そこは小さな湖で、麻流はするりとポンチョから抜け出して飛び降りる。

カレンも降りると、星は湖の水を飲み始めた。

「少し休憩しましょう。」

言いながら、座れそうな木陰を見つけ、カレンを手招く。

カレンがそこに腰をおろしてホッとため息を吐くと、すかさず水とパンが差し出された。

「非常食なので美味しくはありませんが、どうぞ。」

「…ありがと。」

カレンが疲れた様子でそれを受けとると、麻流は自分も腰を下ろして、団子のようなものを口に含む。

「それ、なに?」

カレンが訊ねると、麻流は懐からもうひとつその団子を出して、掲げた。

「兵糧丸です。食べてみますか?」

差し出された団子をカレンはつまみ、少し眺めた後、口に入れる。

それは固くてぼそぼそしているけれど、水を一緒に含むと口の中で膨らみ、ほんのり甘さもあって素朴な味だった。

「思ったより美味しい♡」

ふわりと微笑むカレンに、麻流の頬も自然とゆるむ。

「ソバ粉や麦、ゴマなどに蜂蜜や砂糖で甘味を加え、団子状にした、忍の携帯食です。」

「へぇ。」

木にもたれかかりながら、近くの草を食む星を眺めるカレンには明らかに限界を超えた疲れが滲んでいた。

「王子。」

麻流は懐から取り出したチョコレートを、カレンに差し出す。

「どうぞ。」

カレンは、戸惑いながらそのチョコレートをつまみ口に入れる。

「甘~い♡」

満面の笑顔を浮かべるカレンの眉間に、麻流の細い指が2本当てられた。

「少しお休みください。」

その瞬間、エメラルドグリーンの瞳から光が失われ、体から力が抜ける。

「まだ先は長いので。」

麻流はカレンの体を抱えると、そのまま星へ跨がった。

そしてカレンを抱いたまま、星を走らせる。

大きな体を何度も抱き直しながら、空との合流地点を目指していると、突然黒い馬が並走してきた。

「理巧。」

横目で馬を確認して、その主を見ずに呼ぶ。

「カレン様、預かりますよ。」

やはり、理巧だった。

「早かったね。」

麻流はそう言いながら、カレンを抱き直す。

「風(ふう)が報せてくれたので。」

その言葉通り、ふくろうが頭上を旋回していた。
作品名:⑧残念王子と闇のマル 作家名:しずか