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われら男だ、飛び出せ! おっさん (第一部)

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2.村野家の朝



「あなた、あまり寝てないんじゃないですか?」
「ああ、まあ、そうだな……でも大丈夫だ」
「あまり無理をなさると……心配ですよ……はい、お茶をどうぞ」
「ああ、ありがとう……」

 横浜郊外の建売住宅。
 村野佳範は眠い目をこすりながら緑茶を口に運ぶ。
 昨日は名古屋の郷土料理店の取材で、家に帰り着いたのは夜半過ぎだった。
 それでも朝は普通に出勤しなくてはならない、朝から編集会議が控えているのだ。
 意志の強そうな四角い輪郭に、眉間のしわがいつもより深く刻まれている。
 そもそも佳範は普通にしていても難しい顔をしているように見える、眉間のしわはそれが普通、そのせいで目つきもちょっときつく見えてしまうのだ。
 笑うとしわが消え、目じりもぐっと下がる、普段の顔からの落差が大きいだけに周囲をほっと楽しくさせるのだが、このところ、あまり笑顔を見せていない……おそらく自分では気付いていないのだろうが。

「ねえ、どうしてお父さんが自分で取材に行かなきゃならないわけ?」
 先に食卓についていた一人娘のみどりがふくれっつらを見せた。

 佳範はグルメ雑誌の編集長をしている。
 ただし、書店やコンビニで売られている雑誌ではなく、親会社であるスパイスメーカーがサービスで出している雑誌、予算も限られているから部下も三人しかいない。
 その上、その三人も言うなれば親会社では『いまいち使えない』と見限られた社員、何時までも学生気分が抜けず、締め切りが迫っていようが残業を渋る、名店の取材だろうが、帰りが夜中になるような仕事はやりたがらない。
 そして、なお悪いことに、佳範はいい加減な仕事は出来ない性分なのだ。
 部下たちは、人気のスイーツ店だの、おしゃれなレストランだのと言った目新しい店ならば喜んで取材に行くし、それなりの記事も書く。
 つまりは『どうして若者に人気なのか』と言う点については的確な視点を持っている。
 しかし、いわゆる老舗や格式の高い料亭、レストランの取材は佳範が一手に引き受けている、彼らでは取材の深さが決定的に物足りないのだ。
 加えて、社会人としての常識にもいまひとつ欠ける彼らは、職人気質の店主を怒らせてしまう怖れすらある。

 そんな、いわば掃き溜めのような職場だが、佳範は自ら望んで異動した。
 元々は商品開発の部署にいたのだ。
 係長まではすんなり昇進した。
 熱意があり、責任感も強く、バリバリと働く。
 会社にとっても有能な人材なのだ……係長レベルまでなら……。
 佳範の問題は部下を上手く使えないこと。
 あれこれと指示して、時にはきついことを言ったり残業を強いたりすることが出来ないのだ、その上、仕事の出来栄えについては強いこだわりを持つので人任せに出来ない、部下の仕事に関しても言いたいことは山ほどある、しかし、『こいつなりに一生懸命やったんだろうな』と思うと強くは言えない、それよりも自分で手直ししてしまった方が早いし、納得が行く……しかしながら、そのやり方では多くの部下を使いこなすことは出来ない。
 部下からして見れば、一生懸命やった仕事に対して色々と指摘されたとしても、最後まで任せてくれればやりがいもあり、それを乗り越えて成長して行くものだが、途中で引き取って自分で仕上げられたのでは、むしろ手柄を横取りされたような気分にもなり、やる気も失せ、成長もない。

 五十を過ぎてようやく課長にはなったものの、その先はないのは目に見えている。
 課長と言うポストにあってもその性格は変わらないから、直下の部下である係長を使いこなせず、自分でやってしまう仕事は増えるばかり……。

 心身ともに疲れ果ててしまい、願い出たのが、新しく立ち上げられた雑誌の編集部だった。
 元々味にはうるさく、自分で料理もよくしていた佳範、加えてスパイスメーカー勤務で知識も豊富。
 雑誌は好評だった。
 隅々まで佳範の目と手が行き届いているのだ、隙のない見事な出来栄えだと、経営陣にも高評価された。
 しかし、それは、やはり佳範自身が身を粉にして駆け回り、いかに夜遅くなろうとも細かくチェックして手を入れた結果なのだ。

 一人娘のみどりはそんな父に不満を持っている。
 みどりは美容師、既に十年のキャリアを積んで、そう遠くないうちに自分の店を持つことを夢見ている。
 新米の頃、今も勤める店のオーナー店長は丁寧に教えてくれた。
 最初の半年くらいは、みどりがカットし、セットしたお客様の髪に、店長が仕上げをして見せてくれ、次の半年は店長のチェックを受けることが決まりだった。
 しかし、一年が過ぎると、店長は口出しすることはなくなり、店を閉める時の短いミーティングでその日に気づいたことを指摘するだけ、そのやり方で何人もの先輩が独立して行っている。
 社会人としての自覚を持つみどりの目から見ても、父の仕事ぶりは隙のない、責任感に溢れた立派な物だと思う、しかし、部下を育てるのは絶望的に下手だとも思う。
 自分持つノウハウを部下に伝えて使いこなせば良いのだ、何も自分で全部をやる必要はないのに……。
 みどりは歯がゆくて仕方がない、そして、ついぶっきらぼうな言い方で父を責めてしまう。
 そんな自分も嫌なのだが……。

 母の和歌子はその点、父を良く理解していると思う。
 ただただ、父の体を心配して、体に良さそうな食事を用意し、家庭ではゆっくり休めるように配慮するばかり……。
 そんな母も、あるいは父と同じで、全てを自分の手で完璧にこなさないと納得できない性分なのかもしれない。
 みどりは時々そう感じることがある。