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ともだちのうた(後編)

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〇九 悲 し み


 ひゅうと息を飲んでベッドからはね起きた。パジャマが汗でぐっしょり濡れている。いつの間に寝ていたのだろう。カーテンのすき間から薄明かりが漏れている。机のうえの時計に目をやると、もう朝の七時。ひどく頭がぼんやりしていた。旧校舎を逃げ出して、それから後の記憶が曖昧だった。トムといつ別れて、家までどうやって帰ってきたのかもよく覚えていない。
 もしかするとトムという存在もふくめ、すべてが夢のなかの出来ごとだったのかもしれない。考えれば考えるほどそんな気がして、思わず携帯電話へ手をのばした。着信履歴をチェックする。夢なんかじゃなかった。昨日わたしは、たしかに電話でトムと話をしていた。
 のろのろとベッドから抜け出しカーテンを開ける。かろうじて雨は降っていないけれど、鉛色にくすんだ空は今にも泣きだしそうだ。
 窓へ寄り掛かって、考える。
 昨日のあれは、たしかに幽霊だった。姿こそ見てないけれど、会話の内容や、唐突に消えたことなどから考えれば疑う余地がない。イジメで自殺したひとの霊がアキラの噂を耳にして時計塔へさまよい出たのだ。高校生だろうか。どこの学校の生徒だろう。自殺したことが新聞に載っていたとすれば、インターネットで調べれば分かりそうな気がする。
 ならば、もうひとりの男のひとはどうだ? 自分はアキラじゃないと言っていた。彼もやはり幽霊なのだろうか。だとしたら、なんのためにあそこへ現れたんだろう。
 この世に幽霊なんてものが本当に存在するとは思ってもみなかった。
 そもそも、ひとが死ぬってどういうことだろう。
 肉体が滅びたあと、自分を自分だと感じているこの意識はどうなるのか。
 死後、自分はどこで世界と繋がっていられるのだろう。
 そういうの、今まで真剣に考えたことなかった。
 と同時に、わたしはまだ死にたくないとも思う。生きていたいと切に願う。おしゃれをして、美味しいものを食べて、仲間と遊んで、素敵な恋をして……。まだ、やりたいことが山ほどあるのだ。幽霊なんかにはなりたくない。
 リビングへ行くとママが朝食のしたくをしていた。
 どうしよう。
 少し迷ったけど、なんとなく学校へ行く気にはなれなかった。いかにも体調が悪そうなふりをして、エプロン姿の背中へ声をかける。
「ごめんママ、なんか風邪引いちゃったみたいなの。今日は学校休ませて」
 ママがぼんやりした顔で振り向いた。小さくため息をつく。胸がチクリと痛んだ。わたしが学校でイジメにあってること、そのために授業をサボっていること。やっぱりママには言うべきかもしれない。でも、今はムリ。いつかきちんと話すつもりだから。ごめんね、ママ。
 部屋へ戻ってふたたびベッドへもぐり込むと、さっきまでの温もりがまだ残っている。二度寝なんて出来ないだろうと思ったけど、目をとじるとすぐに意識がトロトロと夢の世界へ引き込まれた。眠りに落ちる瞬間さっきの悪夢が頭をかすめたけど、今度はなんの夢も見なかった……。

 十時ごろもう一度目を覚ますと、ママはすでに出掛けたあとだった。冷蔵庫からトマトを一個はいしゃく、ヨーグルトをつけてそのままかじる。空っぽの胃に冷たさがじわっと染み渡る。しだいに頭が冴えてくる。やっぱビタミンのちからってすごい。ついでに牛乳も飲む。腰に手を当ててゴクゴク飲みほす。からだに、ちからがみなぎってくるのが分かる。人間、美味しいものを美味しく食べられるうちは、だいじょうぶ。たいていの困難は乗り越えられるものだ。
 着替えをして顔を洗ったら、あとはもうすることがなくなった。じゃあ勉強でもしろよって話だけど、進路はまだ決まってないし危機感はゼロ。とりあえず夏休み終わるまではのんびりさせてもらいましょう、みたいなお気楽なこと考えてる。
 それよりトムに会いたかった。会って色々と説明してほしいことがある。あいつのせいで昨日はひどい目にあった。悪夢にもうなされた。そもそもトムってなに者? これまで廊下ですれ違ったこともないから、もしかすると下級生なのかもしれない。
 また昨日みたいにタイミングよく電話がかかってこないかな、と思ってたら本当に着信音が鳴った。
「ようジュリア、また今日もサボリか?」
「うるさい」
「ちょっと学校へ出てこいよ、一緒に図書室へ行ってみようぜ」
「え、図書室?」
 あの不良少年と図書室は、ジェームズ・ディーンとサンマ定食くらい似合わない。
「図書室でなにすんの?」
「調べてみんのさ。アキラのことを。あそこへ行けば校報のバックナンバーとかぜんぶ揃ってるぜ」
 なるほど、校報ならネットで流布してる噂なんかと違って、学校で起こったことをありのままに伝えてるはずだ。自殺した生徒のことも、なにか分かるかもしれない。
「あんたって見かけによらず頭良いのね」
「ホレたか?」
「わきゃないでしょ、タコ」
「とにかく図書室で待ってっから、なるべく早く来いよな」
 それだけ言って電話は一方的に切れた。
 いつも部屋着にしてる襟口たるんたるんのトレーナーから制服に着替える。念のため、合格祈願にとお婆ちゃんがくれた菅原道真のお守りをポケットに入れておく。外へ出ると、ぽつらぽつら雨が降りはじめていた。今日は第三土曜日だから授業は昼でおしまい。傘をさして通りへ出ると、ちょうど下校してくる生徒たちと何人も行き違った。
 梅雨どきの雨って鬱陶しいけど、水のにおいに混じって新緑の香りがする。芽吹いた草花や、繁ったばかりの若葉の生命力を感じる。街をつつむ緑に、夏を生き抜くためのパワーを与えてくれる。授業に出られなくなって三日目、家ではパパとママがぎくしゃくしてる。おまけに幽霊と関わるはめになって、わたしの人生もう最悪。それでもトムとつるんでいると、なんだか心が浮き立つ。ドキドキするようなことが待ち受けている不思議な予感に胸が躍る。知らないうちに傘をクルクル回していた。
 学校手前にある歩道橋へさしかかったとき、通りをはさんで向かい側のお弁当屋さんに佐緒里たちの姿を見つけた。シェードの張り出した店先で三人仲良くコロッケにかじりついている。
 胸がきゅっと締めつけられた。
 以前はわたしもあんなふうに彼女たちと買い食いをしていた。
 今、勇気を出して声を掛けたら「あれ、風香じゃん」って、なにごともなかったように仲間へ入れてもらえるだろうか。
 それともわたしを無視するイジメはこの先もずっとつづいてゆくのか。
 急に雨が冷たく感じられた。
 ぐずぐず思い悩んでいたら、ふと美佳が顔を上げて、だれかを探すようにこっちへ視線をおよがせた。
 わたしは急いで傘にかくれ、階段を駆け上った。