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9月 麦わら帽子の番人

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 何度タイヤにひかれてもどんなに雨に曝されても、道路に引っ付いたままのチューインガムのように長く粘り続けた暑い夏が終わりを告げ、待ちくたびれた秋を押し倒して退屈している冬までが顔を出したような霞色の空が広がる肌寒いある日、鈴は風邪をひいてしまい小学校を休んでいた。
 鈴は比較的健康な子どもだったので、願おうが拝もうがなかなか欠席する事はなかったのだが、どうやら昨日の暑いんだか寒いんだかよくわからない中途半端な気候に踊らされ、それでも面倒臭いと上着を羽織っていかなかった結果、乾燥し始めた冷気で咽をやられたのが原因の様だった。

「母さん、今日は人がいなくて仕事休めないから、一人で寝ててねー 風邪のひき始めだから寝てれば大丈夫よー」
 体温計をケースに入れながら、母は呑気に鈴の額に手を乗せた。さっき洗い物をしていた母の手はひんやりしていて気持ちよかった。開業したての慌ただしい小さな病院の看護婦をしている母はこれしきの事では急に休みを取らない。
 ま、いいや。ちょっと体は怠いけど、いつもは見れない時間帯のテレビも見放題だし、好きなご飯も食べられるし、ねだったら好きな物を買ってきてくれる滅多にないスペシャルな日なんだから。鈴も呑気にそう思った。
「夕ご飯は、鈴の好きなもの作るからさ。帰りになにか買ってくるけど、何が欲しい?」
「小学館の雑誌とアイスと、プリン!夕ご飯は、チーズが乗ったハンバーグがいい!」待ってましたとばかりに鈴は即答した。これがお楽しみなのだ。
「はいはーい。大人しく寝ててねー じゃ、行ってきまーす。鍵締めといてよー」
 鈴は、母が仕事に出掛けるとすぐテレビのある部屋まで布団を持って移動していき、スイッチを入れた。
 子どもは小学校に、大人は仕事に行っている平日の昼にかけての午前中。心なしか外は静かで、時々、物干竿を売るトラックが間延びした声を屋根に取り付けたスピーカーからなびかせながら通り過ぎて行く。つけたテレビからは、子ども番組が続けて流れるチャンネルで次々とショートストーリーやら歌やら実験やらが始まっては終わっていく。その番組自体に興味があるわけではなく、それを見られる時間に自分がいるから見れるものと思っていた。簡単に言えば、みんなが学校で勉強しているのに自分だけ何もせずに自由にしていられるぞ、という特別な優越感のようなものを、そのテレビを見る事でしみじみ感じる事が良かったのだ。嫌味な子どもだった。
 母が用意しておいてくれたポカリスエットをちびちび飲みながら、羽布団に包まっていると世の中は平和なんだなぁと感じた。
 いつもなら、寝っ転がってテレビを見ようものなら怒られて消されてしまうけれど、こんな時は座って見る方がいけないんだ。
 温泉に入っているような加減の頭の位置を少しずらすと、氷枕の中にたくさん入っている氷が、まだ冷たさを維持出来ている水のなかで満員電車みたいに細かくぶつかって、北の海で沈没しそうな船体みたいな音をたてた。この間、図書室で読んだ氷山にぶつかって沈んだ大型船みたいに。片耳をつけていると、徐々に沈没していく船の機体を氷点下の水が浸食していくような機械的な音が微かになり続いている。それとも誰かが無線で助けを呼んでいるのかもしれない。だけど、冷たい海は果てしなく、誰もなかなか答えてくれない。冷たく虚しい音。
 しばらくすると、鈴はテレビの音量を小さくして仰向けになった。熱のせいなのか、何となく目が疲れた。頭と足の心地良い温度差に浸りながら、いつのまにか鈴はうとうとと寝てしまった。
 遠く雷猫のような音が聞こえた気がした。それとも、いよいよ船が本格的に沈み始めたのかもしれない・・・

 夢を見た。ボンヤリした夢だった。鈴はススキの中を歩いて行く。
 鈴の135センチの身長で見渡す限り、西日に照らされて白く燃えるように揺れる穂をつけたススキだらけで、おまけに鋭い葉もこれでもかと言う程丈夫に茂り、鈴の手は切り傷だらけになった。 ススキの穂は自ら発光しているみたいな顔で揃って同じ方向になびいて、なにかの道しるべをしている様にも集団移動する生き物のようにも見えた。そこらは放課後の教室の様に奇妙にしんとして、ただ、鈴の靴がススキの幾重にも重なった葉を踏みしめる音だけだった。進んでも進んでもススキだけだった。その、撫でるような眩しさにぼんやりする。本当にこの世に無数存在する自然の美しさの一部を垣間見ている。でもあまりに綺麗過ぎて何もわからない。考えられない。何処に行こうとしているのか、ひたすら前だと感じる方に鈴は足を出した。一面の白い炎。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、
 鈴はふと目を開いた。不思議な事に靴音はまだ続いている。
 熱が高くなっているのか、ファンヒーターの小窓の奥にある青い炎をうずくまって覗き込んでいるように、やけに頭の力が入らない。鼻が詰まっていて、息苦しい。
 もう氷枕は水風船になっていて、ジュースをたくさん飲み過ぎて一杯になったお腹みたいな音しかしなかった。
 まだ夢をみているのかもしれない。そう思って、再びウトウトし始めた時、細く開けた障子の隙間とその隣の破れた幾つかの穴をなにかが横切ったのだ。ガラスは閉まっていて、障子の外は庭だったので正確にはなにかが外の庭を横切ったみたいだった。鈴は目を見開き、固まった。
何だろう? 誰だろう? ガス点検の人? それとも、泥棒?
 鈴は鳩時計の鳩が時を告げるのを妨害するように、動揺する気持ちを何とか押さえ込んだ。確かめなきゃ。テレビは変らずついていたが子ども番組は終わり、何処かの過疎化した村の風景と老人ホームが映っていた。会話もナレーションもそんなに多くないような番組だった。
 鈴は息を殺し、這って行って電源を切った。そしてそのまま庭に面した窓に近付いていった。手には、昨日、図工の宿題の為に持って帰ってきてそのまま放り出してあった彫刻刀を持っていた。よくよく見もせず掴んだので選りにも選って三角刀だった。これでは相手にV字型を付ける事しか出来ない。けれど庭に全神経を集中していた鈴は、熱も手伝いそんな事に気付く余裕は全くなかった。
 恐る恐る窓ガラス越しに外を伺うと、予想に反して誰もいなかった。前の家の壁とはちゃちな柵だけで区切られている気持ちばかりの小さな庭には、母が好きでよく買ってきて植えている鶏頭の花が黄色や赤紫やピンクの鮮やかな小さな炎の様に色とりどりにたくさん咲いていた。その横では青紫蘇が茂みになっている。いつもと変わらない庭。。
 鈴がほっと安心して又布団に潜り込もうと視線をずらした時、下の曇りガラスになにかが動いて映り、次いで立ち上がった。鈴は、とっさに身を伏せた。窓ガラスは上の透明なガラスと下の曇りガラスの2枚に分かれていたので、外からは透明なガラスから覗かない限り中は見えない。鈴はじっと伏せて、曇りガラス越しに動くなにかを見つめた。
作品名:9月 麦わら帽子の番人 作家名:ぬゑ