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セツエン

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 弓を引き、矢を放つ。風切る音に気づいたか、茶色い兎は跳ねてそれを難なくかわす。狩り手は苛立ち舌をうつ。その時、茂みが揺れ、飛び出た影が獲物の喉に噛みついた。
 にやりと笑い、狩り手は弓を下ろした。ぼさぼさと肩まで伸びた黒い髪、ぼろ布を身にまとうその姿は獣じみている。年の割に小柄な彼こそ十代半ばとなったセツエンであった。
 カンムは彼の前まで来て見せつけるように獲物を左右に振った。青年は屈んで彼女のあごの下をなでる。彼女はそれに満足したのか兎から口を離した。カンムはたくましい肉付きの成犬になっていた。
 薪を集めてから川岸へ向かい、小刀で素早く肉を切り分け、セツエンはその半分をカンムに返した。火をおこして肉を焼く。その間、カンムは生肉を食らい口の周りを赤く染めていた。セツエンはそれを見て微笑み、桶に水を入れて彼女の前へ置く。
 食事を終えて父が使っていた狩り道具の手入れを済ますと、青年は体のかゆみに気づいて水浴びをした。夏も終わりかけていたので水は冷たい。カンムは後を追わずに川岸で彼の脱いだ服に顔をうずめて丸まっている。優しさのこもる眼差しで彼女を見つめながら、セツエンはこのひとときの幸せを味わうのだった。

 山から下りる途中、カンムが急に駆け出した。戸惑う間もなく追いかける内、セツエンはその先に兎がいるのに気づく。左足の古傷のせいで彼の足は遅かったし、長い間走り続けることも出来ない。頭上の枝や足元の石を素早く避けて走るカンムに青年は追いつけない。彼女の姿が小さくなるにつれセツエンの不安は大きくなる。
「……カンム。カンム!」
 つい大声を出していた。呼びかけに彼女の耳が震える。足を止めて獲物を名残惜しそうに見送ってから、彼女はゆっくりと彼の元へ戻った。食い足らなかったのか、明日はもっと狩らなくては、そう考えながらセツエンはカンムと共に家へ帰る。
 日が暮れると直ぐに枯れ草の布団をかぶり、セツエンはカンムの隣で横になった。犬だろうと関係なく自由にさせていたので部屋のいたる所に毛や葉が散らばっている。それを気にする人はここには居ない。しばらくすると寝息が聞こえた。こんな日がセツエンにとってのいつもの一日であった。

 夜も更けた頃、小便のために目が覚めてセツエンはカンムが居ないことに気づいた。一匹で歩き回ることは普段からあったが、念のため用を足してから彼女を探すことにした。
 外を歩く人影はない。あるのは揺れる木々の影、涼しい風、秋の虫の音、人間嫌いのセツエンには心地良い時間になるはずだった。星空の美しさに心を奪われるも、視線はすぐに地べたへ落ちる。闇夜には幼いころの別れが己の影のようにつきまとう。心は寂しさと不安に蝕まれ、カンムを探す足どりは速くなる。
「ああ、ガキんとこの犬か!」
 響く怒鳴り声に胸が潰される思いだった。声の元を辿れば一点明るい所がある。火を片手に男が畑へ出ていた。赤く照らされた足元で背の低い物が動いている。セツエンは駆ける。途中、青年に気づいた男が声を荒らげる。
「おい、お前、これを見やがれ! うちの畑から盗みやがって!」
 モンという名の二十代後半の男だった。ぎょろぎょろとした目つきで鼻が低く、どこか猿に似ている。男の言葉に構うことはせず、セツエンはそこに居るのがカンムだと確かめる。悪びれる様子もなく、引き抜いた大根をかじっていた。
「カンム」
 名を呼ぶだけで充分だった。カンムは振り向き、彼の隣へとゆっくり歩いて行く。
「てめえ! おい。どうしてくれんだ? 荒らされたのは今回だけじゃねえぞ」
 人の声がセツエンは苦手だ。特に感情のこもった大声や甲高い声が。話すつもりはないと首を振り、その場を去ろうとした。だが、すぐに肩を掴まれた。
「このままじゃ済まねえぞ」
 振り向くと、直ぐそこにモンの険しい顔があった。大人の目は昔と変わらず暗く冷たいものに見えた。
「放せ」
「なんだ、その態度は? 謝りもしねえのか? あん人の息子だから許してやろうとも思ったが、お前がその気なら、しっかりした罰を受けてもらうことになるぞ」
「知らん」
 声は小さくしか出なかったが、それでも青年は人との話し方を忘れていなかった。思いを容易に偽れる言葉を汚らわしいものと感じていたので、彼は会話という行為を嫌う。男の手を乱雑に払い、大根をくわえたままのカンムを連れて家へ帰る。
 脅されても昔のように怯えはしない。考えようと考えまいと日々は進む。想像などという不確かなものに悩まされる事を彼は徒労だと信じていた。不安とじゃれることもせず布団に入って目をつむる。今の暮らしを壊す訪れが明朝に待ち受けているとは考えもしなかった。

作品名:セツエン 作家名:周防 夕