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富士樹海奇譚 見えざる敵 上乃巻

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二、風穴


https://www.youtube.com/watch?v=SCw6NvPhAG8
黛敏郎「涅槃交響曲」 Toshiro Mayuzumi “Nirvana Symphony”

柿渋色の忍び装束の男たちが暗い森の中を足早に進んでいる。
ここは広大な樹海の広がる霊峰富士の麓。地元の猟師たちが獣道を踏み固めた道を黙々と進む。急な登坂を登りきると見晴らしの良い高台に出た。先頭の欣三は、後ろを振り返る。村の者たちは着いてきているが安田の姿が見えない。

村いちばんの俊足を誇る欣三は、野兎を追えるほどの足の持ち主。自らもその足に自信を持っている。それだけではない。野兎を追うたびに、獣たちの息遣いといったものを感じることが出来るようになった。それは獲物の野兎を狙う、自分以外の存在。狐であったり、狸であったり、時に狼の群れであったり、手負いの熊であったりする。それらは互いに出くわさないように一定の距離を保っているのが、野生の掟。もし出会ってしまえば一触即発。どちらかが死ぬことになるだろう。だから互いに一定の距離を保ちあう。なにがその起点となるのか。それは互いの息づかい、呼吸を察知することにある。それが出来ねば距離は保てない。ここは霊峰富士の麓。山に入るには地元の猟師たちも神に祈る。神域たるこの森に棲む獣こそ、神獣。畏れ慄くべき存在だ。だから彼らはそのお命を頂戴する事を神に赦しを乞う。それをあの侍風情め。なんと尊大な態度だ。あぁいうやつは野生の掟を知るすべもなかろう。野生は常に飢えている。そのことを知らずしてこの山に入るとは。ひとりにして獣の餌にでもしたら。ひとたび、ひとの味を知ってしまえば。奴らは群れで我らを餌と間違えて容赦なく襲ってくるだろう。一寸先は闇。ひとりの気の紛れが全体の命取りとなる。だいたいなんであんな奴が、ついてきたんだ?

