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無条件降伏からの歳月

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小説 無条件降伏からの歳月
                     佐武 寛

                 一
 人間は不自然な環境で育つといびつになる。真理はそれが嫌いだった。家庭には両親が居てこそ子が健やかに育つと思っている。真理子自身は料亭の女将で二人の女の子の母親である。長女は弥生と言い十八歳、次女は皐月で十六歳である。舅も姑も健在である。真理には平介という兄が居て、米人のバーバラと結婚し、リリー〈百合〉という十九歳の長女と十五歳の弟・ジョージ〈譲治〉が居る。真理と平介の父は三平といい、八〇歳である。妻の如月は三年前に他界している。真理は今、父から送られてきた詩を読んでいた。

石ころにつまずいた男が
のけ反った
空を見上げて
美しい星に
心を奪われていたので

明日を夢見る女が
朝餉の支度を忘れて
娘の結婚式は
宇宙婚にしたいという

友達とケータイで
メールする娘が
浮き浮きとして
朝餉はいらないと
母親に言って
家を飛び出す

学校に行くのが嫌な息子が
昨夜見なかったテレビ番組を
翌朝
親父のビデオで見る

親父は
駅でモーニングとると
あたふたと
駆け出して
好きな彼女と
出勤前のデート楽しむ

 この歌は平介の家族を歌ったものか、父の想像なのかはっきりしないが、真理は父の批判を興味深く感じていた。父は傍観者のように家族を批判していたのだと真理は思っている。気侭な生き方など考えることも無かった時代を過ごしてきた父の心に宿っているものを真理は憶測する時がある。兄の平介の家族と同居している父の気持は世の変わりを嘆いているのだろうか、諦めて受け入れているのだろうか、嫁いで外に出た真理は兄夫婦と父との関係が気がかりであった。
 そんなある日に、バーバラが真理の料亭に、アメリカのシアトルから来た友達を連れてやってきた。女性客三人で、バーバラと同じ年格好に見えた。真理が「女将です」と、あいさつすると、「ハズの妹よ」、とバーバラが友達に紹介した。彼女たちは真理をほめることを忘れなかった。きわめて自然なエチケットといった感じである。片言だが日本語も話すので真理は助かった。
 女同士だから家庭生活の話題が飛び出す。亭主と子供のことが中心になるのもこの年頃の母親達では当然の流れだった。バーバラは平介を日本に置いて自分とリリーはアメリカへ行くような話しをしていた。すると、それは離婚になるわよとひとりが言って、ハズはアメリカに転勤してもらうべきだと別の女が意見している。真理は女中と一緒に料理をテーブルに揃えながら彼女たちの話を耳にしていた。そのとき、三人目の女が、「バーバラの家に泊まっていいかなあ」と言い出し、他の二人も、「それは素敵なプランよ」と、バーバラの同意を誘うように言うと、「嬉しいね」と、バーバラが笑顔で頷いた。
 食事をしている間も彼女たちはよく喋る。料理を出すたびにワンダフルと叫ぶ。それからが大変である。料理の一品、一品について、食材から料理の仕方まであれこれと尋ねるので、真理は説明に疲れる。遠慮などあったものではない。バーバラまでが調子に乗っている。この分では、平介も大変だろうと真理は同情する。
 彼女たちがバーバラ宅をベースキャンプに観光した三日間は、リリーやジョージにとって最高だったらしい。真理は二人からかかってきた電話でその様子を知った。名所案内と通訳を二人が買って出て自己満足したらしい。バーバラはおしゃべり専門に廻ったようだ。兄の平介はどうしていたのか尋ねると、「パパはお抱え運転手よ」と、リリーが電話の向こうで笑っていた。真理が、「おじいちゃんはどうしてるの」と言うと、「街歩きが日課だよ〜」と、ジョージの声が脇から飛んできた。
 ジョージの言葉を裏書するかのように数日後、三平からの手紙に詩が添えられていた。

一人の女と三人の男が喋りながら
足早に行く夕刻の店頭の道

「コーヒー、一緒に飲もう」
社員服の女が呼びかけた
ネームプレートを胸に着けた男が
「高いから止めとく、俺」
と、後ろから答えた
「いいやん、おいで」
女が、後ろに声をかけながら進む

男たちの二人は女より年上のようだ
女より年若そうな男がドアーを開けた
旅行代理店の社員だとそれとわかる
バッジが見える

今、店の前まで帰ってきたのだが
二,三軒素通りしていた
店に帰る前のひと休憩か相談か
女は若いがヴェテランに見えた
 
 真理は思わず微笑んだ。街頭ですれ違った人物の動きが手に取るように描かれている。父は街歩きで日常のストレスを解消しているのだろうと想像する。だがここでも女の強さが気になっているように思えた。すると急に、真理は父と一緒に街歩きしてみたくなって電話を架ける。三平からは、嬉しそうな声で、「僕は毎日サンデーやから、いつでもいいよ」と、返事が返って来た。

                 二
 初夏の訪れが感じられる六月半ばの昼下がり、真理を伴って街歩きしていた三平が、前からやって来た男が古い友達だと気付いて、「山田やないか」と声をかける。するとその男は怪訝な顔をしていたが、しばらくして三平とわかったらしい。「菊本か」と問い返した。このとき、二人の時間は一気に青春に戻った。二人の老顔が一瞬輝いたのを真理は見つけている。
「ずいぶんひさしぶりやなあ。そこらで茶でも飲まんか」と、三平が誘う。「そやな、積もる話しでもしようか」と、山田が乗ってきた。「娘の真理です」と、真理が懐かしそうに挨拶した。「おおきなったなあ」と、山田が真理を見詰める。「いややわあ、おばあちゃんですよ」と、真理が笑って言う。三人は揃って直ぐ近くにあった洋菓子店「ゴンチャロフ」の喫茶室に入った。
「真理さんが独身だったころにあったよなあ。あれ以来初めてか」
「僕とは数年前、同期の会であっとるよ」
「そうそう、真理さんは結婚して子供も生まれてるって聞いたこと思い出したよ」
「現在はなにやっとるんや。山田のことやから生涯現役か」
「定年まで勤めた会社の顧問やが、八〇歳になったからそれも辞めようと思ってる。菊本はなにしとるんや」
「年金生活よ。息子夫婦の世話になっとる」
「ご互いに余生ってことか。奥さんは元気か」
「三年前に亡くなった。それからは空気の抜けた風船みたいなものよ」
「真理さんが居るからいいやないか。息子さんご夫婦も親切にしてくれるんだろう。俺は家内と二人暮らしだが、病弱で介護に手がかかるんだ。療養施設に入ってもらおうかと思案しているところだ」
「そんなに悪いのか。君もたいへんだなあ」
 二人の会話は湿っぽくなった。真理は口を挟むのを控えていた。
 それからの話しといえば、学生時代の思い出や友達の安否が何の脈絡もなしに続いて、お互いに慰めあっているようだった。現役時代の職場の話は出てこなかった。二人は別々の道を歩んできたから共通点が無いのだろうと真理は思ったが、それだけではなさそうであった。現役時代を振り返るのを避けているようだった。今現在の状況で再会が始まっている。青春時代が二人の宝になっている。社会人になってからの苦労話などはしたくないのだろう。青春と老後が直結した奇妙な姿である。
作品名:無条件降伏からの歳月 作家名:佐武寛