冒険の書をあなたに
終章 冒険の書をあなたに
それから二人が目に映したのは、医務室の天井だった。
ルヴァはぼんやりと霞む視界がようやくしっかりとし始めたところでぱちくりと瞬きを繰り返す。
ゆっくりと顔を横に向け部屋の様子を伺うと、隣の寝台に金の髪がちらりと見えたことで安堵のため息をついた。
(……良かった、どうやら二人無事に戻ってこられたようですね)
かつかつと誰かが近付いてくる足音に、音のする側へと顔を向けた────鋼の守護聖が赤い瞳を滲ませてじっとこちらを覗き込んでいる。
「よぉ、気がついたか」
「ゼフェル……。どうしたんです、目のふちまで真っ赤にさせて」
ルヴァの言葉にゼフェルは不愉快そうにがりがりと頭を掻きながら、ふいとそっぽを向く。
「どうもこうもねーよ。さっき執務室に行ったら、陛下と一緒にオッサンが倒れてて……なんでか知らねーけど血だらけの変なボロい服着てるしよ……焦ったぜ」
「おや、それは心配をかけてしまいましたねー、すみませんでした。あなたが運んでくれたんですか?」
口を尖らせたまま小さく頷くゼフェルに微笑んで、ルヴァはそろりと体を起こした。
「おい、あんま無理すんなって。寝てろよ」
「怪我は治ってるんで大丈夫ですよー……それよりあの、陛下は」
ゼフェルは親指で隣を指差して、軽く顎をしゃくってみせた。
「寝てるからほっとけ。……なあ、腹減ってないか? なんか食いモン持って来ようか」
僅かに笑みを残してじっとゼフェルを見つめた。
どこか遠くを見ているような視線を受け、訝る視線を投げ返すゼフェル。
(聖地随一の口の悪い寂しがり屋はね、この通り本当に心配性なんですよ、リュカ……あなたの親友と少し似てますね)
「前言撤回しておきましょうか……ゼフェルはコリンズくんじゃなくて、ヘンリー殿のほうだって」
初めはぽかんとしていたゼフェルが呆れたような唖然とした顔に変わっていく。
とんとんとこめかみを人差し指でつついて口を開いた。
「はぁ? なんだよソレ。頭大丈夫かオッサン」
「さあ……どうでしょうね。ネジが少し取れちゃったかも知れませんよ? ぽろっと二本くらい」
Vサインのように人差し指と中指を立てて見せると、彼はぶはっと吹き出した。
「はっ、ネジ十本の間違いじゃねーのか!」
その言葉には穏やかに笑んだまま答えを返さず、少しだけ視線を手元に落とすルヴァ。
ふと思い立って左手の薬指にちゃんと指輪があることを確認すると、切なさに胸が締め付けられた。
思い出としてしまい込むにはまだ新しすぎる記憶の数々に浸るように、ルヴァはそっと瞳を閉じる。
「……やっぱり、もう少しだけ休んでおきます。陛下が目を覚ましたら起こしてくれませんかー」
もそりと寝台に潜り込み、シーツを肩まで引き上げた。
「ん、分かった。……ところでオッサンよぉ、その指輪どうした? 昨日までなかっただろ」
目ざとい、と思いながらも彼は柔らかく微笑むだけで答えない。
「それはですねー。……ひみつです」
はぐらかしてくすくすと笑うルヴァ。
「んだよ、人に言えねーことでもしてきたってのかよ?」
左手の薬指に指輪とくればおおよそ察しはついたけれど、それでも悔し紛れに言い放ってみる。
「ふふ……とってもへんな結婚式をね、しちゃったんです」
ルヴァがあんまりにも幸せそうに微笑むので、ゼフェルはそれ以上のことを聞けなくなってしまい、「そっか」とだけ告げて微笑んだ。彼に言わなければならないことがあったが、何となく言い出し辛くてやめてしまった。
そのままルヴァはアンジェリークが目覚めて叩き起こされるまでの間、昏々と眠り続けた。