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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 四、知の章

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 ついに河岸に出、道が遮られる。足を止め、激しく呼吸するその音だけが響く薄闇のうちで、するとこれまで空っぽだった脳裏に言葉が怒涛のように押し寄せた。
 分からない。いや、分かってる。けど――。
 留めていたものが一気に湧き出し激しく脳裏を巡る。理屈で理解したことを感情が否定する、そんなことが無意味に繰り返され止められない。
 ケオルは岸辺に腰を下ろしうなだれる。月明かりがかたどる自身の影を水面に映し、そうして客観するように思った。
 ひどく、惨めだなと。
 あの人の言葉だけは決して偽られることがないと、そう信じてきた。疑うことなく、それによりすがり、それを自身のうちのただひとつの「芯」としてきた。……それに、易々と裏切られるなんて。
 知らねばよかったのだろうか? しかしその「芯」のために、それを求めることをやめられなかった。
 自分の信念としてうち立ててきたものを、その信念のために、否定せねばならないなんて。

 超えられない兄。ずっと追い続け、せめて近づくことができればと思っていたその背は、しかし近づくことなどできるわけがなかった。当然そうなのだ。
 ずっと信じ慕ってきた自分を、あの人はどう見ていたのだろう。これまでと変わらぬ眼差しで、ただその事実を突きつけた、あの人は。
 心が十分には傾けられなくとも、血の繋がりという事実があればそれだけで拠る理由になった。それを理由にして、縋っていたかった。
 けれど――、そんなものは、無かったのだ。
 そうだ、無かった。無いものを勝手に信じていただけだ。言葉を偽られたのでも、裏切られたのでもない。ただ自分自身が気づこうとしなかっただけだ。……なんと盲目であったことだろう。まことを知る、その道を志したはずの自分が。まことを見るべきと他者に説きながら、自身は最も身近なものに対して目を逸らし続けていたなんて。
 あまりに、情けない。そう、自分自身に腹が立って仕方がない。盲目であった自分に。ないものをあると思い込んでいた自分に。気づくことのできなかった自分に。
 ……疑いなく信じていた、その、愚かさに。
「……」
 胸のうちを渦巻いていた感情が、体の熱と共に外へと投げ出されてゆく。そうして剥ぎ取られた感情に代わり、次第に空虚な思いが占めはじめていた。
(こんなことに、囚われているなんて……)
 そうだ、ちっぽけなことだ。
 自身の信じていたもの、たった一つが、事実と違っていた。それだけのことだ。
 違っているのなら、ただその部分を正せばいい。それだけのことだ。
 ただ、それだけのことだ。
 けれどなぜだろう。これまでの何もかもが、すっかり覆されてしまったように感じるのは。自分自身がすっかり塗り替えられてしまったように感じるのは。
 いったい、なにが変わったというのか。
 それは始めから無かったのだ。変化した事実などない。なにも、変わってなどいないじゃないか。
 それなのに――。
 体が、鉛のように重く感じた。息をするのも難儀と思うほど。ここからもう一歩も動きたくないと、そう思った。
 力なく半ばまぶたを下ろすその目には、何も映ってはいなかった。あの部屋で覚えた闇に溶け込む感覚を、もう一度呼び起こそうとしていた。自身の体が溶け出し、夜に混ざり合って、同じものになってしまうことを思った。
 静かに広がり、染み渡る、夜の闇。
 色を呑み込み、音を呑み込んでゆく。それと、同じになる……。

 ――

 ひやりと身を包む、夜の風。
 ケオルはふと顔を上げ、木々の影に切り取られた暗紺の空を仰いだ。どこからか、ちいさな鈴の音が届いた気がしたのだ。
「キレス……?」
 なぜだか、胸騒ぎがした。