小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
Conrad 島太郎
Conrad 島太郎
novelistID. 61804
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

日本の近代及び現代音楽

INDEX|1ページ/1ページ|

 
日本の音楽と言われて思い浮かべる物は何であろうか、現代に生きる人の多くは演歌や歌謡曲、J-popであると言うだろう。しかし、これら全ての音楽は西洋の音楽理論なしで曲作りは不可能である。メディアでは演歌は日本人の心などと言ってはいるが、それは真っ赤な嘘である。なぜか、それは日本の音楽の歴史をひも解いて行けば分かる。
 日本に西洋の音楽理論が入り始めたのは明治の初期からである。そのきっかけを作ったのが伊沢修二という人物である。彼は明治八年米国へ留学し、ルーサー・メイソンから音楽教育を学んだ。明治十一年、日本へ帰国。明治十二年、東京高等師範学校(現在の筑波大学)の校長になり、音楽取調掛に任命され、メーソンを日本に招いた。来日したメーソンと協力して、新たな三つの音階が作られた。そして、その音階を元にたくさんの小学唱歌が作られた。 
 新たな音階とは、日本の伝統音楽で使われてきた音階に西洋の平均律を当てはめて作ったものである。全ての音階は五音音階、一オクターブあたりに五つの音がある音階である。三つの音階名はそれぞれ、ヨナ抜き長音階、ヨナ抜き短音階、ニロ抜き短音階である。ヨナ抜き長音階はハ長調ではドレミソラと表すことが出来る。短三度音程が二箇所あるのが大きな特徴である。ヨナ抜き短音階はイ短調ではラシドミファでと表すことが出来る。半音が二箇所あるのが大きな特徴である。ニロ抜き短音階はイ短調ではラドレミソと表すことが出来る。短三度音程が二箇所あるのが大きな特徴である。三つの音階の関係性は、ヨナ抜き長音階とヨナ抜き短音階は同主調。ヨナ抜き長音階とニロ抜き短音階は平行調である。
 小学唱歌とは日本の子供に和洋折衷の音楽を教えるために作られた唱歌集である。この中には、茶摘、君が代、富士山などの日本で作曲された曲や蛍の光などの外国で作曲された曲が合計百曲以上入っている。
 演歌とは、元々はプロパガンダを乗せて歌う演説歌の略称であった。始まりは明治時代藩閥政治による支配に対して反発するために作られたオッペケ節が演歌の起源であるといわれている。時代が経つと演説歌は歌われなくなった。その代わり、ジャズやブルースなどの洋楽が日本でよくカバーされるようになった。また、この事をきっかけに軍楽隊による吹奏楽の演奏もよく行われるようになった。また、洋楽の要素をふんだんに取り入れた流行歌というジャンルが昭和の始めに生まれた。このころから演歌は姿を消す事になる。
 流行歌は、クラシック音楽の理論に基づく本格的な西洋音楽であり、作詞者、作曲者、歌う人が必ずといっていいほど別であった。代表曲にカチューシャの唄やゴンドラの唄がある。
 昭和初期、ある作曲家の大ヒットにより日本の音楽に大きな流れが生まれた。そのきっかけを作った人物が古賀政男である。古賀政男はギターリストでもあり作曲家でもある。彼は、明治大学卒業後に日本コロンビアに作曲家として契約をした。この時、東京音楽学校在籍時の藤山一郎と出会ったことが彼の才能を開花させる大きなきっかけとなった。彼の代表曲に影を慕いて、酒は涙か溜息か、お島千太郎などがあるが彼のヒット曲の多くはヨナ抜き短音階が使われている物が非常に多い。彼の曲の影響を受けてなのか。流行歌の多くがヨナ抜き短音階で作られるようになっていった。
 戦後の昭和三十八年、様々な音楽の流入により流行歌が消滅し、演歌、歌謡曲、フォークなどの新しいジャンルの音楽が生まれた。昔の演説歌は外国のフォークソングの影響でフォークになり、演歌は伊沢が作った音階や小節(こぶし)を用いた曲を指す言葉となった。歌謡曲は流行歌が変化して生まれたジャンルである。
 八十年代昭和後期、日本にユーロビートなどのシンセサイザー音楽が輸入され始めた。都会にはディスコが作られ、電子音の音楽が鳴り響いた。これをきっかけに、演歌は下火となった。これと同じぐらいの時期にある人物がある音楽グループを結成し、日本のシンセミュージックを作り出した。その人物は坂本龍一であり、その音楽グループはYMOである。
 坂本龍一は昭和五十三年にYMOを結成し、ヨナ抜き長音階やニロ抜き短音階を用いたテクノを作曲するようになり、日本で大ヒットするようになった。代表的な曲にライディーンや東風などがある。彼の音楽の影響を大きく受け、日本のヒット曲の多くはシンセとニロ抜き短音階を用いた物になった。あの有名な同人ゲーム東方projectもその影響を受けているに違いない、なぜなら曲の構成がYMOとよく似ているからである。残念ながら坂本流の音楽は十年足らずで下火になってしまったが、彼の音楽は映画やゲームのBGMとして良く使われるようになった。久石譲は坂本の意思を継いだに違いない。なぜなら、風のとおり道やもののけ姫などにその音階が使われているからである。
 九十年代、ビーイング所属のアーティストがヒット曲ランキング一位を独占する出来事が起こった。これはビーイングブームと呼ばれ、J-popという新たなジャンルが生まれるきっかけとなる。この時期から日本の音楽は発展せずむしろ形骸化が進む事となる。そして、それは現在も続いている。
 以上が日本の音楽の歴史であるが、見ての通り西洋の音楽理論なしでは全く機能しない事がわかる。また、J-popだけでなく演歌も形骸化が進んでいるように思える。また、現在の音楽の特徴としては音響や楽器は大きく発達しているのに音楽理論的な事は八十年代からずっと変わっていないと自分は思う。今の時代、音楽に関わっていながら音楽の「お」の字も知らない人が多い気がする。これでは、昔の音楽家が築いてきた物をお釈迦にしてしまうのではないだろうか。自分はそう思ってしまう。逆にいえば、素人でもヒット曲が作れる可能性がある。作曲できないと言う人はやらないだけと言われても仕方がないのである。
 これからの日本の音楽はシンセサイザーを用いたジャンルが増えていくと自分は思う。自分は井沢が築き上げたヨナ抜きという名の旋律を用いたシンセミュージックを作りたいと思う。または、そのような曲がヒットして欲しいと思う。シンセサイザーをきっかけに日本の音楽のジャンルが再び多様化されることを自分は強く望む。