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紫陽花

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[紫陽花]



この男に、同情すべき点はあるのだろう
あるにしてもこんな身勝手な犯行、許される訳がない

虹色の花弁を鏤(ちりば)める、桜並木の下

真っ新な制服に身を包む、女学生
真っ新な空に、送る日日を思い描いていた事だろう

『殺す…、つもりはなかった』

口を揃えて言う
殺す気はなかった、と白白しく言う

刃物を持つ時点で
毒を盛る時点で、それは殺意の為せる業だろう

酒を飲み、自動車のハンドルを握った時点で
幼子を大人の力で殴り、蹴り飛ばした時点でそれは同じ事だろう

『逃げられるのが、嫌だった』
『逃げられるのが、嫌だったんだ』

此処(ここ)は森の中じゃない
手を緩めたら、目を離したら逃げられてしまう

---絶対に嫌だ
---一人は嫌だ

---俺は美しくなりたいんだ

『逃がさない方法は知っている』

男の顔一面に、満悦の笑みが浮かぶ
我慢できず、若手刑事が男の襟元に躍り掛かる
着座していたパイプ椅子が一隅に陣取る、書記係りの刑事目掛け吹っ飛ぶ

『巫山戯(ふざけ)るな!』
『この人殺しが!、この…、鬼畜があ!』

男の中で何かが弾ける
若手刑事と男の間に入り諌止(かんし)する、古手刑事は
確かに、その瞬間を目撃した

鉛玉のように鈍くも生という光を宿していた、男の目が
音を立ててひび割れ粉粉に砕け、暗黒の千尋の穴へと落ちていく
がらんどうのような、そんな双眸に変わっていく

『そうだ、俺は鬼なんだ』

男の台詞に刑事達は耳を疑う

『鬼が人間を攫(さら)って何が悪い』
『鬼が人間を喰らって何が悪い』

再び、飛び掛かろうとする若手刑事に書記係りの刑事も止めに加わる
男は若手刑事の挙動に気圧される事なく、喋り続ける

『鬼が人里に下りてくるのが罪なんだ』
『鬼が人間の振りをするのが罪なんだ』

『鬼のクセに人恋しくなるのが、罪なんだ』

そう吐き捨て、男は徐徐(そろそろ)掌で顔を覆う
労働で荒れた薄黒い、強強(ごわごわ)した掌で顔を覆う

泣き出す度、現実を突き付けられた

---儂等の気持ちが分からんのか
---お前を思う、儂等の気持ちが分からんのか

---親に見捨てられたお前を、儂等が育てたというのに
  姿のみならず、心まで醜いのか

---この、鬼子め!

逃げ出す度、包丁を突き付けられた

『鬼子め』
『鬼子め』

『…鬼子、め!』

突然、男は事務机に突っ伏して泣き出す
大の大人が咽喉を震わせ、幼子のようにおいおい泣き出す

男の、打って変わる様子に戸惑いを隠せない若手刑事を
ここぞとばかりに、古手刑事は部屋の隅へと押し遣る

そうして頭を垂れる、男の盛り上がる肩に埋もれる
短い首に残る、幾つもの傷跡を見止める

呼吸した時は白いままなのに
呼吸していく内に白いままでいられない

どうして白いままでいられないのだ

古手刑事は鉄格子の向こう、紫陽花に目を遣る
白み、青み、紫み、赤み、色取り取りの紫陽花が煙霧に煙る

紫陽花はアントシアニンという色素と、土壌の酸度によって
その花(萼)の色が決まる

酸性なら、青
中性~弱アルカリ性なら、赤
アントシアニンという色素を持たない紫陽花は、白のまま

早朝の情報番組で仕入れた、雑多な知識

望むなら、白のままで
望むのなら、鬼のままで

紫陽花は環境で、その色を変える

[おしまい]
作品名:紫陽花 作家名:七星瓢虫