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白球の夏

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 地方予選決勝戦の日、ギラギラと照りつける太陽に、したたり落ちる汗を拭いながらも、不思議と暑さは感じなかった。人間、極度に緊張すると、感覚が鈍くなるのだろうか?
 三塁側ベンチ前にナインが整列した。主将の号令のもと、素早くグラウンド内に走り込む。審判を挟み相手チームと向かい合い、帽子を取って一礼。後攻の相手チームのレギュラー陣は、一目散にそれぞれの守備位置へと散っていく。吹奏楽の応援歌が流れ、応援団の掛け声が響き渡る。
 さあ、戦いの始まりだ。
 
 
〈僕は、野球少年ではなかった。小さい頃から足が速く、運動会ではいつもリレーの選手に選ばれていた。そして高校に入った時も、何の迷いもなく陸上部に入った。県大会に出場する日を夢見て、毎日練習に励んだ。
 そんなある日、スタートの練習に汗を流していると、足元に野球部のボールが転がってきた。そのボールを拾い上げ、転がってきた方向を見ると、遠くでユニフォーム姿の部員が両手を振っている。僕にはとてつもなく遠い距離に思えた。届くかな? 僕は思いっきり、腕を振ってボールを投げ返した。
 それが、運命のボールとなった。僕の投げたボールは部員のはるか頭上を越えて行った〉
 
 
 トップバッターの僕は、まだ誰も入っていない右打者のバッターボックスに入った。白線が眩しい。足元の位置を確認してバットを構えた。プレーボールの声がかかり、サイレンが球場を包んだ。そして、ピッチャーがグラブを振りかぶって投球動作に入った。
 
 
〈僕は足の速さと、肩の強さを買われ、野球部の顧問から熱心な誘いを受けた。経験のない僕は当然尻込みをした。
 すると、顧問はバットを握ってみないかと言った。そして、僕はバットを手渡され、百回振ってから断るようにと言われた。そんな無茶な要求など、はねのけることもできたはずなのに、なぜか僕は素振りを始めた。その顧問の先生になんとなく魅力を感じたのかもしれない。
 何とか振り終わって、バットを返そうとしたら、先生はボールを持ってしゃがんでいた。投げるから打ってみろ、続けて十球当てたらお終いだ、と言ってトスバッティングが始まった。これも、拒否すればできるものを、僕は必死に打ち始めていた。それは、陽が傾くまで続いた〉
 
 
 決勝戦は、五回まで0対0の息を飲む投手戦が展開された。とにかく、ホームベースが遠かった。そのホームベースの先には憧れの甲子園が待っている。どちらのチームも、ここまで来て絶対に負けるわけにはいかなかった。
 
 
〈トスバッティングの特訓がようやく終わると、先生はご苦労さま、とだけ言い僕を残し帰って行った。僕は後片付けをしながら、なんとなく明日またここにやってくるような気がした。
 そして、翌日、僕は野球部員になっていた。少し遅れての入部となったが、みんなに追いつくよう人一倍がんばった。
 そして迎えた三年の夏、僕はようやくレギュラーを勝ち取った。足の速さを期待され一番センターになった。この学年は、近年になくいい選手がそろっていて、順調に予選を勝ち進み、学校始まって以来初めての決勝戦にまでたどり着いた。
 同級生はもちろん、親戚や近所のおじさんまでもが観戦に来ている。小さな町をあげての応援が伝わってきた。これまでまったく甲子園になど縁のなかった学校は急こしらえの応援団を作った。しかし、吹奏楽部は練習が間に合わず、近くの高校の友情応援となった〉
 
 
 とうとうスコア―ボードが0のまま、最終回を迎えた。表の攻撃も2アウトになり、僕の打席が回ってきた。慎重にボールを選び、フォアボールで塁に出た。誰もが僕の盗塁を期待した。二塁へ行けばスコアリングポジションだ。甲子園がぐっと近づく。
 相手投手は幸運にも右投げだった。右腕投手での盗塁は今までほぼ一〇〇%成功している。僕は、それでも慎重に相手投手の足元に集中した。僕の足を警戒して牽制球が続く。そして、三球目の投球モーションに入った時だった。塁審がボークのコールをした。僕が俊足なことに気を奪われた投手のミスで、僕はなんなくセカンドをおとしいれた。
 もう後は、バッターにすべてをかけるだけだ。そして、バットにボールが当たればとにかく走る、2アウトなのだから。僕にはもうホームベースしか見えなかった。
 あそこは甲子園なのだ!
 確実にホームインするためには、少しでも近くに、そんな意識が働いたのだろう。離塁が大きくなり、突然投手が振り返ったその瞬間、しまった! と思ったが遅かった。
 相手内野手のサインプレーで僕はタッチアウトになってしまった。ホームベースに伸ばすはずの手が、二塁ベースでブロックされるなんて……こうして僕のボーンヘッドで絶好の機会を逃してしまった。
 
 気持ちを建て直せないまま、その裏の守備についた僕に、挽回の機会が訪れた。2アウトランナー二塁。あのランナーがホームインしたら万事休す。でも、バッターかランナーをアウトにできれば、またチャンスは巡ってくる。諦めたらお終いだ。バッターを倒すのはピッチャーだが、ランナーを仕留めるのは野手だ。
 初球ファウルの二球目だった。バッターの当たりはピッチャーの足元を抜けるセンター前ヒット。バックホームに備え、外野手はみなあらかじめ浅めに守っていた。これならホームでアウトにできる、肩にもコントロールにも自信のある僕は瞬時にそう思った。
 ボールめがけて前へ走り、キャッチャー、いくぞー、と思った瞬間だった。ボールは僕のグラブの下をすり抜けて、転々と誰もいない外野へと転がって行った。バックホームを焦るあまり、ボールから一瞬目を離してしまったのだ。
 さよならゲーム、信じられない結末に、へたりこむ僕の前で繰り広げられる光景――相手チームが、ホームインした選手の周りに一斉に駆け寄り、小躍りして喜び、スタンドの応援団は歓喜の雄たけびをあげている。
 その時、僕の周りで時は止まった。僕の耳には何も聞こえない。ただ脳裏には足元を抜けて外野を転々と転がっていくボールが、何度も映像として映し出された。
 そして、我に返った僕はその場で泣き崩れた。仲間の選手たちに支えられながら、ようやくゲームセットの一礼をしたが、後のことはよく覚えていない。
 
作品名:白球の夏 作家名:鏡湖