月の光が雲に遮られ、高台も漆黒の闇に包まれた。男たちが次々に欣三に追いつく。
「あいつが着いてきていない。暫く休憩だ。」
熊一は辿りつくと、欣三の決定を褒めた。そして欣三の思いを察し頷いた。
「あぁ、あいつは足腰が弱いから僕らにはついてこれないさ。境内を出る頃には既に息も絶え絶えだった」錦七が甲高い声で云うと、彼を背負子で背負った源吾が低い声で笑う。
仕方なしに熊一は坂を下りてゆく。「待っていてくれ。探してくる。」
熊一の背を見ながら欣三が毒づく。
「どうしてあんな奴がついてきたんだい?いくら御世継様を助け出すと言ったってあんな足手纏いなら邪魔にしかならんだろ。ここからでも追い返してしまった方がいいんじゃないか」
熊一は振り返りもせず坂を下りて行ってしまったので、答えを坊主頭の吟次に求める。
「お侍様のことはよくわからんが。上だの下だの、ややこしいんだろうな。」とだけ言って空を見上げ、舌打ちして広がった雲を訝しがった。
「だって吟次は士官を推挙された程の武芸の使い手で、御屋敷に仕えたこともあったろ?」「だから、ややこしいのがいやで村に戻ったまでのことさ。」
「で、宮仕えが嫌で坊さんになろうとして頭を丸めたのか?」
吟次は笑いを誘おうと鼻で笑って見せた。「ただ禿が目立ってきたからさ。」
一瞬表情を緩ませたが欣三は夜空を仰いでつぶやいた。
「あいつら戦(いくさ)のことしか頭にないだろ。毎日毎日喰ってるおまんまのことなんか考えちゃいねぇ。菜っ葉や魚のことなんか考えちゃいねぇ。だから御神域に入るにも態度が悪い。ありゃ天罰が下るぞい。」いつも冷静沈着な欣三が珍しく語気を荒げているのを吟次は不思議に思った。「欣三兄、なにかを恐れているのかぃ?」背後の錦七の言葉に源吾は神妙な面持ちで欣三を見た。「ば、馬鹿野郎、錦七!俺は怖いもんなんかないさ。ただここは霊峰富士の御神域だ、ということだ。いつもの笹子谷とは違う、なにもかも。」明らかに欣三兄は何かを恐れている。この先何もなければいいんだが。口の重たい源吾は鼻を鳴らした。
吟次は穏やかな声で話しかける。「物知りの錦七なら聞いたこともあろうか。ここ霊峰富士の謂れを。吉原宿の竹取の翁の話を。」風の音を聞いていた錦七は、あぁと嘯く。「天帝の娘が竹取の娘となった話かい。婿を選ぶのに随分と酷い仕打ちをした話だ。」吟次はうなづく。「その話の最期はどうだったっけ?」思い出しながら錦七は「婆さんの話だとあの話は、娘が天女となって帰ってゆくんだ。ちがったっけ?所詮は昔話、子供の頃の記憶しかない。」吟次は首の骨を鳴らして錦七を嗜める。「子供相手のお伽噺とな?錦七はそう思うておるのか?あの話はそのあとがあるのだ。娘は月に戻る際に帝に不老不死の薬を手渡した。だが娘に恋い焦がれた帝は月ばかり見ていて。だが月に行けない我が身を嘆いて、ならば不老不死などなんの意味があろう。そういってこの山の頂の火口に薬を捨てさせに遣いをやった。それ以後、この山の名は“不死の山“つまりは富士の山となった、らしい。」
「吟次兄はそんな戯言を信じているのか?月に天帝がいると信じておるのか」吟次は錦七の言葉を心外だと思った。「他にもこの富士の霊峰というのは現世と幽世の境があるという。だから年老いた獣はこの麓に山を越えてやってくる。」あぁ聞いたことはある、と頷いた振りをして見せる錦七だったがまさか猛者の吟次がそんな戯言を信じているとは思えなかった。「まぁこの辺りは、不思議な場所には違いないと思っていた方がいいぞ。」
欣三が、背後になにかを察して、錦七を見やると、やはり坂の下の方に耳を澄ましている。「足音だ・・人間の。」「しかもふたり。」
やがて足音は坂を登り高台に辿りついた。熊一と安田が息を切らしながら急な坂を登ってきたのだ。安田は皆に頭を下げた。「すまん、手間を取らせてしまって。」だが、男たちの反応は冷たかった。熊一が安田に声をかける「私らの足跡を踏んで進んでくださいな、ここいらはとても危険な場所もある。」皆に目を向けて熊一は言葉をつづけた。「ちいさな風穴の入口に足をとられてな、十尺ほどの竪穴に落ちていた。皆も足を取られんようにな」この富士の麓は火山灰に覆われてその後に植物が繁茂し根を張って森となった。その間に風化して崩落した大小さまざまな風穴(ふうけつ)が多数存在している。大きなものであれば巨大な洞窟のようなものもあるが、小さなものも無数にあり足場に注意を要する。
雲の裂け目から月の光が漏れ、辺りが青く照らし出された。ぬっと空にそそり立つ黒い富士の山の麓に黒い森が延々と続く。安田は息を切らせていたが、他の男たちは腰を上げた。明け方には猟師小屋に着く手筈だったが、遅れに遅れそうだ。
安田は竹筒の水を飲み干す勢いで口に流し込んだが、先導を行く欣三が声をかけた。
「そんなに飲むと横っ腹痛めるぞ。」源吾が吹き出して横を通り過ぎる。その背後の錦七が甲高い声で笑う。「さ、行こうか」熊一が声をかけるので、重い腰を上げ、ゆっくりと安田も歩き始める。最後列に吟次が着いて辺りの闇を見回しながら歩を進める。