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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
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~それから~(湊人・高木編)

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~それから~(湊人・高木編)



 本当にまったくどうかしてる、と湊人(みなと)はため息をついた。

 老舗ジャズレストラン『ラウンド・ミッドナイト』でのアルバイト中なのに、バックパックに放り込んだ携帯電話が気になって仕方がない。

 今夜は本番に出ることもあって大急ぎで掃除をすませないといけないのに、頭の中で渦巻いているのは、電話をかけるか、かけないかということばかりだ。

 いつもならリハーサル前は、モップをかけている最中だって、耳の奥でずっとピアノの音色が流れている。ステージ上に演奏するメンバーのプレイを思い描きながら、ひたすらにソロのフレーズを考える。グランドピアノを丁寧に磨きながら、白と黒の鍵盤を叩ける時間を考えるだけで、気持ちは高揚してくる。

 ピアノの真後ろにあるカウンターテーブルを拭きながら、ピアノの黒い光沢の中に潜む光の粒を見つめる。ぼんやりとうつる自分の隣に、あの日の悠里の姿が浮かんでくる。

 高校の同級生である倉泉悠里(くらいずみゆうり)をドライブに誘って、一週間がたつ。二月末に卒業式を終えた湊人は、彼女が大学に受かったという知らせを受けて、デートに誘った。といっても、『ラウンド・ミッドナイト』のオーナーに借りた楽器運搬用のバンで、神戸湾に浮かぶ人工島、ポートアイランドの夜景を見に行っただけのことで、彼女に「デート」という認識があったかどうかわからない。

 子供の頃にも何度か見たことはあったけれど、悠里と二人で見る夜のポートタワーは真っ赤に輝いて湊人の心をくぎ付けにした。「見上げた時の瞬間が好きなんよ!」そう言って笑う悠里のむこうで、無数の白い光が瞬いていた。「オレも好きだ」とは何故か口にできなくて、頬をゆるめて笑うと悠里もそれに呼応して、笑顔を見せてくれた。

 それ以来、業務中もピアノの練習をしている最中も彼女の声が頭の中で響いて、全く集中できない。ビル・エバンスの甘いピアノのナンバー『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』を弾いてそこへ傾倒するなんて、本当にまったくどうかしている。

 正体不明の苛立ちを感じながら手にしていたモップを物置に投げ入れると、ポンと肩を叩く人物がいた。

「よう、悩める少年。こないだはうまくいったか?」
「高木さん、早いですね」
「リハの二十分前到着が俺のポリシーだからな」

 そう言って、長身の彼は口の端を上げた。豊かな黄金色の髪は自然にうしろにかき上げられ、耳にはリング型の小さなピアスをしている。年は二十七で高校時代からあちこちのライブハウスを出入りしているプロのドラマーだ。今はニューヨークと日本を行ったり来たりしているらしく、今夜は数か月ぶりの出演となる。

 湊人は物置の扉を閉めると、高木を見上げて言った。

「せっかく車も借りてポートアイランドに行ったのに、いい雰囲気には程遠かったです」
「おまえ、こんな時期にポーアイ行ったの?」
「だって高木さんがデートするならそこがいいって、前に言ったじゃないですか」

 湊人がふてくされるようにそう言うと、高木は肩を落とした。

「そりゃ言ったけどさ、こんな寒い時期に行ってどうするんだよ。なんにもないだろ、あそこ」
「夜景しかないですよ」
「寒すぎて、話はずまないだろ」
「全然。でも最初は掬星台に行きたいって言われたんで、ポーアイでよかったですけど」
「掬星台? 初心者マークのおまえじゃ、地獄を見るな」

 そう言うなり、高木は笑い出した。ポートアイランドデートを勧めてきた高木へのあてつけのつもりだったけれど、湊人も何だかおかしくなってきて吹き出してしまった。

 高木は背負ったスティックケースを下ろしながら言った。

「俺にもおぼえがあるな。気になる子をつかまえて飯食ったところまではよかったけど、夜のハーバーランドは寒すぎた」
「いつ頃だったんですか?」
「二年前の十二月だ。煙草の火が消えそうなくらい、強風が吹いてたよ」
「オレよりひどいですね。もう高木さんの意見は参考にしませんよ」
「それが懸命だ」

 そう言って笑いながら高木はジャケットを脱いだ。ロングTシャツの袖をまくってドラムセットに着席する。すうっと通った背筋の上に太い首が乗り、頭の頂点から足のつま先までドラマーの息遣いが漂っている。

 同性の湊人が見ても惚れ惚れするような容姿なのに、浮いた話を聞いたことがない。「好きな女はいないのか?」とからかわれることはあっても、高木と懇意にしている女性の影すら見たことがない。

「その人とは、そのあとどうなったんですか?」

 仕事用のサロンを畳みながら湊人が言うと、高木はバスドラムを踏んで答えた。

「バンドが解散して、それきりだ。じつは今夜、来ることになってるけど」

 高木が言葉を濁す。湊人はサロンを抱えたまま、言葉を待つ。

「残念ながら、脈ナシだろうな」

 整った眉をよせてそう言い切ると、スティックでハイハットを刻み始めた。視線は客席の方へ向けられる。彼が言った言葉の意味をもっと詳しく知りたいと思ったが、ちょうどそこへ他のバンドメンバーが入店してきた。今夜の出演者だが同時に従業員でもある湊人は、高木との話を切り上げて、彼らのもとへ挨拶に行った。

 高木が刻むジャズの4ビートが、湊人の心を演奏者モードへと誘っていく。
 ふいに携帯電話のことが頭をよぎった。出演者に断って、一度、従業員室に入る。

 携帯電話の画面に「倉泉悠里」の名前を表示させる。席にはまだ余裕があるから、彼女に誘いの電話を入れることもできる。けれど今夜のライブにはチャージが二千円もかかる。ワンドリンク・ワンフードの鉄則があるので、一番安いオレンジジュースでも八百円、フードメニューもその金額を下回るものはない。高校生には敷居が高すぎることもわかっている。悠里ひとりでこさせるのは、どう考えても酷なことだ。

 湊人は息をひとつ吐くと、雑念をふり払うために携帯電話の電源を切った。