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「あれ？　眼鏡？」
「そうなの、近眼なの」
「じゃあ、いつもはコンタクトしてるんだ」
「うん……」
　有香はちょっとだけ目を伏せた。

　付き合い始めて約1年、今日、初めて有香の家を訪れた。
　接客業で日曜が休みではないお父さんはご不在、でもお母さんには紹介された。

「お母さん、この人が加藤さんよ」
「初めまして、加藤です」
「まあまあ、良くいらっしゃいました、娘が常々……」
　まあ、つまりはその程度にまで進展している仲だと言うことだ……まだ結婚云々と言う仲までは行かないが『有香のカレシ』としては認識される程度の……
　お父さんも夜帰ってくれば、お母さんに『どんな奴だった？』と尋ねるだろう。
　
　有香とはとあるジャズのイベントで知り合った。
　街を挙げてジャズ一色に染めるそのイベントは、有名プロミュージシャンも多数出演するが、『街角ライブ』と称して、あちこちの広場でアマチュアバンドの青空ライブも催される。
　有香はその運営ボランティアに参加していて、俺はアマチュアバンドでサックスを吹いていたんだ。
　
「サックス、上手ですね、アドリブがかっこよかったです」
「え？　ああ……ありがとう」
「私も高校までブラバンでサックスを吹いていたんですよ」
「へえ、そうなんだ、俺も高校まではブラバンだったよ、大学でジャズ研に入って、今のバンドのメンバーは大体その時からの仲間」
「私はアドリブとかできなくて……」
「あんなのコード進行さえ覚えてれば後は度胸だよ、度胸」
「間違えちゃったらどうしよう、とか思っちゃうんですよぉ」
「アドリブなんだから間違いも何もないよ、多少音を外した所で勢いで通しちゃえば良いんだよ、いくつかミストーン出してたの気づいた？」
「え？　全然」
「ほらね、音楽に詳しくたってそうなんだから、普通わかりゃしないって」
　それを聞いてニッコリ笑った彼女の笑顔にはミストーンなんてどこにもなかったし、俺のハートを鷲掴みにする勢いもあった……。

　最初のデートは俺が目標とするベテランサックス奏者が所属する大編成バンドのライブ。
　いわゆるビッグバンドとは違い、個々の個性も光るそのバンドの迫力ある演奏に有香の目は輝いた。
　その目にも参っちゃうんだよなぁ……。

　その後もしばらくはライブに誘う月イチ程度のデート、しかし、有香が大学を卒業して職場が近くなってからは平日の夕食デートもするようになって、俺たちの仲は急速に接近した、BF・GFからはっきりとカレシ・カノジョの関係に発展して、今日からは「結婚を前提としてのお付き合い」だな、こりゃ……。

「眼鏡……おかしくない？　コンタクトってあんまり長時間入れておけなくて、家では眼鏡なの……」
　さっきちょっと目を伏せたのは、眼鏡をかけるのをナイショにしてたからか……。
「あのさ、俺もナイショにしてたことがあるんだよ」
「何？」
「俺さ、眼鏡フェチ、眼鏡をかけてる女性が好きなんだ」
「本当！？」
「ああ、本当さ」
　神に誓っても良い、しかも有香には眼鏡が似合う……文句なしだ。
「良かったぁ……ドキドキものだったの」
　マグカップからココアを一口飲んで、有香は微笑んだ。
　この微笑みは、独り占めしたくなるね……で、もう一箇所独り占めしたいところがある。
　俺は有香の左手を取った。
「あのさ……この薬指、予約しちゃって良いかな？」
「……」
　眼鏡越しの有香の瞳がじんわりと潤み始めた。
　まいったなぁ……これ以上鷲掴みにされたら俺のハートは潰れちまうよ……。