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4.原発


 首相官邸にドローンが落ちた。というニュースを耳にしたのは、職場で昼休みの時のことだった。私の職場では、昼休み時と、大きな地震など、大災害が発生した時は、テレビを点けてNHKニュースを流す。
「どこの国のだ?防空体制はどうなっているんだ?」
 と、1人慌てて言ったが、それが杞憂であったことは、同僚よりも先にテレビの画像が教えてくれた。私の中で、それは、ラジコンヘリの類に分類される。
「な〜んだ。」
 正直ほっとした。
 偏りきった私の知識の中で、「ドローン」といえは、UAV(無人偵察機)や、無人の攻撃機、訓練用の無人標的機など、とにかく「無人」の軍用機を意味する。ちなみに無人標的機などは、現役を退いた戦闘機を無線操縦に改造したものまである。日本でも、F-4EJファントムの前の世代であるF-104J戦闘機を無線操縦式に改造して硫黄島基地で標的機として運用していた。
 もしも、そういった類が落ちたとしたら。。。多分、周りにいた誰よりも私の中の情景は悲惨だったに違いない。
 そこまで思考がぶっ飛んでいた上での
「な〜んだ。」
 だったのである。どれだけ安堵したことか。

 ニュースではドローンに搭載していた「あのマーク」が表示されたプラスティック容器が話題になった。
 数日後、、、
 犯人が出頭した。というニュースをネットで読んだ。
 年齢が私と同じという点で、ある意味驚いたが、もっと驚いたのは、「あのマーク」の容器に入っていた土から「セシウム」が検出された。という報道がなされた後だったことだ。出頭した犯人は、その土を福島から持ってきた。と証言した。
 私は内心で唸(うな)った。福島県の人々、私を含めて福島県の復興を支える人々、近隣の県の人々、福島県の復興を応援している人々。。。そんな人々の努力に対して風評被害を増長させることとなったことは残念でならない。
 だが、もしそれが本当に福島から持ち出された土ならば、それが「現実」なのであって、「風評」ではない。さらに言えば、犯人がドローンに取り付けた容器に「あのマーク」ではなく、「福島の土」と表記していたらどうだっただろう。
 最初から「福島の土」だと公になっていたら。。。
「成分の分析を行わなかったのではないだろうか。」
「いや、行ったとしても、公には行わず、結果も秘匿したに違いない。」
 なぜなら、その土の分析の結果がもし悪かったなら風評被害どころか、政策に影響を及ぼすからだ。
 だから「福島の土」だと明記されていたなら、何もしなかったに違いない。福島の復興をからかう憎き愉快犯。その程度だっただろう。
 土の成分分析を行ったとしても、それは密かに行われ、結果は密かに葬られていく。。。情報が溢れる現代だが、一方で、秘密情報保護法が情報を支配する。もしかしたら、私達が得ている情報は「操作された情報」なのではないか。。。
 そう考えた私は、恐ろしくなった。
 だから犯人の出頭のタイミングに内心唸らされた。
 犯人は、そうなることを予測していたのではないか、だから成分が公表されてから出頭し、「福島の土」であることを証言したのではないか。。。
 そうだとしたら、結構な知能犯なのではないか? 
 でも、理由はどうあれ、仮に政府の闇を突いたとしても、その行動は決して誉められたものではない。そこまでする人が現れたことに不安を覚えた。これからどのようにエスカレートするのか。。。あるいは終息するのか。。。国の政策が変わるまで続くのだろうか。。。
 しかし、ニュースを読み進めていって、さらに不安になった。それは、ニュースに対する沢山のツィートだった。その多くが犯人を批判する。
 それは当たり前の感情だと思う。しかし、問題はそれに続く言葉だ。
 殆どのコメントに反原発を唱える人々に対する、偏見に満ちた暴言や罵倒の言葉の数々が続く。。。
 犯人が批判されることに何ら違和感はない。しかし、反原発を訴える人々を犯人と一括り(ひとくくり)して罵倒するのは如何なものか?

私は、疑問に思う。。。
 罵倒した人々は、反原発を唱える人々の行動全てを知っているのだろうか?
 罵倒した人々は、反原発を唱える人々がどんな人達か全て知っているのだろうか?
 罵倒した人々は、原発に対してどう思っているのだろうか?
 罵倒した人々は、原発問題に対する解決策を持っているのだろうか?
 罵倒した人々は、結局この問題に対して、何が言いたいのか?
 
 ただ罵倒し、暴言を吐くことは簡単だ。「いいストレス解消」だろう。。。
 しかし、アナタの言葉を映すディスプレーの向こうの不特定多数の人々はどう感じるだろうか?
 落ち着いて、客観的に見てみてほしい。
 見ず知らずの相手を一括りにして罵倒している自分の姿を別の視点で見てみてほしい。
「その言葉の暴力は正しいですか?」
 少なくとも原発問題に関心のある人ならば、気付くはずだ。いや、そうあって欲しい。

 「いいストレス解消」をして、何が悪い。
 と思うアナタ。「いいストレス解消」が駄目だとは言わない。ストレス解消は必要だ。
 だが、知らない人々まで一括りにして言葉の暴力を浴びせることが正しいのか。それを考えて欲しい。ただ、それだけのことだ。

 知りもしない人々を罵倒することについて、表現の自由だ。と権利を主張する人がいるのなら、その罵倒で傷つく人々の責任をどう取るというのだろうか?
 自由という権利は、誰にも損害を与えないなら行使することを認められる。そうでなければ、自分勝手で、無責任でしかない。
 
 私が間違っているのだろうか?そう思う人もいるだろうし、実際に私が間違えているのかもしれない。
 ならば、感情論や、モラルの話をするのは止めよう。現実を見てきたらどうだろうか?
 
 私は、東日本大震災の翌年から、仕事の関係で、2ヶ月に1回の頻度で福島県の南相馬市に出張に行っている。あの飯舘村を通って。。。
 初めて見た飯舘村は、秋なのに田圃には黄金の稲穂は無く、水が枯れて雑草が茂る。その荒れ果てた田圃には、人がいないのをいいことに30匹以上の野生の猿の群が我が物顔に闊歩する。放置された民家の庭にも野生の猿が見える。
 巨大なポニョの人形が視界いっぱいに広がる荒れ果てた田圃にポツンと佇んでいたのが印象的だった。
 道路沿いには、飯舘牛の看板が見える。そして、「そうだ、これからは国産だ」「これからは職人の時代だ」といったスローガンの書かれた力強い絵が、震災前の村の希望を代弁しているようだ。
 これからだったのに、震災さえなければ、いや、原発さえ無かったなら。。。
 そんな言葉が聞こえてくるようで、私の目頭が熱くなったのを今でも思い出す。
 車窓に村人は見えず、巡回のパトカーが役場らしき駐車場に複数止まっている。原発の近くを北上する常磐自動車道や、国道6号線は、線量の影響で通ることは出来なかったため、村の狭い幹線道路は大型トラックも多数走る。
 人が立ち入るようになり、除染作業が行われるようになり、作業者が民家の庭や道路に、そして林の中に見られるようになると、ガソリンスタンドが営業を再開し、郵便局や、農協が営業を再開した。だが、人が住む様子はない。
作品名:モバイル艦隊 作家名:篠塚飛樹