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われら男だ、飛び出せ! おっさん (第一部)

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3.中村家の朝



「お父さん、起きて、会社遅れちゃうよ」
「ん……ああ……わかった、ありがとう……」
「朝ごはん出来てるよ、もうコーヒー淹れておいてもいい?」
「ん、ああ、ありがとう、今起きるよ……」

 中村秀俊は横浜市内のマンションで、娘と二人暮らしをしている。
 娘の梨絵は大学四年生、秀俊は六十三歳だからずいぶん遅くなっての子供だ。
 妻の陽子は八年前に他界した。
 陽子はしとやかで控えめな和風美人と評判だったが、元々体が弱く、ふとひいた風邪が元で肺炎を起こしてしまい、あっけなく亡くなってしまったのだ。
 子供もなかなか授からなかった、随分と不妊治療に通い、結婚十三年目でようやく梨絵を授かったのは陽子三十八歳、秀俊四十一歳の時だった。
 
 梨絵は母親のことを今でも良く思い出す。
 優しく、穏やかで控えめ、そして抜けるような白い肌を持つ美人、梨絵は母が大好きだったし、友達にも良く自慢していた。
 ごく小さい頃からずっと『ママみたいになりたい』と思っていたし、それを母と父、そして友達にも良く言っていたほどだ。
 それだけにその母が亡くなってしまった時はショックが強かった。
 その時梨絵は十四歳、一番不安定な年頃だ、しかもその頃、女性下着メーカー勤務の父は新しく立ち上げられることが決まった直営ショップの店長になることが決まったばかり、通常の業務の他に店舗の立ち上げ準備もしなくてはならず、帰宅は毎晩遅かった。
 一人ぽつんとリビングにたたずんでいると、寂しさにいたたまれなくなる。
 それまでは『真面目で良い子』だった梨絵だったが、ついつい夜遊びにふけるようになり、遅くに帰宅する父より更に遅く帰宅することもしばしば、それをきつくたしなめる父にも反発した。
『お父さんに何がわかるって言うのよ!』
 後から考えれば、思春期特有の自分しか見えていない言葉で、父の気持も考えずに、そんな言葉を投げつけてしまったのを申し訳なく思ったが……。


 夜遊びにふけるようになれば、当然悪い友達も出来る。
 梨絵自身は夜遊びを繰り返してはいても、あまり深い付き合いにならないように気をつけてはいたが、仲間とみなせば向こうがほうっておいてはくれない。
 まして母譲りの美貌の持ち主だ、倫理観の薄い男どもが目をつけないはずもない。
 その日、かねてから梨絵に目をつけていた男二人に、取り壊し予定のまましばらく放置されていたビルの地下に引っ張り込まれてしまった。
 必死に抵抗するが、相手は高校生の不良二人、組敷かれてしまい、もはやこれまで、と観念したその時だった。
 地下室に飛び込んできたのは父だった。
 いつもの優しそうな、少しのんびりした印象を与える顔立ちの父ではなかった。
 普段は下がり気味の目じりを吊り上げ、普段はハの字型に垂れた眉もきりりと、父は不良に立ち向かった。
 高校、大学とラグビーに打ち込んでいた父のタックルは強烈だったが、あっという間に蹴散らし……というわけには行かなかった。
 相手は二人、しかも喧嘩慣れしている不良。
 父もさんざん殴られた、しかし、父はそれに怯むことなく、大立ち回りの末、なんとか二人を追い払ってくれたのだ。


 後で聞けば、仕事で遅くなる時も常にGPSで居場所を気にかけてくれていたのだ。
 もちろんそれを良しとは思っていなかったが、ケーセンに入り浸っていることも知っていた、しかし、オフィス街のビルに用事があるとは思えない、GPSでそれを知った父は娘のピンチだと直感し、仕事を放り出して駆けつけたのだった。

 もちろん、そのことがあってから、梨絵の夜遊びはぴたりと止んだ。
 その代わり、秀俊は接待で飲んでいようがなんだろうが、三十分おきに舞い込んで来る梨絵からのメールに返事を打たなくてはならなくなったが……。
 今でもそれは続いている、梨絵も飲み会中だろうがなんだろうがメールを打つし、秀俊も相槌程度でも良いからメールを返す……結果的には秀俊もそのことで最愛の妻を失った寂しさを紛らわすことが出来たのだからお互い様なのだ。